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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2019/10/28 05:35:46

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    閉校式での涙のわけとは

    土曜日、旧神林村立「砂山小学校」の閉校式だった。
    校舎はこのままで、そこに平林小学校と合併し、平林の児童がやって来る。
    校名は、「平林小学校」となる。
    閉校式をしても来年の4月からも、この校舎で学べる。
    児童数が増えて一層活気のある学校となるだろう。
    しかし、「砂山」という名前は消えることとなる。
    そんな閉校式だった。

    私は、その子どもたちの呼びかけと歌に泣かされた。泣かされた。
    とにかく、どんと感動が内から込み上げ、
    みっともないくらいに涙が止まらなくなってしまった。
    身体を震わせ、嗚咽しそうだった。
    私は、ここまで感動している自分自身を見つめ、
    どうしてなのかと、考えた。

    それは、本物のミュージカルと出会った感動と同じだった。
    こんなにピュアで、真っ直ぐで、素直な気持ちで歌われている歌はないな。
    あるがままが、ここにある。
    その1.2年生が。3.4年生が、5.6年生が、
    けっして作り物ではなく、日々、ここに生活しているままの気持ちで、
    その歌は歌われていた。
    それは、「優しさ」そのものだったと想う。
    そして、「友情」と「感謝」であったとも感じた。

    そうした大切なピュアな気持ちが、そのまま歌や姿に顕れている。
    その時、私の内なる「優しさ」や「友情」、「感謝」が感じて動いた。
    私の中にもあるものだから、
    私はその歌たちによって、触発され、露わになった。
    それが、私の涙なんだと、考えた。
    「美しさ」に出会うと、人は、その美しさに感動し、
    そうして深く深くで感動している自分自身に出会う。
    それは、自分自身の中で眠っていて、久しく自覚していなかった自分自身だ。

    涙とは、その自分自身との邂逅の喜びなんだ。
    ここには、自他はない。
    子どもたちの歌は、私であり。
    私は、子どもたちの歌そのままの私だった。
    絶対矛盾的自己同一だろうか。
    これが純粋経験と言われるものであろうか。
    没我のまま。歌しかそこには存在していないという不思議な感動。

    ピアノの若い男性教員の音がやかった。
    その音が気持ちとなって子どもたちの歌を支え、演出していた。
    歌に深い「意味」を持たせ、伝えていたのは彼のピアノだった。
    そのピアノの響きで、想いは触発された。
    子どもたちは、その「意味」を歌った。
    だから、あるがままでありながら、
    そこに「意味」があるから、私にはより深く感じられた。

    卒業生のSさんが作詞作曲した「ありがとう」の歌が素晴らしかった。
    いろいろとあり、時には挫折しそうになっても、
    そこに友だちが居てくれて、話を聴いてくれた。助けてくれた。
    今、私がこうしていられるのは、あの時、あなたがいてくれたから・・・。
    そんな「意味」の歌だった。
    この歌が、心に響いた。
    それは、このSさんという30代の女性が、
    その歌のまま生きたピュアな人だったからだ。

    私が6年生を担任していた時、5年生だった。
    私のことをよく覚えていてくれた。
    あの頃、私は熱血漢の馬鹿者で、黄色い鉢巻きで檄を飛ばした。
    若かったなぁ。音楽発表会ではバーンスタインの指揮だった。
    Tさんのお母さんが私の席に来て、
    「先生、あの音楽会、感動したよ」と、言ってくれた。
    ああ、馬鹿者でよかったと、いつも想う。

    私は、恥ずかしいくらい、目を真っ赤にはらした。
    Sさんに挨拶に行った。
    「先生、泣いてるよ。アッハハハ・・」だった。
    ただただ、「お前もなぁ・・・・・」と、何も言えない。
    年長さんの男の子と手を繋いでいた。
    「お母さん、すばらしい歌、つくったね・・・」と、言った。

    2年前、太田小学校の閉校式で、
    ミュージカル「春のホタル」の歌、「ふるさと」が北区フィルが演奏した。
    私は、滂沱の涙で、身体が震えた。
    あの時の感動を、こうして私は、ここで味わっていた。
    隣の私の元同僚のTは、そんな私を見て、
    「クマさんは、感受性が強いからな・・・」と、笑っていた。

    それから、二人は、村上に行き、
    焼肉屋の名店「しらさぎ」で、しこたまレバーとカルビとホルモンを、
    生ビールを飲みながら、食べ続けた。
    このお店での話は、またいつか書きたいと想っている。

    とにかく、閉校式の実行委員長の涙もそうだが、
    涙を流す大人は、やっぱりいていいと、私は思った。
    しかし、私は、ところかまわず、泣き過ぎであるかもしれないなぁ。
    「クマさんは・・・」と、またTに笑われるなぁ。

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