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from: クマドンさん
2019/11/19 05:32:11
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どう生きて来たかの顕れ
昨日、あるディサービスの施設を見学してきた。
私は、叔母が倒れてから、彼女の入る施設を探したことがある。
何か所も周り、担当の職員の人からも話を聴いた。
その施設、その施設に特色があった。
昨日、行った施設は、機能訓練を提供する施設だった。
高齢なみなさんが、その機能訓練の体操を終わり、おやつの時間になった。
私は、子どもたちと一緒にその広い部屋に入り、
子どもたちがお茶を配ったり、おやつを配ったりする仕事を見守った。
私は、退職してから、本当はこの介護職に就く予定だった。
そのために、介護職員初任者研修を取得した。
この資格を持っていれば、どんな施設でも採用可能となっている。
しかし、ある事情で、今の職場に勤務することとなり、
そして、その仕事が来年の3月までの継続となった。
私のモットーは、来るものは拒まずでもある。
きっと仕事は向こうからやってくるものと、信じているからだ。
向こうからやってくるものは、私がやるべき勤めなのだ。
そこにはきっと無理がない。
だから、楽しんで続けられるのだとも想っている。
そうか・・・。介護職になっていたら、この人たちのお世話だっんだなぁと、
何だかそれまでと違った立場、見方で改めてお客様たちを見つめていた。
すると、これは、私には難しい仕事だったのではないかと、
ふと、感じた。
それは、みなさん、人生の大先輩であるということだ。
つまり、ここに座っている40名余りの人は、
私にとっては亡くなった父であり、母である人たちだ。
その人たちに私がしてあげられることは、
その人たちのお話を聴き、人生を学ぶことばかりだと感じた。
身体的な手助けはできる。
しかし、この人たちが求めているのは、その支援でもあり、それだけではない。
人は、独りで生きるのは寂しいものだ。
その心の寂しさや孤独感をどのように落ち着かせ、馴染ませるか。
一時、ここに居る時だけは、そのことを忘れさせたい。
子どもたちに寄り添って生きることは、今、私はやっている。
そのことにとても意義を感じ、使命感ももっている。
しかし、この人生の大先輩たちに心から寄り添って生きることは、
今のこんな私にとっては至難の技ではないだろうかの「問い」だった。
それから、男性だ。
気難しそうに怒ったような顔で黙って車椅子に座って俯いている人が居る。
私は、その人にどのような言葉をかけてあげたらよいのだろうか。
厳しい時代と試練とを生き抜いてここまで来た人だ。
その人の尊厳と誇りとを感じつつも、
その頑固に生きて来ただろうなぁの顔つきに、
私なんぞの若輩者は、何も言う言葉をもっていないような気もする。
実際、職員の人たちとその人たちとの会話はあまり見られなかった。
老いを迎え、日々を過ごすことの不安感と孤独感。
そのことは、全ての人たちに言えることだった。
本当は身体的な介護よりも、その死に向かいつつある心の介護。
そのことを求めてこの人たちは、このテーブルを囲み、話をして、お茶を飲む。
若い職員が多いのが、この現場だ。
そのお客様であるこの人たちの愁訴感や孤独感を、
若い人たちはどれだけ自分自身のそれとして感じられているのだろうか。
やはり、「死」を身近に想ってから、
人生のものの観方・感じ方は変わると思う。
その一線を超えてここにある人たちと、まだまだその一線の向こうに居る人たち。
共感と共振とは、現実的に難しいのだと自然に感じた。
1人1人の輝きは、まさに紅葉の輝きだった。
光り輝く人もいる。いぶし銀の人もいる。深い茶色の人もいる。
みんなきっとその色に戻り、還りつつある人たちだ。
黙って人と話さずにお茶を飲む人もいる。
ずっと笑顔でいる人もいる。
見るだけで優しさを感ずる人もいる。
なかなか声をかけにくい人もいる。
たった1時間の見学・体験だったが、
何だかたくさん学んだような気がしている。
しかし、その学びは何だったかは、もう少し時間をかけて考えたい。
とにかく、こうした高齢者の皆様と出会うことで、
私は、老いと孤独と、生きていることの尊厳と誇りとを感じる。
さてさて、私もそうやって生きられるかの「問い」は、
きっと死ぬまで続く「問い」だと思い、施設を後にした。-
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