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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020/03/10 05:26:23

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    全てはここにある事実だよ

    「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、
                   まだ見ていない事実を確認することである。」
                       ヘブル人の人への手紙、11章1節

    さてさて、日曜日に小千谷のSさんと電話で話した。
    話し出すと、1時間はあっという間だ。
    そして、話していることは、
    お互いの生活の中で気付いたこと、幸せを感じたこと、喜んだことだ。
    何だか不思議だが、二人とも幸せに生かされている。
    そのことを実感しているので、
    深く深くで話がつながる。

    Sさんは82歳だ。
    きっとこのまだ夜明け前の時刻に、
    ストックを両手に持って、小千谷の自然の中を散策していることと思う。
    自然の中で生きる人は、自然のことを感じられる人だ。
    その人は、決して頭の人ではない。
    その人は、決して理屈の頑固な人ではない。
    その人は、決して世間だけを大事にしている人でもない。
    その人は、自由な人だ。感性の人だ。
    その人の言葉は、言葉として感性に伝わる。魂に響く。共鳴する。
    そのことが楽しいから、話をする。

    身体を動かすという話になった。
    私の職場で悩める20代後半の後輩がいる。
    彼は、人間関係の中で追い込まれ、苦しんでいた。
    だから、いつも考え、想い、そして、悩む。
    そうやってじっと悩んでいても、何も状況は変わらない。
    かえって、心が暗くなる。絶望すら感じてしまう。

    そんな時は、身体を動かす。
    掃除する。整理する。整頓をする。断捨離をする。
    身体を動かしている間は、そのことだけに集中している。
    先日、私も長年手を付けていなかった座敷を大掃除した。
    そこに置いてある茶箪笥の中までも片づけた。
    亡くなった父や母が大切にしまっていた家族の写真や、手紙が出て来た。
    私は、父と母の家族への愛情を感じ、深く深く心に沁みた。

    そうやって時間を過ごす内に、床の間もすっかりと整理され、
    何年間もかかっていなかった掛け軸も再びそこに下がった。
    父と母が生きていたあの頃の座敷に戻った。
    縁側にはまだキャンプ道具や衣類があるが、気にしないことにした。
    すっかりと片付き、すきっとしたら、
    何だか仏壇の掃除もしたくなった。
    ずっと確かにそのままだった。
    やりたいことは次々と目の前に現われた。

    夕方6時近くだった。
    私は、くたくたになって、休憩した。
    こころが、何だかとてもとてもすっきりとしていた。
    「ああ、こうなることに決まっていたんだな」の確認だった。
    身体を精一杯使って動いたことで、無心になっていたことにも気付いた。
    これをSさんと、よく確認をする。

    頭の人とは、もう話す気は無くなっている。
    世間のことばかり言う人たちもそうだ。
    もっと避けて通りたいのは、「俺が、俺が」の人たちだ。
    何だか頑固で、威張っていて、自分の言うことだけが正義だと勘違いしている。

    もっとすっきりと、爽やかに、気楽に生きたい。
    だから、身体を動かす。身体を使う。
    すると、本来が見えて来る。
    「ああ、これでいかったんだな」がよく分かる。
    これは、頭で考えていても絶対に至らない境地だった。
    身体で実感を通して分かったことは、
    同じように身体で感じ、考えている人には、以心伝心で伝わるものだ。
    「あ、うん」だな。

    すると、もう悩まなくていいと思う。
    それは、そうした状況に陥る人との関係性から離れたところで、
    のほほんと、自由に、気ままに生きているからだ。

    それは、それでも嫌なこと、腹の立つこと、いらいらとすることはある。
    しかし、それにこだわらないで、ほっておく。
    必ずものはなるようになると信じているからだ。
    それしかないとは思わない。
    目に見えるものだけを事実とはとらえていない。
    見えないからこそ、それが本当の事実となると、信じている。期待している。
    実際に、振り返って見たら、二人の人生はそうなっていた。

    自分の思い通り、自分が決めた通り、自分が得するようには、
    人生は、なってはいなかった。
    それでは、どん底・絶望・暗闇なのかと言うと、全くその反対だ。
    自分で我を通そうとする時は、確かにどん底・絶望・暗闇の連続だ。(笑)
    しかし、「お任せします」「おすがりします」と、助けを求めると、
    それは、自分の予想とは想いとは全く違う現実であっても、
    それなりに、ベターな幸せな状況に至るという実感を共通に持っている。

    「何とかなるさ」「何とかなってきた」「何とかなっている」
    私も、Sさんも、今、ここに幸せを感じている。
    ただ、ただ、こうやって生かされていることへの感謝だった。
    だから、「欲」は無い。

    自然の中で感動しながら、きっとSさんは歩いているはず。
    全てのことは既に与えられている。
    もうこれで十分すぎるくらい十分なんだ。

    その気付きを、樹木や鳥たちが、教えてくれる。

    まだ見えていないのではない。
    ここにあるが、まだ見ていないだけなんだ。

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