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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020/07/15 07:25:37

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    踊る人へ

    「踊る人は、踊る人でいて欲しい」

    私には、深く深く憧れていた踊る人がいた。
    その人の踊りに魅せられ、言葉を失い、涙が溢れた。
    その踊りは、私の魂を震わせた。
    どうにもならないくらいの感動と歓びだった。

    踊る人の踊りは、私にも踊る身体があることを気付かせた。
    踊ると言うことは、身体であるということだ。
    この身体は、身体として踊ることで、真に目覚める。
    踊ることで、身体の四肢が蘇り、そのものとなれる。

    腕は腕になり。
    手は手になり。
    指は指になる。

    足は足となり。
    つま先はつま先となり。
    ふくらはぎはふくらはぎになる。

    私は、きっとそのことに気付かず、
    そのものの働きとしての手や足を使っていなかったのだと感じた。
    踊ることは、音楽だ。
    本当に音が身体の動きとなって顕れる。

    言葉は無い。
    音も消えて無くなる時がある。
    それでも、身体からは音が響く、音楽が奏でられる。
    その身体とは、いったい何だの驚き、絶句。

    身体が存在そのものである時、
    その身体は実に美しく、神々しく輝くものだ。
    そこには、人の意識すら存在しない。
    ただ、踊らせるものによって、踊らされてる身体があるだけ。

    確かに、そうなんだ。
    踊っているもの、ここの舞っているもの、ここを疾走しているものは、
    彼女ではない。
    彼女は、全くの空っぽの身体そのもの。

    そのの空っぽの身体を突き動かし、
    彼女自身が感じている深い深いものからの呼びかけ、囁き、その歌声。
    それを信じ。
    ただ、その無声の音に促され、魅せられ、感じて動く。
    動くのは自分なのか、動かされたままの自分なのか。
    そこには、きっと無があるだけ。

    そうなった恍惚感。
    そうなっている高揚感。
    そうでありつづけどんどん深まるこの歓喜の叫び。

    こうあるものではなくなり、
    いつかこうあるのかの驚きと感動の中で突き動かされる自分を見つける。

    踊っているのは、誰れ?

    それは、いつしか祈りとなる。
    魂が震え、震え、どうにもならない涙が溢れる。

    自分であるはずなのに、
    それは、ここで、この舞台で歓喜して踊っている自分を観ている。
    音が無くなる。
    風が無くなる。
    無音の中から生まれる音だけを頼りに、それを信じて、踊る。

    やめたくない。
    ずっとずっとこのままでいたい。
    力尽きて、真っ白になるまで、まだまだ、まだまだ。

    私が魅せられ、言葉を失い、歓喜して、涙を流し、身体を震わせ。
    その瞬間は、私も彼女の踊る身体、そのものとなる。

    言葉は、難儀だ。
    言葉は、これを顕し得ない。
    言葉は、説明となる。
    言葉で顕すと、そのものの命が消える。

    私は、踊る人のその踊りを全身で感じながら、
    いつのまにか私も、踊る人となり、その人となっていた。
    踊る人がここにいたら、私もその身体となって、踊る人となればいい。
    この身体の動きそのものを、どこがいいかと説明は、やらない。
    身体の人になるだけでいい。

    音楽もそうだ。
    私は、音楽そのままになるだけでいいと想えるようになった。
    そこに、言葉はさしはさまない。いらないのは、言葉だった。

    踊る人は、踊ることを私に伝えてくれた人だった。
    そして、それは、あの役者として舞台に私が立ち、役を演じたあの時の、
    あの「降りて来る」気持ちよさそのものの感動だった。

    踊る人は、浅海侑加さんだ。

    昨年の9月、私は、この人と、TETTOのカウンター越しに出会った。
    「クマさん、侑加ちゃんだよ」と、紹介されて、絶句した。

    偉大なる小さな女神が、満面の優しい笑顔でそこに立っていた。
    グラスを拭き、コーヒーを淹れ、マヨネーズを手作りしていた。
    「夢では、な、い、の、か・・・・・」

    人生とは、生きているとこんな奇跡のような出来事にも遭遇するのだ。
    だから、生きていよう。
    この人生、明日のことは、誰も分からないのだから。
    「期待して待つ」これが、大事、大事と、だんだん私にも分かって来たようだ。

    私は、Noisumでこれからも生きるつもりだ。

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