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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020/05/28 07:32:06

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    「なんとかなるさ」「大丈夫」「まぁ、いいか」

    昨日は、辛い日だったな。
    下水のマンホールの工事だった。
    午前9時に担当の監督が来た。
    「昼過ぎには終わると思いますよ」とのことだった。
    そして、工事担当の若者が二人来た。
    さっそく、庭にある今あるマンホールを掘り始めた。

    しばらくして驚いた。
    その周りにずっと敷いていた芝生が10枚くらいはがされていた。
    マンホールの周りの芝生ははがさなければという話だった。
    今年は、ここの芝に気を使い、やっときれいにはれたと安心していた。
    その芝をはがれてしまった。
    「こんなはずではなかった・・・」とは、後の祭りだ。

    もうはがされてしまったものは仕方ない。
    後は、私が自分の心を静めるだけだ。
    しかし、その穴掘りの工事が一向に進まなかった。
    トイレは近くの叔母の家を借りた。
    11時になっても1人の若者がぼーっと穴を見つめている。
    もう一人の若者の姿は無かった。

    何と接続のためのパイプに不具合があり、
    それを買い求めに行ったのだそうだった。
    これでは昼までに工事は終わらないだろうとの予想だった。
    私にも、午後からの予定があった。
    しかし、このまま工事を任せていくわけにも行かない。
    強制的なstayhomeになってしまった。
    ここでまた、心のイライラが発生した。

    昼を作って食べてから、仕方ないのでBSで「ライムライト」を観た。
    チャプリンの踊れなくなった若いダンサーに語る言葉が身に沁みた。
    舞台から遠ざかり、仕事が無くなった老喜劇役者が彼の役だった。
    彼もまた、プライドから頭を下げることなく、
    仕事をただそのアパートの一室で、酒を飲んで待っている男だった。
    彼は、踊ることに絶望し、自殺未遂した彼女に、
    「生きる力」と「再び立ち上がる勇気」と、
    その力は、この自然に与えられているように、
    「君にも神様は与えている」と彼女を奮い立たせるために語り続けた。

    そして、目覚めた。
    その言葉は、失意の中で酒浸りの自分に対しての言葉でもあったからだ。
    彼は、エージェントから何年振りかで舞台の仕事をもらった。
    そして、舞台に立った。しかし、全く受けなかった。
    往年の名喜劇役者が、ぼろぼろになって舞台を降りた。
    そして、舞台が怖くなり、生きることへの自信を失った。
    その失意と絶望の彼を励ましたのが、彼女だった。
    彼が彼女に語ったように、奮い立たせるために、「勇気」を語った。
    そしたら、歩けなかったその足で、立っている自分自身を発見した。

    私は、この映画を観ながら、時々、階下に降りて、庭の作業の進捗を見つめた。
    この芝をこんなにしたのは、この人たちのせいではなかった。
    この人たちは、ただ穴を掘って、細い管に交感せよ言われただけだ。
    だから、不具合があれば、新しい官を購入しに行き、
    その官を設置するために、芝をはいで穴を掘っただけだ。
    それも、途中から冷たい雨になってしまった。
    本来は、昼で終わる作業が3時過ぎまでかかってしまった。
    そして、全部完了したら、その芝をせっせと並べ直してくれた。

    官の上が、何20㎝も地面から立ち上がっていた。
    「これで、終わり?」の驚きだった。
    「これでは危ないですよね」と私が言うと、
    「どうしましようか」と、笑顔で職人さんに言われた。
    さんざんな工事だった。
    つくづく、人には頼めないのだと、がっかりとした。

    しかしだ。
    実は、何でもそんなものではないのかと、自分に言い聞かせもした。
    つまり、思い通りには絶対に行かないという事実・真実だ。
    本当は、この工事には乗り気ではなかった。
    しかし、いつかやらねばならない工事であり、
    芝の被害はその周りだけと聴いていたからお願いした工事だった。
    それも、午前中で終わると聞いていた。
    しかし、現実は、全く予想外の展開だった。

    そのために、私の心は乱れ、イライラが募った。
    午後からの予定はキャンセルとなり、
    思うようでないことで、何だか落ち込む私でもあった。
    弱いものだと、つくづく感じた。
    こんな工事だけで、感情をぶらしてしまうこのちっぽけな私だった。

    人とかかわるとは、こういうことなんだな。
    私は、いつも独りで庭を観て暮らすだけだ。
    人とは、話すこともあまりない。
    だから、きっと心が落ち着く、平安でいられる。
    しかし、人とかかわり、こうして人に何かを頼んでやってもらうと、
    私の思いと相手の思いとで不具合が起きる。
    そのことが、私のストレスとなり、私のことを苛立たせる。
    弱い男だと、つくづく感じた。

    踊れなくなったバレリーナ。
    全く客から受けない喜劇役者。
    その失意と絶望には、原因があった。
    それが、弱気であり、諦めであり、自信喪失であり、失敗でもあり。
    つまり、心の在り方そのもので、
    彼女は踊れなくなり、彼は舞台から遠ざかっていた。

    しかし、再び立ち上がる勇気を得た時、
    その力と希望とを自らの身体に感じた時、
    彼女はチャレンジし、彼も舞台に役者として立った。
    「気持ち」なんだなぁと、つくづく感じた。

    その自分の気持ちをどのようにして処理するか。
    イライラとしたままにするか。
    落ち込んだままにするか。
    腹を立てたまま時間を過ごすか。
    それは、私の「気持ち」次第なんだと言う事実だな。

    「まぁ、いいか」「仕方ないな」「何とかなるさ」と思うか、
    「どうしてこんなことになったんだ」「どうしてくれるんだ」と思うか。
    同じ事実でも考え方の方向で、「気持ち」もまったく逆になる。
    だから、失意の時や、絶望の時や、もう駄目だの時は、
    そのことにこだわらず、そのことを半ば諦め、気持ちを切り替え、
    「どうにかなるさ」と、思い直すことが大事なんだと改めて思った。

    「気持ち」とは、「気の持ちよう」だ。
    そこで、失望したり、諦めたり、自信を失ったりすることも無い。
    そんなことは、いつでもどこでもあることなんだ。
    はがれるはずのない芝がはがれてしまっても、
    20㎝も地面から管がが出ていても、
    「何とかなるさ」「大丈夫」と、自分自身に言い聞かせる。

    彼女のようにガス自殺を図ることもない。
    彼のように絶望して酒浸りの日々を送ることもない。
    その気持ちを切り替える。
    「何とかなるさ」「大丈夫」。

    そう想わなければ、この世でのこの人生、
    平安に平穏に生きることは難しいと、思った。思った。
    「何とかなるさ」「まぁ、いいか」「大丈夫。大丈夫」。
    そう言い聞かせることの大切さを、昨日の不具合の一日で学んだようだ。

    しかし、芝が・・・・。「何とかなるさ」

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