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from: クマドンさん
2020/07/14 07:09:07
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「閉ざされた人」とは、どういう人なのか
「開かれた人」と「閉ざされた人」の話だ。
私はよくSさんと、そんな話をする。
私たちがあの組織である職場で働いていた時、
私たちは、「固い石」の人たちに囲まれて仕事していた。
そこには、真面目で、忠実で、決めらたことを、決められたように、
言われたことを言われたように、したい人たちが多い職場でもあった。
だから、そこでは、違った人は、目立っていた。
というか、目障りでもあったのかも知れない。
自分たちは我慢して、忠実にある考え方を守ろうとしているのに、
それをしない人に対してのバッシングだった。
その人たちは、きっと気付かないことだろう。
でも、その人たちからの無言の圧力は確かにあった。
そして、その人たちが集まり、結束すると、
なかなかそれに対して孤立無援に抵抗することは難しいものだ。
そんな「閉ざされた人」のことを、
山本山の山荘でSさんと話した。
まず、興味関心があることは、自分自身のことだけだ。
つまり、自分にとって全く興味関心の無い情報は、
この世には無いに等しいものとなる。
だから、多様な意見は認めない。
この考え。こうするもの。これだけでいい。だな。
自分の考えに対しての絶対の信頼だった。
次に、何事にも自分が最善と思うやり方を持っている。
これは、こうすることが当たり前。
みんなこれは、こうしています。
いつの間にか刷り込まれたやり方や方法をこれまた信じてそれだけをする。
だから、同じ仕事をその方法でしない人のことが気になって仕方ない。
いつもその人の仕事を横目で監視している。
そして、少しでも違っていたら、腹を立てる。
ここで問題だ。
その人がその職場で上司で在ったら、
または同じ仕事をしなければならない同僚であったら、
その関係から抜け出せないので、
日々、その無言の圧力、攻撃を受けねばならない。
まさに、忍耐の日々が続く。
閉ざされた人の中には、片づけが極端に苦手な人が居る。
職場の机の上に乱雑にプリントや書類が山積みされている人だ。
片づけることが面倒だと感じでそうしている人もいる。
中には、そうやっておかないとその書類がどこに行ったのか分からないので、
いつも目に見える状態にしないと不安な人がいる。
百その人の持ち物があったら、
その百のものを部屋の畳の上に並べる。積み上げる。
片づけると言うことは、そのものが見えなくなるということだ。
そのことの不安が大きすぎる。
だから、片づけない。出しっぱなしにする。
テレビで観る、あのゴミ部屋ができる。
「閉ざされた人」は、他人には興味・関心を余り持たない。
それは、その他人の気持ちや感情を感ずるセンサーに不具合があるからだ。
だから、時には相手をずかっと傷つける言葉を言う。
または、相手の話を聴かないままでいられる。
つまり、平和的な良好なかかわりかたを知らない。
相手のことが嫌になったら、ふいっと背を向けて出て行くこともある。
そう言えば、この人は、とてもとても感情の人だった。
朝、その人の顔を見ると、その人の心の様子がよく分かる。
機嫌が悪い。イライラしている。面白くないことがある。
その気持ちがすぐに分かる。察せられる。
そんな日は、近づかない。かかわりにはならない。遠く離れている。
本当に感情のまま、感情にコントロールされる人だ。
それからこの人は、陰口や悪口を言う人でもあった。
それもあることないことをでっちあげて、
あたかも本当に自分はそのことで困っているようにして相手に伝える。
これがまた巧妙なんだな。
相手はその人のことを知っているから、
その偽情報を鵜呑みにすることもある。
話半分としても、その偽情報の半分は、聴いた人の中に留まる。
すると、その人から言われた人の評価が変わる。見方が変わる。
その対象は、自分よりも劣った人ではなく、
どこか自分を超えた、優れたものをもっている人に対してそれは行われる。
やっかむ。足を引っ張る。妬む。嫉妬する。だな。
自分の言うことをきいてへいこらとしている人たちのことは極端に可愛がる。
しかし、自分のことを認めなかったり、
自分の立場や役職を侵しそうな人に対しては、先手必勝。こきおろす。
例えば、会議に参加させない。
余計な仕事をさせる。
何度も何度もその仕事をやり直させる。
大事な仕事の情報をその人にだけは知らせない。
そんなことが、あった。
実は、そうした上司が居ると、困っている人から相談を受けた。
その話を聴けば聴く程、あの人、この人と、思い当たる顔が浮かんだ。
彼は、それでもその職場では、利用者さんとのかかわりが好きなので、
飄々とその大波をくぐり抜けてはいる。
しかし、やっぱり、心は疲れるものだ。
仕事場では、その人は上司である。
ことごとく彼には辛い状況を設定して行く。
「こでもか、これでもか」だった。
「閉ざされて人」は、意地悪な人になりやすい。
それは、想像力が乏しく、相手の心の痛みに気付かないからだ。
しかし、自分の心の痛みには敏感で、過剰に反応する。時にはひどく落ち込む。
その人は、自分の感情の起伏が激しく、その感情をコントロールできない。
しかし、相手の気持ちを感ずるセンサーは故障中だ。
だから、こんな愚かなことが、平気でできる。
それから、ゼロ・いちなんだな。
「できる」「できない」
「正しい」「間違っている」
「よい」「だめ」
このはっきりとした二つの選択肢だけ。
その途中の曖昧な、混沌とした、グレーな部分は存在しない。
とてもとても生きずらいだろうなぁと、同情する。
そのことで、心痛め、傷ついている人のことは全く考えられない。
だから、変化を嫌う。
自分が決めたやり方・方法が唯一のそれだと感じているから、
合理的にこうしたらどうですかの提案を、
その人に対する批判ととらえる。
そして、変えられることに腹を立てる。
だから、変化することに対しては、鉄壁の拒否をする。
変化させない。
それは、自分が変化に弱く、対応できなくなるからだった。
このままでいい。それが、一番の安心だ。
だから、彼の職場の改善についての提案は、ことごとく却下される。
改善を認めれば、彼の能力を認めることになる。
だから、尚更、認めない。
だから、彼は、その上の上司に直接意見を述べる。
それがそれで、その人には面白くないこととなる。
彼にメールで言ったことがある。
「閉ざされた人と開かれた人について書いてくれませんか」と。
今、その閉ざされた人たちとのかかわりで苦しんでいる人たちが多いと思う。
仕事の楽しさ遣り甲斐とは、その職場での人間関係が大きな要因となる。
ところが、その中にこんな上司や同僚が居たら、
なかなか辛いものだと私は思う。
「嫌だなあ」と感ずる人がいたら、
相手の人は、きっと自分のことをそう思っているだろうと感じているだろう。
だから、もっと攻撃される。やっつけられる。嫌なことをされる。
その内に、心が弱り、病んで行く。
そうした人は、「あいつが弱いからだ」と思うだけ。
結論、「閉ざされた人」は絶対に変わらない人だ。
そのことを認識し、了解し、諦めて、淡々と粛々と日々の仕事をすることだな。
私は、ある時から、その事実に気付いた。
それからは、このことで心を病むことは無くなって来た。
しかし、時々、小さな傷が痛むこともある。-
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