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from: クマドンさん
2019/10/31 05:37:06
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「瞑想の会」で話すこととは
話すことは、気持ちがいい。
何だか自分のことが、よく分かる。
心がすーっと解き放たれる。
自由になる。
心が開かれ、気持ちがとても楽になる。
それは、ここで私がやっている独白ではない。
私は、ここでも話しているつもりでする。
今、ここで、気付いたことや、分かったことを、
こうして言葉にして顕すことの喜びだからだ。
しかし、対話は違う。
ちゃんとそんな私の話をダイレクトに受け止めてくれる人たちが居る。
自分が今、ここで、感じたままを、
ただそのまんまを話すことのできる人の輪。
それが、昨夜も行われた「瞑想の会」だった。
初対面の人も居る。
何度か会っていても、どんな人かもよく知らない。
しかし、ここがとても居心地がいいから、平日の夜にここに集まる。
鳥屋野潟の傍に移築された古民家だ。
板の間に座ると、ひんやりとする。
曲がった梁は、この家の歴史が沁みこみ、どっしりと重い。
そんな中で6名の男女だった。
年齢はみんな50代以上としておこう。
私は、チェックインで、せっちゃんの臨終の話をした。
すると、その話に触発され、Iさんが、「看取り」の話だった。
そしたら、ポスビスで週一回ボランテアをしている女性が話し出した。
そしたら、次に、看取りの看護を学んでいる女性が話した。
不思議なことだが、どうも何か一つの話をしているような感じだった。
みんな人の死を見ていた。
何人もの人の死を看取っていた。
自分の家族の死を体験した。
これから死に向かう人たちの心のケアをした。
そして、人が死ぬとはどういうことなのか、
ずっと見つめた体験をしていた。
すると、やっぱり、心の話になった。
それは、魂の話かもしれない。
死ぬ人は、その自分自身の死にざまを通して、
遺される私たちに、何かを教えて去って行く。
私は、父や母やせっちゃんに、
死んでいくことの自然さと、
その亡骸には父や母やせっちゃんは居ないことと、
それでは一体どこに居るのかということと、
それは、この亡骸ではなく、
違う存在として共に居続けるのだということ。
そんな話だった。
この輪の人たちは、そのことに深く深く共感し、
「そうだなぁ」と、思ってくれる人たちだった。
その「魂」の話をしながら、ごくごくここにあることを話しているように、
自分自身もそのことは体験したと、そんな感じで共有できる。
そうした人たちとは、今、ここの気持ちを素直に話せる。
しかし、この話を職場ではきっと出来ないなぁと想っている。
家族でも同じだった。
そして、改めて、この話を素直に話し、聴き合い、共感できる人が、
本当に少ないことを感じた。
「余生では、余計なことを話している無駄な時間は余り残されていない」
「どうせ話すなら、いかに生きるか、魂と何かの話がしたい」
「それぞれの人生経験の中で深くリスペクトできた話を聴きたい」
そんな願いが叶えられる人たちの集まりが「瞑想の会」だった。
月に一度のこの会を、私は楽しみにしている。
それは、今、ここでの生活で、話せないこと。
しかし、本当は話したいこと。
それを、素直に、遠慮なく、安心して話せるからだ。
それって、とてもとても精神の癒しとなるものだ。-
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