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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020/08/14 07:02:10

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    はか、いっけー

    「はか、いっけー」
    これは新潟弁で、「仕事うまく行っていますか」という意味の言葉だ。
    昨日、お盆なので、昼前にお墓にお参りに行って来た。
    次男は、川崎の人だ。だから、今回の帰省は見送りとした。
    その代わり、妻が米や食材を送り、祖母が小遣いを送った。
    何だか疎開できない家族に、必要な物資を送る。戦時下だなぁ。

    「ここには、私は、いません」と、歌われているお墓だった。
    沼垂のR寺は、何と千件以上の檀家だそうだ。
    まぁ、お墓の集団、ソーシャルディスタントは、ここには無かった。
    隣の墓とは、肩を寄せ合うように建っている。
    この黒く渋めのお墓を、父は、生前にここに建てた。
    それは、幾つかの運命的な出会いがあったからのことだった。

    古町のS寺に自分もお墓を建てようと、毎年毎年いくばくかの積み立てをしていた。
    あるお盆のことだった。
    父は、生前にお墓を建てることを決心して、住職と会った。
    そしたら驚いた。百万円の墓を建てるなら、五十万円お寺に寄付せよだった。
    つまり、百万円の墓を建てるのに百五十万円必要だった。
    そして、石屋は、こちらが指定する石屋にしろだった。
    つまり、お寺がその石屋からマージン・中抜き・ピンハネをするということだ。

    その話を一緒に聴いていた私は、「バカにするな」と啖呵を切って、
    その交渉を即、決裂させた。
    「帰ろ、帰ろ、もうこんな強欲な寺とは、付き合うつもりはない」と、
    おろおろとする父と母とを車に乗せて、拉致をした。
    車を運転しながら、「馬鹿野郎。それでも坊主か」と腹が立って仕方なかった。
    しかし、後ろで父と母とがおろおろとしている。
    当てにしていた墓地を、一瞬にして失ってしまったからだ。
    私も、そこで思案した。
    「そうだ。あそこだ。R寺だ。叔父さんのお墓のあるあの寺だ」と、その時気付いた。
    そのまま、私たちはR寺に向かった。

    ここの住職も奥様も、まさに仏様のような人だった。
    事情を聴いて、「そらね、分かった、じゃ、見に行きますかね」と、立ち上がった。
    これから即、墓地の選定をしてくれると言う。
    「新しい人には、あっちの奥の場所しか空いていないねぇ」とのこと。
    そこには新しいお墓が密集し、肩を並べて何百基と建っていたな。
    私は、「昔からの人たちの場所には、ありませんかね」と訊くと、
    住職はいい人だから、「行ってみるかね」と案内してくれた。
    そしたら、塀の傍の角地が本当に空いていた。
    住職も驚いた。「おや、ここ、空いているね」と鷹揚な話だ。
    「お父ちゃん、ここにしてもらうけ」と訊くと、
    父は、涙を流さんばかりに住職を拝んで喜んだ。

    今、思えば、不思議な出会いだった。
    そして、紹介された石屋さんは、私が前に勤めた学校の元PTA会長だった。
    「どうせ、今、暇らすけ、蓮華、サービスするれ」とのことだった。
    出来上がったお墓の何と何と立派なこと、立派なこと。
    父はお墓の完成式の時、本当にそのお墓に合掌をして、
    深々と頭を下げた。
    「お父ちゃん、まだ入っていねんだよ」と、みんなで笑った。笑った。
    あのお墓の前に立つと、あの時の父や母の笑顔と声が思い出される。

    さてさて、どうして父の年代の人たちは、自分のお墓に拘るのかの「問い」だ。
    父は、退職して、僅かな自己資金で、銀行から借金をして、この家を建てた。
    自分の家を建てる。それも門を造って、庭を造って。
    それも、父の拘りだった。
    そして、80歳を過ぎてから、父は自分の墓を建てることが執念となった。
    それが、自分の生きた証だと、思っていたのだろうなぁ。

    私には、その父のような気持ちがこれっぽっちもない。
    生きた証と言われれば、この「親父たちよ」の遺言だけだな。
    本当に大したことのない人生をたどっている。
    それを、俺は「こうした」「ああした」と、
    自慢する意味もないと思っている。
    記録なんか、全く無くて、それでいい。

    お墓についても、そうだった。
    本当は、海に半分、山に半分、散骨して欲しいと思っている。
    お墓は、建てるつもりは、全く無かった。
    教会の合葬の墓の中を見て驚いた。
    骨壺が山のように積まれてあった。
    これも勘弁だと思っている。
    閉所恐怖症の私には、あの密集は、無理、無理だ。

    そこで、どうしたものかと思案した。
    そして、樹木葬だと合点した。
    広々とした芝生の土地に、ほんの一画、私の場所がある。
    まぁ、小さなプレートで名前だけはあっていいかなぁ。
    山が見えたらなおいいなぁ。
    飯豊連峰を望める場所なら願ってもない場所だ。

    父のようにその場所を生きている間に探して、その場所を契約しよう。
    私は、クリスチャンであるから、坊さんのチーン。・南無南無はいらない。
    ただ、安らかに永遠に骨を埋める場所だけありばいい。
    そうすれば、亡くなった後、妻や子どもたちに迷惑もかからない。
    どうら二束三文の生涯だ。
    お墓何百万円も出して建てることはない。
    そんなお金があったら、遺された家族の生活の足しにして欲しい。

    だから、ネットで墓地を探す。
    そして、現地をこの目で確かめる。
    「ここにしよう」という場所に出会ったら、
    埋葬の場所を選定し、埋葬料と永代供養料を支払っておく。
    後は、まぁ、お別れの儀式は、私がしてもらいといということではなく、
    遺された家族にとって悔いのないように、細やかにしてもらえればそれでいい。
    その葬式代だけは、遺しておくこととする。

    父は、そうだったが、私は、これでいいと思っている。

    本家の家の菩提寺が、この私が喧嘩したS寺だった。
    叔母さんの時、お経をお願いした時も驚いた。
    葬儀屋は古町関係のお寺の代金を言うことはできないそうだった。
    そして、通夜の昼間、伴僧が来て、何も書かれていない紙を渡され、
    項目ごとに、こちらか言うような値段を書いてくれたとのことだった。
    通夜と本葬のお経五十万円。お宝様五万円。等々。まぁ大した金額だったな。
    独身で慎ましく生涯を閉じた叔母だ。
    葬儀の坊さんに渡す金だけで八十万円近くもする。
    仕方ない。その寺の墓に入るためだ。

    これが、亡くなった後の、家族が負わねばならない現実だ。

    本家のT叔母が84歳だ。
    ここ数年で本当に老いた、弱った、衰えた。
    しかし、独り暮らしだ。
    長女は県外に嫁ぎ、次女は独身で働いている。
    亡くなったら、やっぱり、このお寺とのお付き合いだ。
    その墓には、祖父と祖母、父とS叔母が入っている。
    次に、母であるT叔母が入ったら、お寺にかかる何十万円という費用は、
    彼女が独りで払うこととなる。
    それで、いいのか、という「問い」だった。

    立派な墓を建てる。由緒あるお寺の檀家となる。
    しかし、遺された家族たちは、それを守ることが当然の義務となる。
    お寺は、お墓があるから、お付き合いを辞めるわけにはいかない。
    そして、本堂を改築する、孫が大学に進学する等、
    檀家たちに対して、当たり前のように寄進を求める。
    それも何万円、何十万円の額だった。
    それで、いいのかと、いつも想う。

    ある人の実家のことだ。
    父が立派な墓を故郷のお寺に建てた。
    そこには、その父の両親が眠っている墓も建っている。
    そこに、もし、亡くなれば母も入ることになる。
    しかし、長女は、独身だ。それも細々と生きている身だ。
    その長女独りで、このお寺からの寄進の求めに応ずることは絶対に出来ない。
    生活することがやっとなのに、どうしてお寺に三十万円も収めねばならぬのか。

    だから、その家では、母がお墓に入ったら、墓仕舞をするそうだ。
    今、それをどうやったらよいのか調べているとのことだ。
    お墓を建てるということは、そういうことになると言う現実だな。

    NHKの番組で、この樹木葬の特集をやっていた。
    生涯独身、仕事一筋で生きて来た看護師さんだ。
    70歳を過ぎて、自分の終い方を考えた。
    誰も身寄りのない自分は、自分の最期もちゃんとしておきたいと思い、
    その墓地の樹木葬を選んで契約をした。
    晴れた日には、時々、こうしてお弁当を持って、友人とここに来るそうだった。
    後のことは、その友人に託しているとのこと。
    「これで、安心です」と、安堵していた。

    生きるとは、この歳になると、ちゃんとその終い方を決めることと、考えている。

    「はか、いっけー」
    「ぼち、ぼちらこて」

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