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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020/03/13 05:38:29

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    弱さのまま生きる

    「なぜなら、私が弱い時にこそ、わたしは強いからである」
                  コリント人への手紙第2章 10節

    私は、本当に弱い人だ。
    そう自覚したら、本当に楽になった。
    人に強がることも無く、弱さのまま生きればいいからだ。
    「あいつは、弱いやつだ」と、馬鹿にする人が居たら、
    その人こそ、人として弱い人なのだと私は感ずる。
    弱い人には、助け手が現われる。
    逆に、強い人には、助ける人が無く、孤独だからだ。

    本当は、人は、独りでは生きてはいけないものだ。
    家族がいたらその家族と、
    友達がいたらその友達と、
    ご近所の人がいたらその人と、
    人は、きっと繋がりながら、生きているはず。

    その繋がりを断たれてはいけない。
    きしてや、強がって、弱さをみっともないと思い、
    助けを自ら求めることをやめた時、
    きっと人は、孤立する。
    そして、孤立することで、弱さはもっともっと増幅される。
    分断され、壁に囲まれた中で、孤独のまま生きることは、
    とてもとても苦しく、辛く、哀しいことだ。

    誰かが居てくれる。
    誰かが心配してくれる。
    誰かが親身に話を聴いてくれる。
    これは、その弱さの人にとっての生きる力となる。

    Aという男がいる。
    彼は、「助けてーーー」の名人だ。
    なかなか現実の人間関係で苦労をしている。
    いや、ターゲットとしてある女性から迫害を受けている。
    辛くて、辛くて、泣いたことも数々だった。
    それでも、彼が、自分を発揮して生きていられるのは、
    彼が、「助けてーーー」の名人だからだ。

    その職場の男性数人は、Aのカウンセラー、相談相手、愚痴の聞き役だ。
    彼は、辛く、苦しいことかあると、直ぐに話に行った。
    そして、時には、飲み会を設定して、話しを聴いてもらっていた。
    みんなは彼の苦しい立場を理解して慰めた。
    そして、そのことを上司にも相談をした。
    彼は、「弱さ」を生きた。だから、救われた。

    Bという男は、その反対だった。
    直接主任からのパワハラもろに受けていた。
    それは、Aと同じような状況だったが、
    彼は、その自分の「弱さ」を認めながら、認めないとしていた。
    自分は「弱い」のであるが、そうではない自分を夢想していた。
    現実は、辛く辛くて、仕事が回らず、あっちこっち行き詰っているのに、
    そのことを、露わにしなかった。

    上手くいかない仕事の現実に、彼は押しつぶされそうだった。
    それなのに、彼は、Aのように相談しなかった。
    ギブアップを言わなかった。
    愚痴すらも言わずに、職場では黙ったまま、独り黙々と格闘していた。

    その現状を周りの男性は知らなかった。
    Aは、分かりやすく「助け」を求めた。
    Bは、全くそんなことは私にはありませんと「助け」を求めなかった。
    さて、どちらが「強く」生きられるかだ。

    現実は、こうなった。
    Aは、押しつぶされても、何とかはねのける力を得た。
    認知を変えた。その人は、変わらない。変わるのは、自分だと悟った。
    だから、泣かなくなった。
    ぺしょんと潰されることはあっても、耐える力を培っていた。
    そして、いつも心配する同僚が、声をかけた。
    「最近、どうだ?」「辛くないか?」と。
    その言葉に、彼はほっとした。心がすっと軽くなった。
    独りではない。分かってくれる人が居る。その安心感だ。

    ところが、Bはどうしたか。
    ある時、これまでの全ての事実が露見した。
    できていなかった、やっていなかった現実が、露わになった。
    どうしてこうなる前に、誰から相談しなかったのだろう。
    彼も、Aとは違う主任からパワハラを受けていた。
    その主任には、その自覚は全くなかった。
    手助けしているつもりが、自分が彼を精神的に追い込んでいることが分からない。
    だから、そのことを日々続けた。
    そして、彼は、どんどん精神的に疲弊して、弱さの極みに追い込まれた。

    しかし、彼は、「助けてーーー」が、絶対に言えない人だった。
    周りの同僚が心配して声を掛けても、「大丈夫です」と、言う。
    本当はとてもとても大丈夫ではない状況なのに、
    「教えてください」「どうしたらいいか分かりません」が言えない。
    弱音を吐けない。
    きっとそうやって生きて来た人だからなんだと思う。
    「弱い」と、「馬鹿にされる」。
    「弱音を吐いたら」「駄目なやつだと思われる」。
    「弱いやつ」は、「捨てられる」。

    強く偉い父親をもつと、なかなか生きずらいものだと感ずる。
    彼は、弱音を吐くことから逃げて来た。
    彼は、人から教えてもらうことを拒否して生きていた。
    助けられる、教えられることは、
    彼のプライドが絶対に許さないからだ。
    彼は、同僚からのアドバイスを聴かない。
    その通りにはしない。しかし、自分勝手にやった仕事は失敗する仕事だ。

    彼の弱さは、自己否定に至る弱さでもあった。
    自尊感情や、自己肯定感をもてないまま、大人になってしまった弱さだ。
    「助けてください」「教えてください」「どうしたらいいのですか」
    それで、いい。それで、よかったのに、彼は、それを自ら拒んだ。

    そのBは、今は、どうしているのだろか。

    弱さを認める。
    私は、弱い人だと、人にも言う。
    だから、「助けてください」も言える。「教えてください」も言える。
    その時、助け手と繋がる。
    誰も弱さを馬鹿にしたり、駄目なやつだと思ったり、否定したりしない。
    人は、されは自分も弱い人であることを知っているからだ。
    だから、あの日の私だと思い、本気で助ける。教える。話を聴く。

    Bは、残念ながら「強がる」ことで、その優しさと出会ないまま、
    大人になってしまった。
    ある日、ぽつんと言った。
    「私は、本当の自分が分からないんです。自分が無いかもしれません」と。

    パウロは、Bだった。
    しかし、イエス様に呼ばれ、選ばれ、Aになった。
    そして、身体には弱さの障がいを与えられながら、
    あの獅子奮迅の活躍をした。

    自分の弱さを認める。
    そこから、本当の人生は始まる気がする。

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