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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2019/09/18 05:38:43

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    観光地としての酒田

    観光には、移動手段が必要だ。
    何と酒田には観光用のママチャリが無料レンタルだった。
    それも何か所にも貸出の場所が在る。
    三日間、私はこの自転車にお世話になった。

    もう一つのアイテムは、観光用の地図だった。
    名所・旧跡・訪れる観光スポット・おいしいラーメン屋さん。
    この一枚の地図に載っている情報が、
    今回の酒田散策のナビゲーターだった。
    一筆書きで、その日の航路を決定する。
    そして、移動時間と滞在時間とを概算し、
    帰りの電車の時刻に合わせたり、
    昼食や休憩の時間を設定したりする。

    一日の行動は、分刻みの行動となる。
    だからいつも独りの気ままな旅となる。
    誰かと一緒では、なかなかこうは行かないからだ。
    行きたいところ。見たい所の意見の食い違いもあるだろう。
    だから、我儘な私は、旅は、独りで行くことにしている。

    次に、必ず行った先で、よくその場所を知っていそうな人に声をかける。
    米の一大倉庫「山居倉庫」では、ボランティアガイドのDさん。
    南洲記念館では、館長のMさん。
    北前横丁屋台村「まるもん」では、お店のEさん。
    日和山ヒョウタン島のお店のおねぇさん。
    とにかく、聴きたいことがあったら、声をかけて、質問をした。
    そのおかげで、いくつもの奇跡の出会いができた。ありがたかった。

    酒田は、元々「砂潟」と書いたそうだ。
    その後に、湊町として栄えて来ると「坂田」と書いたそうだ。
    そして、最後には今の表記「酒田」となったと聞いた。
    最上川の河口の砂丘と潟のあった街。
    それは、全くこの新潟市と同じだった。
    それも、新潟が繁栄した機縁となった「千石船」での西回り航路を、
    江戸幕府の命で考案した河村瑞賢は、
    ここ酒田で活躍した人だった。

    東回り航路は、太平洋の黒潮に押され、効率の悪い航路だった。
    そこで、逆風でも前に走る「弁財船」を使うことを考案し、
    西回りで庄内の米を江戸に直接運ぶことを、瑞賢は考えた。
    そして、西回り航路の寄港地は、
    その船での貿易で栄えることになった。
    つまり、この西回り航路が無かったら、
    かっての新潟港の繁栄は在り得なかったという話だった。

    日和山の手前の街には、相馬楼・山王クラブと高級料亭・割烹が連なり。
    その裏手の街にはかっては、廓があり、後に赤線・青線があったそうだ。
    これも全く新潟市同じだった。

    私は、酒田の街を巡りながら、何だか新潟の街を巡っているような気がした。
    日和山までここにあるのだ。

    しかし、一つの大きな違いは、大型客船が、酒田港に接岸できることだった。
    16日には、酒田の観光地は、その船で訪れた外国の観光客で賑わっていた。
    つまり、こうした外国の観光客も一つの賑わいであり、文化となっている。
    そして、2000人のこの観光客がこの街に落とすお金と言ったら、
    それはそれは大したものになるに違いなかった。
    新潟市には、これがなかった。
    いや、あっても、東港であったり、この山の下の港だったりする。

    観光都市としての開発については、
    新潟市は、酒田に学ぶことが多いと感じだ。

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