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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020/08/23 07:25:50

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    リアルな物語を生きて創る

    徒然なるがままに、これを書いている。
    何でこんなことを、飽きずに書いているのか。
    別に何の欲も無い。
    これをどうするというあてもない。
    でも、書きたいから、ただ書く。それだけだ。
    「徒然なる」とは、そういうことではないのかと、自足している。

    さてさて、一本の脚本が二稿目の仕上がりだった。
    それを、ある友に読んでもらった。
    書いた本の感想は、私にとってはその作品に対する一つの評価だからだ。
    劇団を離れて、今更脚本ではないが。
    何だか書きたいことと出会うと、
    それを劇の脚本を通して、物語にしたいという衝動に駆られることがある。
    今回も、そうだった。
    「この人を書きたい」という思いから、構想4日制作3日かな。
    それだけのものでしかない、それだけの物語だった。

    感想は・・・「熱すぎますね」それだけだった。
    そうだろうなぁ・・・と、少しの落胆・意気消沈。
    しかし、それでめげないのが私の良いところであり、進歩のないところか。
    私は、私で、実は今回のことを大満足をしているからだ。
    一本の脚本を書けた。
    ということは、まだ、私には物語を書く力が残っているということだからだ。

    もう1つの発見は、その人の物語を書きながら、
    私は、いつしか自分や友の体験をそこに書き記していたということだった。
    実感の無い台詞を書かない。
    でも、実体験を通して深く味わった感覚や感情には、リアルな力が存在していた。
    そりリアルさに、少しでも近づけた手応えがあった気がする。
    それは、物語を書いて、書きながら、自らが発見することの驚きでもあった。

    それから、伝えるべき、渡すべきは、「言葉」なんだの気付きだった。
    つまり、人とは、迷いの中を生かされているものだ。
    自分では全く思い通りにならない、この人生を生かされている。
    そして、人生とはいつもいつも選択と決定と行動だった。
    そその連続、何も切れ目なく、死ぬまでそれをただ只管続ける。続ける。
    今朝方観た夢の中でもそうだった。
    私は、絶えず考え、工夫して、自らのベターを求めて生きていた。

    その時なんだな。
    その人に勇気と励ましと新たな発見と気付きとをあたえるものが、
    「言葉」だったの驚きと歓びだ。
    どうして人は、物語を観るのだろうか。
    それは、同じような状況に置かれた登場人物が、
    何を選択し、どのように生きることを決断するかを、見つめたいからだと思う。
    自分はその人生を生きられなくても、
    もし、自分だったらどう生きるだろうかの「問い」を持つことでもあった。

    その時なんだな。
    その男が、その女が、どういう「言葉」を語るか・・・。
    そこに、これから生きて行くための「力」や「勇気」を感ずるのは。
    つまり、物語から、勇気をもらう。希望をもらう。気力をもらう。
    「よし、私も・・・」それか、感動の涙となる。
    生きるを挫折と苦難を乗り越えて生きている人を体感することで、
    私の中の芯に在る「生きる」が、震え、感じて、動き、涙する。
    そこからなんだな。
    私も、あの人のように生きてみよう。と、心の中で静かな爆発だ。

    だから、きっと、映画「被ばくピアノ」であり「糸」なんだろうなぁ。
    実は、私は、きっとその感動を求めに物語に出会いに映画館に行くのだった。
    しかし、その物語がセオリー通りの造り物で、
    またこれかぁ。こうなるんだよなぁ。では、私の心はときめかないなあ。
    つまり、戦争反対・愛すること喜び、ではあるが、
    それをどのような物語として、伝え、手渡して行くか、
    そこのところを、問われているのだと、いつもいつも私は思う。

    「ごぜ」は、魂の映画だった。
    一点一画に常にピーンとした作者の祈りや意図が感じられた。
    そして、全ての空気感とその役者さんたちの仕草、語り、沈黙・・・には、
    深く深くで震え、感ずるものに満たされていた。
    私は、そういう物語の書き手となりたい。
    それが、私の、願いだった。
    だから、「熱すぎる」という感想から、
    まだまだ、至っていないのだなぁと、感じた。
    でも、それが何よりもの励みでもあった。読んでもらえたからだ。

    私は、私の物語を生きている。
    それが、私の人生だ。
    そして、この人生は、全くオンリーワンの人生である。
    みんな1人ひとりが自分だけの人生・生きる道を歩いている。
    そして、高村光太郎ではないが、「ぼくの前に道はない」なんだな。
    今、ここまでの来し方を振り返ると確かに曲がりくねって延々と続く来た道はある。
    しかし、今、ここから先の私の道は、未だ存在しない道ではないのかの「問い」だ。

    生きるとは、その道を自分独りで造りながら、歩むことだ。
    そして、時々、来し方を振り返る。
    そして、そうして歩いて来た道を見て、満足するか、後悔するかだな。
    もし、後悔もあり、懺悔もあり、悔やんでも悔やみきれない道であったら、
    今、ここからの道を、そうではない道に変えて、歩きだせば、それでいい。
    その苦難や試練や失敗やどん底から、確かに学んだはずだ。
    「人は一度死ななければ、本当に生きることはできないものだ」
    そう、語る師がいて、その言葉を引導としてもらうことで、
    きっと、その人は、その言葉に導かれて、生きると思う。

    物語であり、言葉であり、
    それは、それと出会って感動した人が、
    次の一歩を真っ直ぐに、真実に歩み出せるための、指針となり、決意となっている。
    「引導」という言葉は、そうした意味で深い言葉だった。

    もはや、ここから先を、迷いと煩悩と欲望のままのこの私が導いてはいけないのだ。
    本当に生きるためには、本当に生き抜いた人・師が求められるのだ。
    そして、その師の言葉をただ信ずる。
    何も余計なことは入れず、ただ言葉のまま、生かされる。
    例えば、ごぜのハルさんが、先導に導かれるままに歩いたようにだ。

    この「先」を行く人。
    そして、無常の世に生きる私を、真っ直ぐな道に導いてくれる言葉。
    それを伝え、手渡せる物語を、私は死ぬまでには、たった一本創りたい。
    それが、言葉から呼ばれてしまった、私の使命ではないのかと、考えている。

    先導者のことは、若い時は、全く見えなかったかも知れない。
    その内に、中年となり、数々のクライシスを経験したら、
    おぼろげながら、微かながら、その存在を感じるようになった。
    そして、あの生きる死ぬのどん底の闇で感じた、微かな光明と呼びかけ。
    私は、それを信じた時、それに全てを委ねた時、
    私のこれから歩む道は、確かに決まったと、思っている。

    実は、今回の物語「沢根団子」では、そのことを伝えたかった。
    しかし、Tさんにはそれが伝わらなかったことで、
    私の物語が、まだまだなのだと実感した。
    リアルな感動で、この物語が読み手の先導者となれる。
    しかし、そうなれない今、まだまだこの精進は続くと思った。

    確かに、徒然なるままに、書いているだけだ。
    「方丈記」を現代語訳で世に紹介する蜂飼耳さんが言う。

    「長明が悟りを開き聖なる言葉を残すのではなく、この世の迷いや人間の愚かさに
     共感をしながら、山のポッンと一軒家で生きていることは、何とも人として懐か
     しいものだ」(これは、まったく私の解釈なので、ご容赦・ご容赦)と。

    まぁ、ここから始まるこの道を歩く旅では、
    どんな出来事と出会い、どんな師と出会い、どんな友と出会えるものか、
    それを楽しみにして、今、ここを、のほほんと、歩いて行きたいものだった。
    それも、長明62歳までの人生における生き方でもあったようだ。

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