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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020/07/25 07:54:18

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    その人は、私なんだ

    最近、いろいろな人から相談を受けることがある。
    それもその内容については、いろいろなことだった。
    しかし、そのどれも、私が経験したり、通過したことでもあったし、
    これから私が歩く道でもあった。
    みんな同じなんだなぁと、いつも思う。

    老いの悩みだ。
    86歳の叔母さんだった。
    彼女の長男は東京で、次女は上越だった。
    独り暮らしでこれまで何とか生きて来れたが、
    このウイルスによって生活が一変させられた。

    趣味の仲間が多い闊達な人だった。
    いつも笑顔で「がんばろうよ」が口癖だ。
    そのレクダンスや書道の会とは、疎遠となった。
    なかなか公民館まで歩いて行くのも難儀だからだ。
    何人かいた親友も、すでに他界している。
    または、施設で介護を受けている。

    独りで何とか自分のことを始末して来た。
    本当によく頑張っているなあと、
    私は尊敬の眼差しだった。
    しかし、その叔母が本当に急に、急に弱気になった。
    老いることの孤独だった。
    そのことは、いずれ私が行く道だった。

    子どもたちが遠方に住んでいて、
    仕事や家庭をもち、頻繁にお世話に来ることができない。
    それもよくある話だ。
    今は、同居している家族は少ないのだから、
    これもみんな同じ問題である。
    私もいつか、その課題と向き合う日が来るだろう。

    だから、自分が棲んでいる地域社会での支援が求められる。
    それが包括支援センターの役割だった。
    そのことを知らない人も多すぎる。
    特に、独り暮らしのお年寄りは、元気な内からここと繋がっておくとよい。
    ここには担当のケア・マネージャーが勤務している。
    そうした困りごとは、何でも相談を受けてくれる。
    家族のこと、病気のこと、心のこと、経済的なこと等、
    「こんなことは・・・」などと勝手に想わないことだ。
    何か困ったことがあったら、声に出す。

    でも、叔母も言った。
    「クマさん、迷惑をかけたくないんだ・・・」と。
    だから、自分の子どもたちにも「寂しい」「辛い」と弱音を吐かない。
    心配させたくないからだ。
    余計な迷惑、重荷になりたくないからだ。
    だから、独りで耐える。孤独に耐える。老いの寂しさに耐える。
    しかし、その内に身体は確実に衰える。
    病があったならもっと大変だ。医者にかかることもままならない。
    認知症が徐々に進んでも、家族がいないので発見は遅れる。
    手遅れになってしまい、孤独死の事例も多くある。

    これは、「自分だけ」の問題ではない。
    人は、生命体としてこの世に生かされている芦のような存在だ。
    命は、盛りを過ぎると衰える。弱る。か細くなる。
    自分の身体が思うようでなくなると、
    何だか日々の家事もおっくうになる。やる気を失う。
    その内に自分の生活のまたじがならず、
    ゴミ部屋と化する場合もあると言う。

    つまり、これもいずれの「私」そのものだ。
    私は、そうやって生きて、亡くなって逝った家族と親戚の人たちを経験した。
    本当に父も母もそうだったし、二人の90歳の叔母たちもそうだった。
    亡くなった身寄りのない叔母に付いては、喪主まで私がやることになった。
    これも、いつか私が行く場所だった。

    叔母は言う。「私だけなんだて・・・」と。
    しかし、ここを通らない人間は、独りも居ない。
    みんな老いることで、身体の自由がきかなくなり、
    自分が思う様に自分の身体を動かせなくなる。
    意欲が薄れ、気力がなくなる。
    その内に、どんと孤独感と死への恐怖感が覆いかぶさる。
    それも、みんなが通る道だ。

    私は、いつか自分も身体が不自由になる日が来ると思っている。
    また、大病か癌に侵されて、余命の宣告を受ける日が来ると思っている。
    そして、叔母たちのように死と向き合い、孤独に耐える日々が来ると思っている。
    そして、いつか最期の時は必ず来ると思っている。
    それは、みんなが通った道であり、
    みんなが必ず通る道である。

    だから、準備が必要なんだ。
    その時、じたばたするのではなく、
    その時、「どうして、私だけが・・・」と恨むのでも、悔やむのでもなく、
    「ああ、来たな」「さて、今、ここを、どう生きようか」と、考える。
    「死を迎える人を救えるのは医療ではない。それは「言葉」である」池田晶子

    だから、今は、どうなるのかは、言えないが、
    その時を迎えたら、「来たな」という「覚悟」を、
    やっぱり今のうちに具えて置くことだと、私は思って、これを書いている。
    叔母の孤独と心と身体の痛みは、私のそれである。
    今は、叔母がそれを経験している。
    「自分は大丈夫。がんばろう」と生きて来た叔母に、
    どんと突然そのことがやって来た。
    人はみんな、おろおろとする。じたばたとする。それでいい。

    私は、父と母、叔母たちを見送って、いつもそのことを教えられた。
    「クマさんも、いつかだよ・・・」と。

    「メメント・モリ」とは、そういうことなんだ。
    独り暮らし叔母には、地域包括センターと繋がってもらうことにした。
    土日が休業日なので、メールだけは昨日の夜に送っておいた。
    これからの手続きは、まずケァ・マネージャーの人叔母との面談だ。
    家族も同席して、そのことを話し合えれば一番良い。
    とにかく、善は急げだ。
    月曜日、先方からの連絡を待つだけだ。

    不安に感じている今、「大丈夫だよ」との対処が求められる。
    緊急を要する事態にはまだ至っていないことが幸いだ。
    家族での介護は難しい。
    これが私の経験から学んだ答えだ。
    お互いがお互いで「優しさ」と「思いやり」を持ちながら支援するためには、
    やはり、公的な機関の支援が必要なんだ。

    そのことを今回も繋げることができたら、
    叔母たちのことと、初任者研修で学んだことは生かされる。

    私は、相談を受ける度に感ずることは、
    「私も、そうだ」
    「みんな同じ悩みを持っている」
    「その人は、私なんだ」と想うことだった。

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