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from: クマドンさん
2020/03/31 05:46:37
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花は種を遺す。人は何を遺すのか。
さてさて、3月31日。
今日で私の仕事は一区切りをつける。
2年前の9月からの勤務だった。
突然のオファーだった。
初めは三か月間の約束だった。
しかし、子どもたちと共に居るうちに、続けようと思った。
二人の女子を卒業させたかったからだ。
出会いとは、私が求めるものではない。
そうやって、向こうからやって来るものだ。
まさか、こうした出会いが私を待っていたとは、
誰も知り得ることはできなかった。
それでも、私だった。
そして、その子どもたちの担任となった。
そして、語った。笑った。泣いた。学んだ。
そして、私も、子どもたちも変わった。成長できた。
それが、この出会いの何よりもの収穫だった。
小千谷のSさんと、対話した。
「不思議だなぁ」を信じられるかという話だった。
私は、かっては、その線のこちら側に生きていた。
こちら側は、人間のどろどろの世界である。
「俺が」「俺が」の世界であるかも知れない。
彼も、私も、学校の森造りと、学校ビオトープで、実践を重ねた。
パイオニアとしてのそれなりの評価を得て来た。
助成金もいただき、マスコミからも認知された。
しかし、今は、そこをすっかり離れた。
不思議だなぁの、その向こう側から、
今は、かっての私たちのような人の世界を俯瞰している。
それって、神様の視点かなぁ。
とにかく、俺がからは、遠ざかった。
その誰が一番の世界から、すっかりと足を洗った。
そして、Sさんは、学校の森を次世代に引き継ぎ、
早朝の小千谷の街と自然との散策に入って行った。
私は、せっせと庭で花たちを育て始めた。
すると、私たちが、そのどろどろの世界から離れて生きる訳が分かった。
自然には、その答がずっとずっと受け継がれていたからだ。
「命は、終わらない。」
「命は、受け継がれる。」
「命は、永遠に連続する。」
そのことに、何だかお互いに気付きつつあることに、気付いた。
「そうか、終わった命は、一つもないのか・・・。」だった。
しかし、人は、死を迎える。
死とは、人だけに在るのではないかの問いだった。
ならば、その死を見つめよう。
その死を味わおう。
人にとって「死」とは、終わりなのか。
確かにこの身体は、遺体となり、焼かれて骨となる身体だ。
しかし、この身体にこそ、自然である人の本質が隠されている。
私は、プランタの花たちを見るにつけて、
私のこの身体のことに思いが到る。
生かされている命としての身体と、
このプランタのビオラやパンジーたちは同じなんだという自覚だ。
花たちは、最期に種を遺す。
そこに、命を託す。だから、命は、永遠に続く、終わらない。
その花も、祖先の小さな命の結集で在り、証明だった。
この花の命の始まりは、いつ、どこなのか。
それは、永遠としか呼びようのない時間の流れの中にある。
そして、その永遠は、このコロナでも絶対に途切れるものではない。
ずっとずっとこれからも、私たちがこの世を去った後でも、
その命は、果てなく、遙か彼方へと続くはずだ。
不思議だなぁで生きられる人には、その確信が与えられる。
それは、今日、今、ここを、生かされていることへの感謝があるからだ。
自分自身が、ここで、こうやって生かされていることを、
不思議だなあと深く深く感ずることができるからだ。
では、私は、この命をどうやって繋げ、伝え、続けていくのかだった。
身体は、老いる。朽ちる。病に侵される。最期は死を迎える。
難病の人も、癌の人も、私も、Sさんも、必ずいつかは死を迎える。
それを早いとか、遅いとかという問題としてとらえない。
死を全ての人が迎えねばならないのだと言う真実でとらえる。
だから、どんな人でも、死は在る。
私の死は、突然やって来るかも知れない。
脳溢血・心筋梗塞・くも膜下出血等等。
交通事故死・空から鉄骨が落ちて来たり、突然車が飛び込んで来たり、
まぁ、その日無事に生きられたことを感謝することだとも思っている。
突然の腹部の激痛で何度救急車のお世話になって入院したことか。
とにかく、死は、日常。予想はつかない。いつか、突然。
そう思って生きていると、今日、こうして生きていること自体、
「不思議だなぁ」と感じられる。
だから、感謝だった。
さてさて、話を戻そう。
死は、日常である。生かされていることは、恵みだった。
そう思って日々を生きると、生き方そのものが違って来る。
これは、本当だ。
「いつか死ぬ」「必ず死はやって来る」「さて、どう生きるか」だな。
「善く生きる」ためには、自分の命の限界を知る必要がある。
「生涯」とは、生きて行ったらいつかその終わりが来るのだという言葉。
さてさて、その始まりと終わりのスパンの中で、いかに生きるかの問い。
Sさんとの対話の終わりは、
「だから、生きている姿そのものを遺すことが、私の使命ですね」の気付きだった。
「スカーレット」の武司は作品を遺した。
私には、そんな実力も才能も無いことは分かっている。
こうした平々凡々な私にも遺せることとは何か。
それは、その人らしい「生き方」そのもののような気がする。
その生き方に出会った人の魂に、
その人は、生き続けられる。
さてさて、私は、誰かの魂に死んでもずっと私として生き続けられる生き方を、
与えられることができたのであろうか・・・・。だな。
花は、種を遺す。
人は、生き方を遺す。
だから、人は、「どう生きているか」が大事なんだな。
Sさんと、深く深くで肯いた。-
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