サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: クマドンさん
2019/11/22 05:46:06
icon
ゲーリーカーは、円熟だった
円熟だな。
コントラバス奏者のゲーリーカーのコンサートだった。
りゅうとの舞台にピアノとコントラバスだけだ。
そこに好々爺の白髪のダンディーなおじいさん。
その人がコントラバスを抱えて演奏しだすと、
心ときめき、惹きこまれた。
何だろうなぁ。
「俺が、やる」「俺の、演奏を聴け」がない。
とにかく、演奏そのものを楽しんでいる。
だから、力まない。そのまんま。笑顔で弦を引く。
その生き方そのみのが、彼の音として伝わって来る。
私は最前列の席だった。
すぐそこに舞台があった。
彼は。5~6m先に居る。
彼と言うヒューマンビーイングを感じた。
彼は、きっと飄々と、こだわりなく、いつも笑顔で生きていね人なのだろう。
その人柄が、音にになった。
だから、「いいなぁ」「好きだなぁ」となる。
歳をとるなら、こんな風に歳をとりたいものだと思った。
もし、私が彼のように79歳になれたら、
どんなことを思い、どんなことを感じて生きているのか、
その日のことが何だか待ち遠しくもなって来た。
62歳にして、分かったことばかりだ。
私の生き方からも、力が抜けた。
「ああ、そうだったんだな。ここへ行くんだな」の気付きだった。
私が円熟した老いを私は求めてい。
老いることは、自然なことだ。
私の憧れの人たちは、老いるどころか、既にこの世には身体として存在しない。
みんな、そうなる。みんな、老いる。歳をとる。衰える。
だから、逆にそうだから分かることがある。
そうだから、新進気鋭の演奏者には、絶対出せない音が在る。
私は、その円熟した音を聴き、円熟の姿を見て、聴いて感動していた。
老いることは哀れなことでは決してないのだ。
人としての理想形。
かく老いることが、生きることの目的だ。
彼の話を、彼の生き方の哲学を聴きたくなった。
ハーモン・ルイスのピアノもいい。
大親友だ。
何でも分かり合える友である。
お互いに尊敬し合い、絶対の信頼を寄せあってている。
二人はカナダの家で同居している。
そして、世界中を演奏旅行しているそうだ。
彼が居るから、私が居る。
円熟には、こうした魂を分かち合える友も居て欲しいものだ。
老いるという言葉とは全く違う彼の粋でハイセンスな有り様だ。
老いるは、ないなと、私は感じた。
私も、どこも老いてはいない。
それは、生物的に衰えているところばかりかもしれないが、
老いるとは、ただ若さとの比較だけで言える言葉だ。
何も、老いては居ない。
彼は、確かに79歳の今、ここの、この刹那の音を求めて、顕した。
そして、その音とは、円熟した彼だけの達観した音だった。
正しい音程を求めているわけでもなく、
魂で感ずるままに、感じたように、表現する。
そして、その顕すことを、こよなく心の底から楽しんでいる。
ピアニストの音もそうだった。
それは、森をわたる風の音。せせらぎの音。鳥の鳴き声。静けさの音。
ああ生きたいなぁ。
つくつぐ二人を見ながら、そう思った。
「歳をとらないと、分からなかったね」と、この言葉が私の目標だ。
「そうか、歳をとると、分かるのか」
二人の演奏を聴きながら、歳をとることの「意味」をも味わうことができた。
私も、昨日より少しだけ歳をとった。
それだけのことだが、それだけのことを当たり前として受け入れる。
目指すは、ゲーリーカーおじさんだな。
ラフマニノフのヴォカリーズは、魂に沁みた、沁みた。
円熟した味わいそのものの。
人生は、音楽なんだな。
ゲーリーカーおじさんのように、歳をとりたいと心から願っている。-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
icon拍手者リスト
-
コメント: 全0件