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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2019/09/12 05:21:26

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    ちょうど1年たった今日

    9月12日の今日でちょうど一年たった。
    最初の出勤日が、全校の縦割り歩き遠足だった。
    グラウンドで850名の子どもたちだった。
    次々とやってくるその集団に、目眩がしたのを覚えている。
    「ここは、新宿の駅なのか」だった。

    もし、ここに来なかったら、
    私は、いったい何をしていたのだろうかと、
    夜中に目覚めてから、考えていた。
    というか、ここに来たから、この子たちと、
    この同僚の人たちとの出会いだった。

    62歳、確かに、疲労困憊・睡眠不足・体温調整不良だった。
    それでも、こうして仕事をしていられるのは、幸せなことだった。
    「来てよかった」
    「ここでよかった」と、私は、毎日の仕事を心から楽しんでいる。

    ダジャレには一層の磨きをかけて、達人の域に達する勢いだ。(笑)
    毎日、いつでも笑って過ごす。
    いつもいつも子どもたちを笑わせる。
    時には、真剣に心を込めて人生を語る。
    その語りが、確かに子どもたちの魂に沁み入って行く実感。
    確かに「言葉は、心と魂の栄養」だった。

    いつも考えている。
    言葉と行動と語りが一体となる。
    在るものは、ここで顕れ、ここで言葉として語られる。
    その味わいがなんとも言えない至福でもある。

    私が、かってのように無色無収であったらどうだろう。
    きっと今、ここで感じている喜びは味わえなかったと思う。
    独りで生き、独りで好きなことだけをやった半年間が私にもある。
    その時、出会えたのが、ヨガであり、書道であり、スイムだった。
    そこにはいつもリスペクトできる優れたマスターが居てくれた。
    この出会いも、私が決めたことではなく、
    そうなっていたことなのかもしれないと、
    今は、確信をしている。

    しかし、その日々には、きっと今、ここの喜びはなかったと思う。
    いや、その独りで生きている日々には、
    その日々なりの充実と満足感だった。
    それは、他と比べられない、絶対の喜びであったと思う。

    しかし、今、ここ、つまり、子どもや同僚とのかかわりは、
    これまて格別な喜びと幸せとを私にもたらしてくれた。
    これは、私の自力の計らいでは絶対にないことだった。
    向こうからの召命・招聘だ。
    ある意味、その他力に任せて、「えいっ、やっ」と、飛び込んだ結果だった。
    自分が深く深く考えて、悩み悩んだ末に決断したことではなかった。
    「助けてください」「お願いします」のその声に、
    「見過ごしにはできない」とばかりに、引き受けた仕事だった。

    そして、一年間がこうしてたった。
    何かが変わったかと言うと、
    62歳になり、疲労困憊・睡眠不足・体温調整不良の我が身だ。
    しかし、内面は、確かに、何かをつかみ、
    「これでいい」と、自らの道を信じつつ歩める私になっている。
    それは、何故か。

    きっと、自分でそれをやっていると、思わなくなったからだ。
    きっと、神様がよい答えに導いてくれると信じていたからだ。
    きっと、全てを委ねて、あるがままに、あるがままをしていたからだ。
    きっと、生きると言うことに、力が抜けて、あなた任せになったからだ。

    それは、私の変化であり、魂の成熟である。
    しかし、そのことは、きっと私独りで好きなことをやっただけでは、
    味わうことが難しかったとも気付くことができた。
    子どもたちがいてくれたから。
    妻と長男と次男がいてくれたから。
    そして、心を開き、虚心坦懐に何でも語れる友や師かいてくれたから。

    そうした、かかわった他者がそこに居てくれたから、
    きっと私は、今、ここにあるように、生きられたのだ。
    「人との出会いのおかげさま」だ。

    人は、他人を鏡として、自分が分かるもののようだ。
    そのかかわった人たちの想いや、気持ちや、反応により、
    私は、その他人にとってどんな私であるかを、やっと理解できるからだ。
    私は、私自身であるが、その私自身には、
    他人とのかかわりを通して、初めて明らかになるもののような気がする。
    独りでは、自分は見えない。
    他人という鏡を通して自分を見た時、やっと本当の自分が分かる。

    私は、きっと人と人とのかかわりの中で生かされている存在なんだ。
    そして、どんなかかわりが私に与えられるのかは、
    神様の想いそのもの。
    私が決めることではなく、そう決まっていることに私が従うことなんだ。
    もし、一年前に、私がこのかかわりを拒否したら。
    この仕事への召命を断っていたら、
    今の、この喜び、落ち着き、深い平安は、なかったかもしれないと思う。

    いや、その時は、その時で、別のかかわりの中に導かれていたとは思う。
    つまり、これは、私の人としての魂の成長・成熟のためなんだ。

    たった今、灰色の雲が、トキ色に染まった。
    朝日が昇り、灰色の雲をトキ色に輝かせた。
    そして、今、その輝きは薄くなり、静けさのトキ色に変化した。

    灰色の雲は、朝日と出会うことで、トキ色の雲となる。
    きっと私も、他者と出会うことで、私の光や輝きは増すのだと思う。
    自らが光りであれば、出会った他社も光輝く。

    この一年間に、出会った全ての他人たちに、心からの感謝だった。

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