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from: クマドンさん
2020/03/15 06:04:56
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フクシマ50
さてさて、土曜の午後は、ドランカーだ。
2軒のイタリアンをはしごして、ワインを8杯飲んでしまった。
そして、古町から歩いてシネウインドに向かい、
「男と女」を観た。涙だったな。実は、この映画は2回目だった。
先日、「フクシマ50」を観た。感動で身体が震えた。この感覚は久々だった。
真実のもつ迫力とでも言うのか。
映画は、人間を人間として描き切った時、
それを観ていた私の内面に大きなはたらきを及ぼす力をもっている。
造り物の映画には、その圧倒的な迫力と臨場感は存在しない。
あの「1917 伝令」でもそう思ったが、
本物は本物としての真実の力をもっている。
きっと私は、そま追い詰められた困難の中で、人間はどう自分自身と闘い、
弱さの自分に気付きながら、
どうにもできない自分の無力さを感じながら、
それでも、逃げずにその使命を命懸けで全うする。
その生きるの圧倒的な姿に、魂が震え、感動するのだと、改めて思った。
メルトダウンを起こそうとしている原子炉だった。
そこに残された当直の主任伊崎とその部下たちだった。
とにかく原子炉の温度を下げるために注水が必要だ。
その作業の為に奔走するが、政府から突然の待ったがかかる。
電源を復旧するために、自動車のバッテリーをかき集めて、それを繋ぐ。
全体の圧力を下げるために、放射能の致死量ぎりぎりの限界まで耐えて、
バルブを開ける。
しかし、圧力が異常に上がり過ぎて、たどり着けない作業員たち。
今、ここで、何とかしなくては、原子炉が爆発して、
チェルノブイリの10倍の放射能が拡散される。
そうすると、新潟県を含めた東日本全体は廃墟の街となる。
そこは全て放射能に汚染され、
人が住めるどころか、土や空気や森が放射能を浴びて、
全く命が育たない死の土地となる。
その恐ろしさを知っているから、逃げない。留まる。とにかく闘う。
この闘いに負けた時、日本の半分は放射能の土地となる。
どうして人間は、自分ではコントロールできない、
こんな放射能をまき散らし、人々の故郷を奪い、生業を奪い、自然を奪う、
こんな恐ろしい原発なんぞを造ってしまったのかの問いだった。
原発を造ることで、原発マネーがバラの蒔かれる。
これは、高浜原発に限ったことではない。
建設業者や大手ゼネコンが、何億もの仕事を受注する。
どういうわけか日本の原発は過疎の村に造られる。
仕事ができる。お金が落ちる。道路ができる。公共施設が立ち並ぶ。
そうやって「明るい未来 原発の街」と讃えて来たし、恩恵を被って来た。
しかし、一度、そのシステムが崩壊し、危機に瀕する時、
それを止める術は無く、臨界に達し、メルトダウンを起こしてしまう。
人間が防護服に身を固め、真っ暗な建屋の中に飛び込むしか方法はない。
いざとなった時、何も手を施すことができないこんな化物を、
どうして人間は、未来のエネルギーと讃えて来たのだろうか。
今、こうして見ると、巻の原発に反対して立ち上がった町長の偉さを感ずる。
そして、福島第一原発のこの悲惨な事実を目の当たりにしながら、
未だに収束の目途が何も立たないまま、
あの原発の処理のために25兆円と言う無駄な税金を使わねばならないのに、
原発とは、恐ろしい放射能なんだと分かっていながら、
まだ、日本中の原発の再稼働を虎視眈々と狙っている利権やたちがいる。
現場の陣頭指揮を吉田所長が執っていた。
しかし、それに対して、首相の思惑や、本店の会社を守るための配慮によって、
作業はブレーキをかけられ、
現場での作業の変更を命じられ、
勝手な指示命令だけが一方的に与えられる。
それに対して、怒り、怒鳴り、嘆き、途方に暮れ、
それでも、やり遂げねばならない現実の最中で闘い続けた彼だった。
これは、決してヒーロー物の映画ではない。
人間が、人間の尊厳を賭けて、
守るべき故郷、家族、その自然。
それを自分たちが守らねばならないという極限状況に置かれた時、
自分の命すら顧みずに、闘った人たちの真実の物語だった。
命懸けの時、人はその人だけに天が与えた「使命」に気付く。
「ああ、この瞬間のために、私は生かされて来たんだ」との自覚。
しかし、その「使命」を「使命」として、全うした選択ができるかどうか。
その「使命」とは、「ここで死ね」であるかも知れない。
人には、きっとこうしたその本来の「使命」を目の当たりにせざる得ない瞬間。
そんな瞬間に出くわすはずだ。
その時なんだ。
その人を決めるのは。
吉田所長、伊崎主任、そして、当直の作業員全員が、そこに立たせられた。
「逃げること」は、できる。
そのことを批難する人は、居ない。
しかし、その後は、どうなってしまうのか。
メルトダウンを起こし、大爆発をする。
放射能は容赦なく、東日本全体を覆い被る。
そこは、既に取り返しのつかない死の土地となる。
それは、予想される事実だった。
だから、そのことを防ぐために、この命を使う。
火野正平がとてもいい。「俺が、行く」だな。
しかし、なす術も無く、炉心の溶解は進み、万事休すであったその時、
大爆発は起きず、原子炉の圧が下がり、鎮まって行ったのだった。
まさに、信じ難い鬼籍によって、東日本は救われた。
これは、人が行ったことではない。
天が行った奇跡なんだ。
しかし、この奇跡は、二度めにも起こるとは考えられない奇跡である。
だから、もうやめにしないか。
この映画を日本中の人たちが観て、感じたままに行動しよう。
それでも、原発の再稼働をしたいと言うなら、
まず、自分があの原子炉建屋の中に入って、被爆してみることだ。
放射能は、目には見えない。
被曝すると、身体の中で細胞を破壊する。
そして、そうなった身体を治す手立ては、全く存在していない。
致死量の放射能なら、即死だった。
被爆した人たちの後遺症は辛く、切なく、死に至るばかりだ。
それを、電気のために、容認するのか。
この映画を観た後で、原発再稼働は、人間であったら誰も言えない。
それで儲けようと利権を求める人たちは別の話だ。
とにかく、この映画は、日本の国民は診るべき映画だ。
特に、原発のある市町村の人たちは、ぜひ観て欲しい。
そして、心に顕れた答えのまま、行動してほしいと願っている。
本物だ。真実だ。物語とは、それを伝える命の息吹だ。-
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