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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2019/09/14 05:56:53

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    「瞑想の会」だった

    昨日は、「瞑想の会」だった。
    鳥屋野潟近くの古民家に集まる。
    板敷の広間で、見上げると太くて黒い梁がある。
    縁側の戸を開けていると、秋の涼しい風が吹き込む。
    中秋の名月だった。
    こうろぎと、まつむしの音色が優しく響く。

    10名の集まりだ。
    みんな車座になって座る。
    「チェックイン」をする。
    今、ここの、自分の気持ちを語る。
    初めてここで出会った人たちだ。
    その人たちに、どうしてこの場に参加したかの想いを語る。

    疲れているなぁ。
    上手く行かないなぁ。
    次から次の仕事だなぁ。
    言いたいことが言えなくて苦しいなぁ。
    このままでは、心の病になってしまうなぁ。

    みんな本当に疲れていた。
    そして、それを何とかしようと日々の格闘だ。
    仕事を与えられ、仕事を請け負い、任されていたら仕方ない。
    とにかく、やるだけ。結果を出さねば評価は堕ちる。
    期末テストが散々だった高校生も来ていた。
    そうんなんだ。みんな、それなりに深く深く悩み、傷ついている。

    「ここに、来れたことの幸せです」だった。
    ここには、心の安らぎがある。
    何故だろうと考える。
    それは、みんな自分の弱さと哀しさとを、
    受け入れている人たちだからではないだろうか。
    ここでは、弱さと、哀しさと、痛みと、苦しみは、当たり前だった。
    「そうそう、あるある」。
    その場に在る共感的な雰囲気が、緊張を解きほぐし、リラックスさせる。

    何だか、人は、自分の頭で考え出してしまったものに縛られているのではないのか。
    そんなものは本当はなかったのに、
    「そうあらねばならない」「そうできない私は駄目なんだ」と、
    自分で自分のことを責めているのではないのか。
    その頭を取り外せば、空っぽになり、がらんどうになる。
    すると、今、ここで聴こえる虫の音で、精一杯になる。

    悩まない。まず、感ずる。
    感じたら、その感じたままに味わっていく。
    味わって、味わって、そのことが自分の身体に沁み入ったら、
    その感じ・感覚を、言葉に直す。
    「今、ここで、感じていることは・・・」と、語りだす。
    すると、不思議なんだが、その場の10名に共有される感覚となる。

    「あるある、それそれ」「分かる、分かる。同じ、同じ」という「あれ」だ。

    私は、「味わう」という語りをした。
    「拉麺を味わう。蕎麦を味わう。それは、対話だ」
    「私は、独りで味わうことにしている。何故ならば、自分と向き合うためだ」
    「ゆっくり、丹念に、時間をかけて、自分と対話する時間を持っていない私たち」
    「だからこそ、味わうことが大事なんだ」
    「流れて行く時間を味わう。風を味わう。虫の音を味わう」
    「それは、あの電車の車窓を通して流れ去る景色を味わうと同じなんだ」
    「過ぎ去るものを味わう。消えて行くものを味わう。失われていくものを味わう」
    「その味わうことの中にこそ、何か意味があるような気がしている」
    そんな話だった。

    それは、味わうが在り、その次に、考えるが来る。
    同事であるようだが、その微妙な後先が逆転すると、
    本来の「味わう」には、なれないような気がする。
    過ぎるこの時間を惜しみつつも、味わっている。
    それでけで、いいのではないのかという、私の「問い」でもあった。

    みんな自分がしたことに何か意味づけしたり、結果を出そうとしたり、
    他者からの評価を気にしたりしている。
    その時、自分自身とは、じっくり腰を据えて向かい合っていない気がする。

    この「瞑想の会」の秀逸なことは、
    そんな多忙で追いまくられ自分すら見失っている私に、
    私が私で居られる時間を与えてくれることではないだろうか。
    こんなにも長時間、まさに何も生産的なことはせず、仕事はせず、造り出さず、
    ただ、黙って座って、身体との対話を続けながら、
    時の過行くままにただぼーっとしている。
    それは、私たちに本来の自分に気付かせてくれる大事な時間だった。

    私は、今日から三日間の酒田旅行だ。
    何故か、この街に行きたくなり、行くことにした。
    ぶらりぶらりの独り旅だ。
    そこでは、やっぱり自分自身と向き合って、語り合うことになるだろう。
    だから、私は、旅は、独りなんだ。
    食事も独りなことと同様に、それは、自分との対話の旅でもあるからだ。

    人に気をつかうことは、とっくに辞めてしまったようだ。
    本当にとやかく言われて、もういいかと、転換をした。
    そしたら、随分と楽になった。
    我儘にまったのかもしれないが、本当に楽になった。
    少なくとも悪口・陰口を言われて、嫌な気持ちになることもないからだ。

    独りは、いい。
    10名で瞑想しながら独りだった。
    しかし、その独りは10名をボーダーレスにする、一つの独りだった。
    心と身体とがリフレッシュした。
    瞑想をみなさんにもお勧めする。

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