サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。
-
from: クマドンさん
2020/03/30 05:48:12
icon
小さな庭のシンプルな教えとは
二日間、天気がよかったので、庭で仕事した。
庭で花や樹々のお世話をすることは、
私にとっての大きな喜びである。
庭には野趣たっぷりな自然がまんまでいてくれる。
その中で、私は花や野菜を育てている。
プランタの中にはビオラ、パンジー、ナデシコだった。
この冬を花のままで生き抜いた花たちだ。
寒さの中では、しっかりと根が育つ。
そのために、春になったらぐんと旺盛に光り輝く。
花には、厳しい寒さが必要だ。
しかし、もうすぐやって来る春の為に、
その冬のままの花を摘む。
何故なら、その花の下に
、小さな新しい花芽がたくさん育っているからだ。
その花芽たちは、自分の順番が来ることを待っている。
本当に、紡錘形の小さな小さな蕾のままに、
下を向いて、幼稚園の園児のように、心ときめかせ、待っている。
だから、まず、役割を終えたその花たちを、私は積む。
確かにせっかく咲き続けているのに可哀想ではある。
しかし、不思議なことだが、
この先輩の花たちを積むことで、
後輩の小さな花たちは、喜んで、その花を開く。
これは、花屋のマスターから教えられた秘訣だった。
命は、確かに、連続していた。
途切れることなく、そのプランタの小さな世界で繋がっている。
そのことを、いつもこの季節に確認をする。
今、私は、その小さな蕾たちが、開花する日を待ち望んでいる。
プランタの土を興す。
固くなっている土に、手持ちのスコップで、土をほぐす。
すると、土が喜んでいるように感ずる。
「春ですよ」「出番ですよ」「また今年も頼みますね」。
そう呼びかけながら、プランタの中の土を興す。目覚めさせる。
塊は、私が両手でもんで、柔らかな土に変える。
水分を含んだどろどろの土になる。
プランタの中には、細くて白い根っこがびっしりとはびこっている。
それも、次の命には肥料となる。
枯れたまま、根っこを生かしている固い茎がある。
私は、この根っこが生きている限り、
この茎には命が宿っていると信じている。
だから、それを他の花壇に集団移転する。
お引越しだ。
不思議なことだが、その植えた周りから小さな芽をだすこともある。
勝手に死んだと思わないことだ。
強くたくましい根っこがあったら、
まだ生きると信じて、養生をしてあげることだ。
次に、高枝ばさみで、茂りまくった松の剪定をする。
向かいの家に来た庭師が、我が家の松を見て、
「ふん、ありゃ、素人の仕事だなぁ」と、
馬鹿にしていたとAさんに言われた。
その一言が、私の俄か庭師として闘志に火をつけた。
「やったろうじゃ、ねぇか。今に見ていろよ」だったな。
実は、この高い高い松の枝を、
あの何メートルある長い棒を持って、
その先っぽの鋏で枝を切ることは、なかなか大変な仕事なのだ。
まず、どこを切るかを決める。
「ここだ」「ここだよ」と、茂った松が呼んで来る。
「おっ、分かった。そこらな」と、見上げて伸ばす。
茂った枝をかき分けて、その枝に鋏をかける。
ぐっと手元のレバーを引いて、手応えを感ずる。
もっと高い枝を切るためには、床几台の上に上がる。
脚立に跨る。
そこで、長い長い棒を不安定に伸ばす。
見上げてばかりで、首が痛い。
昨日は二度も松のゴミが右目に入った。
ほとほと疲れても、それでも止めない。
それは、どんどん少なくなり、
お互いがお互いとしてはっきりと分かる枝の間隔となる。
そのことが、気持ち善い。
切り取った松の葉が、大袋二つになった。
すっかり坊主になったしまった松だった。
また向かいの庭師に言われるはずだ。
「これだから、素人は、どうにもならねぇ」と。
私は、夕方、くたくたになったまま、
その庭仕事をお終いにした。
ツゲたちの散髪も、その時、終わった。
さてさて、この花や松や、樹々たちに教えられたことは何だろう。
私が体感したことを、そのまま、人の生き方に置き換えてみる。
すると、やっぱりこの小さな庭の自然には、
いかに生きるかの教訓に充ちいた。
それを私は、学び、体感し、言葉とする。
すると、自然に従った、素直な生き方ができるようになる。
シンプルは、ベタァなんだな。-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
-
サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。 - 0
icon拍手者リスト
-
コメント: 全0件