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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020/06/26 07:48:13

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    「わたし」で生きる人に

    さてさて、こんな時刻にこれを書いている。
    私のタイムリミットは、後僅かだ。
    「まぁ、いいか」と、とにかく今朝の思考をここに記す。

    3時に目覚めた。
    それから、ずっと天井を見つめながら思考した。
    「わたしは、どこにいるのか」の問いだった。
    おかしな話だが、私は確かにここに存在しているのだが、
    その私を、私だと認識しているのは、この「脳」なのかの問いでもあった。

    能が私たちとは、何だか、今は思えない。
    脳は他の臓器と同じ、つくり生きるための一つの器官にしか過ぎない。
    そうではないのかと、おぼろげに思っていた。
    今、「私とは、誰?」と考えているのは、
    脳の私では、絶対にないような気がしたからだ。
    今も、そうだ、こうやって書いている内に、
    誰がこのことを書いているのか分からなくなっていくが、
    その書かれていることを書いているのは、
    脳の機能である私なのかの違和感だった。

    何だかぼやっとだが、胸の辺りに「わたし」が居るような感じがした。
    わたしは、私として生かされているのだが、
    その私を私しているのは、
    ここにある大いなる普遍の「わたし」。
    その「わたし」は、Sさんの「わたし」であり、私の「わたし」。
    その「わたし」がありそうなんだと、考えると、
    何だか今、二人で考えているもやもやも、
    少しすっきりするような気がする。

    それでは、脳は、何?
    これは、ホメオスタシスではないのかの気付きだった。
    「生命体」という言葉が思いついた。
    そうだ。私は「生命体」なんだ。
    その「生命体」とての私の身体と命を維持して、生かすための働きを、
    生まれてから死ぬまで瞬時も休むことなく続けているのが、
    この「脳」ではないだろうか。

    あの人工呼吸器のようなものだ。
    これが止まったら、私の「生命体」としての命は終わる。
    だから、脳は、無意識に、私とは独立自尊に、今も、働いている。
    心臓が動くのも、肺で呼吸するのも、胃や腸で消化吸収するのも、
    私が、絶えず「そうせよ」と指示・命令を出しているから働いているわけでない。
    この脳の自律神経が休むことなく生きて働いているから、
    私は、ここに、私のままに生かされている。
    生きているのは私ではない。
    私は、この自律神経によって、生かされている私なんだ。

    「生命体」とての私には、ホメオスタシスが存在する。
    それは、「元に戻る」「平時に戻る」「復元される」能力のことだった。
    私は、仕事のために、毎日、検温をする。
    忘れても、施設に入ると、まずエプロンを着て支度をしてから検温する。
    「36.4」「36.3」「36.6」時には「35.7」のこともある。
    「どうして?」と、測る度に不思議になる。
    「38.5」では、身体の異常で、危険信号となるのだった。
    それでは、どんな仕組み・システムで、この体温はほぼ一定に維持されるのか。
    それが、身体に与えられているホメオスタシスの働きだった。

    それだけでない、生きている全てのことは、この力の働きでもあった。
    もし、今、ここを基準のゼロ地点とするならば、
    そこから少しでも変化し、異常な状況に身体がなると、
    必ずその異常を感知して、サインが出される。
    実は、昨日、夕食後に私は、吐いた。
    最近、時々胃の違和感を感じていた。
    だから、そま危険信号を示すために、身体は違和感や痛みを感じさせる。

    その時、胃がゼロ地点から、大きくぶれて、異常な数値を示したはずだ。
    それを感知する。それを知らせる。そのサインを送る。
    それがホメオスタシスを管理し「生命体」としての身体の私を維持するための、
    優秀で明確なる脳の仕事・働きだった。

    つまり、私は、そう考えると、
    脳とは、感ずる場・異常を感知してサインを出すだと考えた。
    するととてもすっきりとする。
    脳は、実はスパコン以上の働きを私のために休まずしてくれる器官なんだと。

    その時だ。
    それでは、「人生の意味」を考えているこの私は、
    いったいどこに居る。身体のどこに生きている私なんだと、不思議に思ったる
    しかし、その「わたし」を身体の外に設定してみたらどうだろうか。
    どことは言えない。ここにあるとは言えないが、
    今、こうして考えているのは、その「わたし」なのではないのか。
    では、その「わたし」とは、一体誰なの?
    と、また、「わたし」が私に「問い」を与えた。

    「わたし」を考える。
    すると、「わたし」で考えられる。

    「わたし」で考える。
    すると、みんなの「わたし」と一つになれる。

    「わたし」の「わたし」は、
    きっと私の「わたし」ではない。

    「わたし」の「わたし」で生かされると、
    それだけで、自由になれる。気持ちよくなれる。

    それでは、「わたし」はどこに生きる?
    でも、「わたし」でなかったことは、一度もなかったよ。

    きっと生まれてから、死ぬまで、ずっとずっと「生命体」であるように、
    「わたし」は、「わたし」でのあるがまま。

    そして、この「わたし」には、果てが無い。
    この「わたし」には、限定は無いな。

    一つの「わたし」がここにある。
    そして、その「わたし」が、
    こんなちっぽけでどうにもならない私のことを、
    ずっとずっと愛してくれていたのだ。

    私は、「わたし」という友と生きている。
    「やっと気付いてくれたね」と、その「わたし」が微笑んでいる。

    「わたし」何だ。
    「わたし」だっんだ。

    脳に「生命体」としての私の身体を、預け、委ね、任せた。
    すると、「意味」を求める私が、「わたし」と出会えた。
    一体の私なんだが、そこは「生命体」であり、「わたし」でもある。

    こんなことを考えていたら、4時5分だった。
    ラジオから、谷川俊太郎さんと、工藤直子さん。二人の80歳の詩人のお話。

    人間を草や魚や木と同じ命として生きるという生き方。
    きっと「ふぁふぁ」と、死ぬまで嫉妬しない人間として生きるのだろうねえ。

    起きる時には起きて、眠る時には眠る。
    勝手なことをして相手を傷つけたら「ごめんなさい」と息子にも土下座する。

    自分はいつも母親だとは思えなかった。
    お腹の中で動いた瞬間、逆さに眠る無遠慮な怪物と感じた。
    子どもは、生まれた瞬間、「友達」「親友」「盟友」「ソールメイト」だった。

    子どもに対して丁寧な言葉で話した。
    教育したという意識はひとつもなかった。

    子どもは命をかけて守るぞと決意した。
    子どもは私にとっては完全に友達。
    親としては、失格ですね。

    子どもは、言葉で言わなくても、親の行動を見ているものだ。
    ただをこねても何にもならない。その内に、ただをこねなくなる。

    詩は作者のものではあるけれど、
    作者の手を離れたら読者のものだ。 by 谷川俊太郎

    受け取った人の反応があって、初めてポエムとしての存在。

    私には、友達が1人もいなかった時があった。
    だから、こっそり鏡に向かって自分に言ったる
    「心配するな。直子がついている」「直子がついている」「直子がついている」

    「ミミズミツオ」の歌

    「おい、ぼくよ。ぼくが居るから、大丈夫。
     ぼくがいるから、大丈夫。
     ぼくがやっぱり、いるみたいで、元気になれる。
     さびしいときにささやく声、かくれんぼしてももうひとり、
     おい、ぼくがいるから、大丈夫。
     ぼくが、やっぱり、いるみたいで、元気になる。」
        …聴き採りなので間違っていたら多謝・多謝。

    谷川さんは、人間以外の「生命体」の気配の人だ。

    おのまとべが、心地いいね。
    ころころ・ふあふあ・すりすり・とんとん・きらきら・ちんちん・ころころ
    日本人だけだね、この言葉があるのは。

    「しーん」 谷川俊太郎

    「静かなのがいい 大声は聴きたくない でも 雷は嫌いじゃない
     静かなのがいい せかせかは好きじゃない おっとりしてるとほっとする
     静かなのがいい げらげら笑うのも悪くないけれど にこにこの方が落ち着く
     静かなのがいい 爆発の音は聴きたくない ため息もうめき声も

    独り遊びが楽しいですね。
    自分用のお呪いを唱えています。
    はははっと笑ったり、「まぁ、いいか」と言ってみたり。
    三日坊主も十日やれば30日。「おーーーし、」と想える。

    さてさて、そろそろゴミ出しに行かなければ。
    しかし、思考とは、面白いものだ。
    本当にだんだん「わたし」に近づいて来た気がする。

    できれば、谷川さんや工藤さんのように、
    「わたし」で生きられる人になりたいものだ。

    そうすると、「わたし」の「言葉」で話せる人に、
    きっとなっているだろうなぁ。

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