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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020/09/09 07:16:27

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    ソーシャルとはディスタンスで生きたいものだ

    ソーシャルとは、ディスタンスで生きたい。
    ここ街中ぽつんと一軒家的に生活している私にとっては、
    ソーシャルは、大きなストレス、修業でもあった。
    何だか気が重くなるのは、
    他人のいろいろな思いや考えの中に行かねばならないこと。
    固い石に囲まれて生きることの息苦しさ。
    そんなことを想うと、「行きたくねぇなぁ」と、ついつい思ってしまう。

    他人はどうして他人のことが気になるのだろう。
    私は、他人のことなんかほっといて、我が道だけを生きて行くが、
    ある一部の岩石のような人は、
    他人のやっていることが気になって仕方ないようだ。

    そのやり方には多様な方法があるはずなのに、
    「これしかない」「これをやりなさい」と、命令される。
    そこに少しでも納得できる合理的な理由があれば少しは我慢できる。
    しかし、「何で?」と想うことを一方的に支持されると、
    やっぱり腹が立つものだった。

    それから、岩石の人は、絶対に人の意見を聴かない人だった。
    自分の考え(思い付きが多いのだが)だけが正しいと思っている。
    そのことが、自分にとっては唯一守るべき信念・方法になる。
    だから、違った考えや方法を聴き入れる隙間すらない。
    残念なことに、この人には数ミリも成長する機会が失われているということだ。

    他人の言葉に共感し、
    「そうだなぁ」と思った瞬間、その人はほんの少しでも変化する。
    気付くとはそういうことだった。
    するとねその人は、同じ状況に立たされた時、その言葉を想起する。
    「やってみようか」と、やってみる。
    気持ちがいい。スカッとする。遣り甲斐を感ずる。
    「じゃ、今度から、こうしてみよう」で、その人の行動は変容する。

    つまり、変容することが、自然な生き方なんだ。
    いつもベストは難しいから、「よりベター」を考える。
    工夫することで、人の考えとは深まるものだ。
    「どうしたら最も合理的であるか」
    「どうしてらもっと子どもたちや、職員のためになるか」
    その時の基準は、自分では全くないはずだ。
    自分にとって楽なこと。自分が周りから評価されるようにこと。
    それを優先的に選択するのか、岩石の人だった。
    情けないが、そういう管理職が多いのではないだろうか。

    だから、新たな意見や、自分とは違った意見には絶対に耳を貸さない。
    それを、その人は、改善のための意見ととらえず、
    自分に対する批判・否定ととらえる。
    自分の言うことに黙って従わない人は、自分の側の人ではない。
    「よし、いつかみていろ。いじめてやるぞ」だな。
    こんなことが繰り返される現場をかっては何度か見たことがある。
    私がその当事者であったことは、数多だった。

    だから、誰も環境を改善するための「よりベター」な意見をもっていても、
    無駄だからと言わなくなる。
    その人が居ない時は、みんなで「困ったものだ」と愚痴るけれど、
    「やっぱりおかしい」「やっばりこうすべきだ」という意見については、
    その岩石が管理職である組織では、絶対に反映されない。
    つまり、組織そのものが成長し、快適になるための機会を逸しているばかりか、
    そうした無力感・閉塞感・諦め感の中で、
    活力もやる気も失われていくものだったる
    その内みんな考えることは、自分自身だけの保身となる。
    「言っても無駄」から、「言ったら、自分が損になる」と思う。

    しかし、どうしても言わねばならないこともある。
    その時は、言っても言わなくても傷つかず、変わらぬ老兵の出番なんだな。
    そんな場面にも何度か出くわした。
    「〇〇さん、言ってください」だな。

    岩石に対する身の処し方は、変わらないものは変わらないと諦めること。
    「よし、俺が」と立ち上がっても、梯子を外され、孤立させられる。
    「ついて行きます」と言ったその人が、いざとなったら雲隠れ。
    挙句の果てには、私のことを陰でこそこそとその人にご注進。
    まぁ、ソーシャルとは、そんなところだったと、ふと想う。

    岩石の勘違いは、まだまだ続く。
    この人は、本当に自分は「出来た人」「やれる人」との勘違いだ。
    自己認識力が甘いのではなく、欠如している。
    「反省」は無い。
    岩石にとっては、反省すべきは部下全て。
    みんなを見下し、評価は厳しい。相手のことはマイナス基準。
    自分対してはたいしたことのないことにも、不当な加点・加点・加点。
    みんなが、「愚かな人だ」と、理解しているその本人は、
    「自分ほど有能な人はいないと」思い込んで60年・70年・80年。

    つまり、他人の言葉を聴き入れない人とは、
    そうやって周りから呆れられながらも、
    ソーシャルな組織のトップを生きて来た人でもあるんだな。
    まさに、どこかの国の愚かな首相がそうだった。

    彼に本気になって諫言する信頼できる部下は1人もいなかったということだ。
    いや、きっと優秀な官僚や議員はいたはずだ。
    しかし、岩石首相は、そういう人たちを切り捨てた。隅に追いやり、闇に葬った。
    すると、その恐怖から、周りの人たちは、諫言や忠告をやめる。
    たとえ、国民のためにこれだけはと思った意見も、
    言わないことにして蓋をする。
    岩石に対しては、自分自身を守るしか手はないからだ。
    諦めることだ。今は耐える時。愚かな時代と。それは、仕方ないことだ。

    やっぱり、私には、ぽっんと一軒家が向いているらしい。
    他人の中に入ることは、とてもとても疲れる。感情が乱れる。ストレスとなる。
    それでは、改善すべき意見を言うと、みんなが引いてしまう。疎まれる。
    平和を乱す不心得者。問題児。不穏分子。反対派。等等。

    Sさんと、昨日もそんな話をした。
    「私は、もう、あそこには戻る気はありません」と。
    とにかく、ソーシャルとは、ディスタントをとったまま、
    その間合いで生きて行きたいと思っている。

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