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from: クマドンさん
2020/07/17 06:54:06
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リモートは、面白いぞ
「リモートで何ができるか」
そんな話をリモートでした。
北海道のある街で、まちづくりコーディネーターの女性だった。
彼女は、その町で教師と大人たちと街の子どもたちとが繋がれるように、
さまざまなアイデア豊かな活動を続けている人だった。
私はFBで発信されるそうした新たな活動に感動し、
新潟から応援のためのエールを送った。
そして、この新型ウイルスでの学校の閉鎖となった。
家庭で過ごす子どもたち。
学校で授業ができない教師たち。
営業を自粛しているお店の店主のみなさん。
それぞれが、それぞれの想いをもって、今、ここを過ごしている。
その離れ離れの人たちをどのように繋げ、
元気にかるか。
お互いに知らないもの同志が出会い、
お互いで学び合い、貴重な時間を過ごすか。
その試み一つ一つに、そうした街の人たちへの大きな愛を感じられた。
やっぱり、「この街の人たちが大好きだ」
「この街のことを愛しているよ」と、
その想いがベースにあるので、
一つ一つの活動は面白く感じられ、
学ぶところ満載で、
説得力があると感じている。
さて、「リモートのよさ」だった。
私は、旧豊栄の友・三重の友とリモートしている。
この不要不急の用事以外は、外出を自粛する生活だったので、
このリモートをヨガマスターから教えてもらったことをきっかけに、
それにはまってしまった1人でもある。
まず、「離れている友と自宅に居ながらにして会える」ということだ。
対面で、ちょい飲みをしながら、対話する。
それも、何気ない対話ではなく、
何だかいつもドストライクで、本質に迫る話だ。
それは、私が無料アプリを使っているために時間制限があるからだ。
どうでもいい話をしている時間は許されていなかった。
いつもいつも直球勝負で、ピュンピュンとキャッチボールだ。
次に、「対面であるが、対面ではない」というこの状況だ。
人とこうして面と向かって話をすることは、
なかなかの緊張感があるものだ。
昨日のように若くて美しい女性となら、
尚更、どきどきするはずだ。
ところが、リモートであり、画面を通しての対話であるから、
少しリラックスしながら話し合えることが、
このリモートの利点でもあった。
それから、「日常で出会える」ということだ。
私の部屋が私と共に映り込み、それが相手に発信されている。
向こうは向こうの部屋で私との話だった。
私は、彼の、彼女の部屋で話しているような錯覚を感ずることもある。
その部屋に、その人の生活感が感じられることもある。
つまり、「素」がお互いによく見えるということだった。
三重の友は、ハンモックに乗ったままの私との対話だ。
この感覚は、なかなか面白いと、いつも感ずる。
そして、「私はここに居る」ということだ。
誰かに会って話をしたり、飲んだりするためには、
私は、その約束した指定の場所に決められた時刻まで行かねばならない。
そのために、衣服を整え、歩いてバス停へ行き、バスに乗る。
三重や北海道の遠方過ぎる場合は、
新幹線や飛行機だろう。
行ったら、行ったで、日帰りが無理なので、
どこか適当な安宿に泊まることとなる。
帰りの交通費も必要だ。
ところが、リモートには、それがない。
私はこの部屋に居る。変える必要もない。普段のまま、彼と会える。
それから、「大事なことだけをストレートに話せる」ということだろう。
何だかね。この日のこの時刻に「会おう」との約束をする。
「今、これから、すぐに・・・」ではない。
だから、その日その時を、ずっと心待ちにしている。
そうやって待っているから。
話せる時間は、1時間とちょっとだから、
「何を話そうか」と、前もって準備している。
準備はそれでけでない。
缶ビールと缶チューハイ。つまみには柿の種(わさび味)等のつまみも準備だ。
そうやって、その時刻にIDを送る。
相手が映る。「よっ」と挨拶する。それから、面白くためになる話を続ける。
けっこう私は、このリモートの対話によって、
多くの気付きや、発見をすることができたと思う。
私の場合は、対面でこれをやっている。
もし、数人でやれたのなら、それはそれで面白いとも思っている。
実は、人は、自分で自分を語ることで、自分が初めて分かるものだ。
語るという漢字は、「吾」を「言う」と顕されている。
つまり、「言わないと」自分が何者なのか「分からない」のである。
それは、対話の不思議な力でもある。
小千谷のSさんとの対話がそうだ。
お互いに気付きを語り合いながら、
自分が今、ここで、考えていたことが、明確になる瞬間がある。
対話とは、深まりでもあると、私はいつも感ずる。
しかし、「誰でもいいわけでは、ない」
やはり、気心の知れた、話したいなぁと心から感じた人となら、
ここに書いたことは、成立するのではないかと思っている。
人は、「本音」で語りたいのだ。
しかし、その「本音」を曝け出すことの難しさもよく分かっている。
場違いな場所と人とに「本音」を語り、
痛い思いを何度かした経験があるからだ。
だから、「本音」を隠す。奥の奥にしまっておく。
でも、本音を語れる人は居る。
その人とだけ、このリモートをすればいい。
さてさて、こんなことを考え、話している内に、
これって、「フリースクール」にピッタリではないかと、気付いた。
今、ここで、学校に行けず、行かない子どもたちが居るとする。
家庭での生活を通して学びをづけている子どもたちだ。
その子どもたちに、信頼できる大人たちが、
こうしてリモートで対面しながら、語ったらどうだろう。
また、そのリモート上にそういう子どもが集まって、会話する。
お互いに日々気付いたことや、発見したことを語り合う。
そして、自分の辛さ、哀しさ、痛みを語り合う。
リモートは、独りにはしない利点をもっている。
この部屋では独りぼっちでも、
その「場」に来ると、誰かがいてくれる。
友がいる。
自分のことを待ってくれている人がいる。
自分を信じて、信頼してくれる人がいる。
その人と会える。対面で話せる。それも、緊張感なく、リラックスしながら。
これって、「フリースクール」にはピッタリの状況ではないかの「問い」だ。
そのことを彼女に話した。
すると、「クマさん、やってください」と、言われた。
私は、ドキッとしながらも、「そうか・・・。そうだなぁ・・・」と、
新たな気付きと発見だった。
とにかく、このリモートは面白い。
来週も予約をいれようと、思っている。-
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