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from: クマドンさん
2020/08/18 10:11:38
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死に至るまでのプロセスで必要にこととは
昨年亡くなったS叔母さんの一周忌だった。
と言っても、集まったのは、90歳のH叔父さんとその妻90歳のK叔母さん。
そして、本家のT叔母さん86歳と私63歳の四人だけだった。
本当にこの日が来たのかと・・・何とも言えぬ現実を感じた。
歳をとることは、老いることだ。
そして、老いることは、弱ることだ。
それは生命体としての人間が自然に通らねばならない道である。
いつもならI叔母さん94歳とS叔母さん88歳がこの会には参加していた。
私の母は、既に6年前に85歳で他界している。
父も85歳で三年前に母の元に旅立った。
いつの間にかではなく、ごくごく自然に、私たちはその人の時間を辿っていた。
施設に入っているI叔母さんは、もう自宅には戻れないそうだ。
つまり、その施設で最期を看取る。
しかし、その施設からも他の施設に移ってくれと言われていると言う。
なかなか最期の場所を確保するのも難しいご時世だった。
S叔母もそうだった。
三週間前に突然頭痛を訴えた。
何だかいつも頭の中がもゃっとすると言っていた。
独り暮らしも心配だったし、何よりも気落ちして、
寂しいと訴えるようになった。
そこで、私が東京の長男と上越の長女に連絡をした。
叔母さんがここで生活できるような支援を受けるために、
地域包括のケアマネと繋げる必要があったからだ。
そのために自宅に帰って来た長女が、叔母の異変に気づき、病院に連れて行った。
脳梗塞だった。早期発見だったので、大事には至らなかった。
しかし、長女が返ってこなかったら、叔母はそのまま悪化させた。
高齢者の独り暮らしのリスクは、大きいものだと改めて感じた。
S叔母はそのまま病院に入院している。
しかし、退院後の生活が、不安で仕方なかった。
長女の暮らす上越に一緒に行くのかどうかは、まだ分からない。
90歳のH叔父さんは、ダンディーな男性だった。
とにかく真面目な会社人で、そのシステムを家族の中に取り入れようとする。
家族からは、反発を受け、誰も呆れて話を聴かない。
確かに理屈・理論はそうなんだが、
どうしても自分のやり方に固執し、それを認めない家族を否定する。
ただ真面目で、一生懸命に、家族のことを心配しいてるのだが、
家族からは、煩いと思われるのは、彼が「相当固い石」であるからだ。
私からもそのことを話した。
「叔父ちゃん、もっと子どもたちに任せたらどうらん」
「そんなにあれもこれもみんな自分でやらないで、ほっとけばいいて」
しかし、超真面目人間の彼には、そんな言葉は、全く耳には入らない。
私の一言一言に対して、
「クマさん、あのね、そうじゃねんて」と、反論して来る。
あくまでも自分の考え方ややり方の正しさを主張する。
ああ、この固い石も、老いると言うことの一つの顕れだなぁと、
私の話に抵抗し続ける、叔父さんを見て、改めて教訓とした。
それから、最近、歩くことが難儀になってきたと言っていた。
太腿の後ろの筋肉と、臀部の筋肉とが、がさっと落ちたせいだった。
10キロ近くも痩せていた。
それでも、鍛えるための早朝の散歩は夫婦で行う。
時々、躓いて転びそうになるそうだ。
「叔父ちゃん、杖をついて歩くといいよ」と言うと、
「そんげみっともないことしんでいい。歩けなくなると困るっけ」と聴かない。
みともない。まだ大丈夫だ。そうするともっと弱る。
固い石は、その弱さや衰えを認めようとしない。
その内に転倒する、腕や足を骨折する、寝たきりになる。そのまま弱る。
本家のT叔母は、どうか。
やはり、老いが生活の随所に見られるようになった。
まず、「意欲」が無くなる。
外に出ることや、人に会うことが「面倒」になる。
週一回のディサービスの他は、家に引きこもっている時間が多い。
それでは、その時間を使って家事をするかと言うと、そうではなかった。
どんどん不要な物が山積みされる。
座敷の一部屋は、それで埋まった。足の踏み場も無くなっている。
キッチンもそうだった。床にはさまざまな食材や食品、用具だった。
しかし、それを見ていても、片づけようと言う気持ちが起きない。
生活そのものの意欲を失くしていく内に、
心の中ではそうした自分のことを責め始め、鬱になる。
やりたくてもやれない自分だ。
やらなければと思いながらやる気が全く起きない自分だ。
その何もやらない自分の姿に力を無くす。ある意味、失望する。幻滅する。
分かる気がする。
老いるとは、その生きる意欲すら失ってしまうということだ。
十年先の、私たちのことを考えた。
私は、73歳になっている、はず。それは、生きていたらのことだった。
叔母や叔父たちは、旅立っているかもしれない。
しかし、本当の試練とは、死ののとではなく、
身体が衰え、認知となり、家族の世話を受け、施設で最期まで生き続ける、
そのいつ果てるともない長い長い老衰の時間のことだ。
認知となれば、その人格は破壊され、違う人となってしまう。
自分自身が誰だかも分からなくなってしまう。
愛する妻や子どもたちに悪態をつき、暴力を振るう。
徘徊して行方知らずとなり、家族に多大な心配と迷惑をかける。
そして、回復は絶対にあり得ず、死ぬまでその認知症は続く、続く。
身体の不自由や障害をかかえたら、寝たきりでの生活を余儀なくされる。
家で車いすでの生活ができる内はまだいい。
しかし、うなった時の家族の介護への負担とストレスとは、並大抵なものでない。
介護には、日曜日も休日も無い。つまり、年中無休・24時間フルタイムだ。
介護保険によって、家族の介護をケアするシステムは確かにある。
しかし、マンタパワーも、支援の方法も限られたものである。
自宅での介護では、やはりどうしても家族の負担の割合は大になる。
だから、いつもこうした集まりで私が叔父さんや叔母さんに勧めることは、
まだ健康で自分で動ける内に、
自分の地域を担当している地域包括センターのケアマネに相談することだった。
このことができていたら、いざという時に安心なんだ。
しかし、「まだ、早いて」「何も困っていないから、必要ないよ」
そう言っている人が、予期せぬときに障害者となり、認知症となり、
介護が必要な人となっている。
私は、そうなった人たちのことを何人も知っている。
その後なんだ。大変なのは、家族だった。
きっとどこでどのような相談をしたらよいのかも、分からずにおろおろするはずだ。
だから、自分たちが元気な内に、ケアマネと連絡を取り合い、
いざとなったらの幾つかのケースを考えて、方策を事前建てておくことなんだ。
それを、叔父さんや、叔母さんたちは、していなかった。
しかし、本家のT叔母さんだけは、
S叔母さんの時にお世話になったケアマネさんと繋がっている。
だから、独り暮らしでも、少しは安心して生活している。
「支援1」の認定を受け、ディサービスにも通えるようになった。
そのケアマネさんのことは、私も知っている。
つまり、死んだ後、財産をどうするかを考える前に、
優先すべきは、自分の介護をどうするか。
自分の最期をどうしたいのか。
そのことを、本人がケアマネと相談して、決めたおくことが、
一番の家族への愛なのだとは、やっぱりまだまだ分かっていなかった。
いつ我が身に「まさか」が来るのかは、誰も知らない。
「クマさん、私は、大丈夫」と言っていた人が、脳梗塞で半身不随だ。
百名山を登ったKさんは、70歳でパーキンソン病で車椅子の生活だ。
そうした不測な現実を生かされている私たちは、
「まさか」を想定して、家族には迷惑をかけないための、
事前の予防的な対処は必要なのだと、私は、思っている。
死に至るまでのプロセス。
その中で想定されるリスクとアクシデントに対して、
家族には迷惑をかけないために、事前に対応しておく必要を、
私は、何人ものひとの事例から、学ばせてもらった。
さてさて、この固い石の叔父さんをどうやってケアマネと繋げようか。
それが、今後の私の課題となっている。
しかし、本人が自覚してくれれば、それでいいのだが・・・。-
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