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from: クマドンさん
2019/10/23 05:35:11
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個と全体の調和とは
北区の「歌の祭典」の合唱団の稽古だった。
午前中は少しだけCDを聴いて自主練習だった。
こうして、週の途中に休日のあることは、ありがたいことだった。
何だか人生が充実した感じがする。
仕事もあり、好きなこともありだ。
私は、楽譜を読めない人だ。
読める人は、譜面を見ただけで音をとって歌える人だ。
そうしたすごい人とは、時々出会う。
私は、その人の前に座る。
そして、その人からその音をいただく。
その音を真似る。その音と一つになる。
CDでの自主練習もそうだった。
その音は、決められた一つの音。
その他に微妙に揺れる音は、ただの雑音。不協和音。
その瞬間にその高さの音を出す。
八分音符の連続や、♯や♭があると尚更大変だ。
半音ずつ下げたり、上げたりだ。
それを、感覚でしっかりと自分のものとしていないと歌えない。
YouTubeで「プロコフィエフのピアノ協奏曲の2番」の全曲だった。
あの映画のように美しいピアニストが、コンテストでの挑戦だった。
まさに目にも止まらない指さばきだ。
それも全て暗譜だった。
それはそうだろう、あの速さでの音の連続は、
身体が覚えていなければ、その音を弾き続けられはしないからだ。
身体と音とは一体となっている。
つまり、こうなんだな。
私が居て、音がある。それでは、まだまだの感覚だ。
稽古の途中で、何小節目から歌い出すことがある。
流れの中ではその音はとれていても、
まだまだ身体に全体が沁みこんでいない時は、
その音から始めることが私には至難だった。
音は、作曲家によって設定されている。
その音を、楽器は鍵盤を弾いたり、ボタンをある位置で押さえたり、
弦を指で押さえて弓を弾いたりすると、その音は出る。
しかし、歌には、その鍵盤も、ポジションも、弦もなかった。
この耳だけが、その音感だけが、頼りだった。
それが歌うことの醍醐味でもあった。
声の響きが変わってきている。
62歳ににってからも、日々の成長、進化だった。
バリトンの響きのある豊かな音だ。
昨日は、バスは二人だった。
20名以上のソプラノ・アルトにどっこい負けずに歌うことができていた。
それは、確かに自主練習の成果だった。
しかし、こうして男性が少ない現状では、
私が抜けたり、休んだりすることは難しくなっている。
だから、まずは、音を身体に入れて、沁みこますことだった。
そのために、何度も、何十回も繰り返し繰り返し練習を続ける。
実に、繰り返しは、偉大な力なんだ。
そうやって自分の音を練って行くうちに、
ぶれが修正され、一つの正確な音を出せるまでになって来る。
この一致が、歌うことの喜びだった。
その音を身体に沁みこます。
その音だけになる。
その音からぶれない。
歌うのは私ではなく、その音が歌うんだ。
不思議なことだが、本当に全体のハーモニーの中に融け込んだ時、
私が歌っているのではなく、歌が歌っている感覚になることがある。
そのあるがままの音との一体感、一致感。
何と言うかなぁ、その音は四つのパートの1つであるが、
その四つの音が美しく重なる瞬間、
その四つの音は昇華され、歌として響きをもって歌う私自身の心に沁みる。
全体の調和の中での別々な音の一体感。
このハーモニーを実感するために、私は、歌を歌い、人生を生きている。
その調和の中に、本当の道は存在している。
そのことを知りたくて、分かりたくての、日々の自主練習だ。
私がその調和に至るためには、日々の生活での精進と実践だった。
私に与えられたその道と一枚になる。
その道を外さない。
その道だけを只管歩く、歩く。
そして、その道を歩くことに慣れた時、
きっと私は、全体に調和して、
全体の中で一つになって生きられるのかもしれない。
個であるが、それは、全体の中で調和する個であるべきなんだ。
きっとそこに、心地よい生き方もあるはずだと、
合唱を通して、学ぶことができた。-
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