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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020/09/08 07:25:41

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    一体を生きる

    身体の不調が続き、軽い熱中症になって分かっことがある。
    それは、昨日も書いたように、身体なんだということだった。
    胃腸関係が弱くなり、少し飲み過ぎた次の日の朝は、
    何だか胃の辺りがむかむかとすることがある。
    朝食を食べた後も、むかつきが激しく感じられ、
    トイレで吐いてから、次の行動に向かうこともあった。

    身体は、全く自然なものだから、私の意志や想いとは関係なく生活している。
    そう考えると、実に不思議な存在でもある。
    数年前までは、身体のことは考えなかった。
    というか、自分のやりたいことや、やるべきことが優先だった。
    しかし、その間も、生命体としてのこの身体は、休まずに生きてくれた。
    心臓が止まったことは無い。
    呼吸が止まったことも無い。
    いつも胃や腸で食物を消火し、血液が身体全体にその栄養と酸素とを運んだ。
    身体で出来る毒素は、腎臓でろ過され、尿として排出される。

    循環器系の病に侵された時分かったことは、
    みんな連携し、繋がり、共にお互いに助け合って仕事しているということだった。
    異だけが悪いのではなく、心臓だけが悪くなるのではなく、
    腎臓だけが、肝臓だけが悪くなるのではなく、
    全ては一体。本当にこの文字通り「一体」である自分だったと気付きだった。

    その一体を生きることが、私を生きるということだった。
    もし、この内臓のどこかがが機能不全を起こし、
    どこか痛めて、不具合を起こしたら、
    私は、痛みと共にそれを感知して、その不具合が発生したことに脳が気付く。
    しかし、初期の段階ならば、完治は無理でも、
    それなりの程度にまで戻すことはできる。
    しかし、その段階を超えてしまうと、治療は難しく、
    できることは、それ以上の悪化を防ぐ、散り様だけに限られる。
    もし、もう駄目だとなったとしても、その代わりはどこにも存在しない。
    それが命取りとなることもある。

    私が生きていると言うことは、私の身体の臓器たちが、
    自然の働きのまま、忠実に、死ぬまで休まずに働き続けているおかけだった。
    この生命体としての命が失われた時、
    身体はただの骨と筋肉と皮となる。
    それは、まるで抜け殻そのものだ。
    だから、言い来ていると言うことは、この身体と一体に生きるということだ。

    なのに、私は、どれだけこの身体に感謝して生きているかの「問い」だな。
    そんな理不尽な私に対して、内臓たちが反乱を起こしたらどうなってしまうのか。
    ストライキを起こしたらどうなってしまうのか。
    私の不養生のために、肝臓がダメージを受け続けたら、
    私はどうなって行くのか。
    それは、かって経験したから、よく分かる。
    つまり、身体は、私の日々の生活態度・食事週間・ストレスと直結して、
    ただそれに影響されて弱らされているだけなんだと言うことだ。

    つまり、養生訓を私が守って生きたら、
    身体は喜び、どんどん活性化され、元気になる。
    病とは、きっと自分自身が身体の想いに逆らい、
    身体の想いに目もくれず、自分の好きなことを好きなだけやった結果、
    そうして自ら作り出している病は、実は、多いのではないかの「問い」だ。

    身体と共に生きる。
    いや、身体で生きる。
    身体が生きる。これではないかの大いなる気付きだった。
    パーキンソン病という難病を50代半ばで発症した友が居る。
    彼の病は、進行を食い止めることの難しい病だった。
    少しでもその病の進行を遅らせることしか、現代の医療ではできない病だ。
    何故、彼が発症したのかの原因は、きっと分からないと思う。
    しかし、彼は、日々の仕事や生活に、
    その身体が思う様に動かないので、とてもとても辛い苦労を続けている。

    彼も、きっと、あれだけ活躍した人だから、
    身体のことは、すっかり後回しにして、好きなことに猪突猛進の連続だった。
    しかし、振り返ってみたら、もっともっと先に、その兆候はあったのだと思う。
    身体とは、生きたいものだ。
    身体が生きなければ、自分たちの存在価値は皆無だからだ。
    私が生きているから、私の心臓・私の肺・私の胃腸も生きている。
    私の心臓・私の肺・私の胃腸が生きているから、一体である私が生きている。
    こんな簡単な事実に気付くまでに、63年間も必要だった。

    おい、待てよ。
    何を言ってんだ。
    身体があるから、お前は、今、ここで、生きていられるんだぞ。

    たった今、私の臓器に対して、「私の」をつけてみたら、
    何だか新鮮な驚きと感動だった。
    この私の心臓は、私が生を受けた胎内の中から、
    ずっとずっと鼓動を続けているたった一つの私の心臓なのだ。
    何とこの私の心臓は、私の命を守るために、
    一瞬も休まず、私が眠っている間でも、鼓動を続けてくれる私の心臓だ。

    おい、待てよ。
    何を勘違いしてるんだ。
    みんな私と共に、私であるために、私を生きるために、
    休まずに働き続けてくれてきた同志・友なんだぞ。

    私は、私の心臓に感謝しよう。
    私は、私の肺に感謝しよう。
    私は、私の胃腸に感謝しよう。
    もっといいやつの身体になることもできたのに、
    もうしわけないなぁ。こんな男の内臓として生まれてしまって。
    ごめんな。かんべんな。これから、気をつけるからな。

    一体を実感すると、孤独ではないことが少しは分かる。
    どうして独りぼっちには、なれるだろうか。
    私の心臓が、私の真の友ではないのか。
    今、ここで、私の身体の全ての器官は、
    生命として生き残るために、フル回転で働いてくれている。

    この私の心臓対して、やはり、感謝と敬意なのではないだろうか。
    一体を生きるとは、そういう意味なのだと、今、気付いた。

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