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from: クマドンさん
2020/09/28 07:44:56
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みんなそうなんだよ。あなただけでないんだよ
またまた、一週間の始まり、始まり。
それでも、午後からの出勤だから、少しは精神的に楽でもある。
時々、考える。とにかく、時刻になったら、昼飯をつくる。
それを食べる。コーヒーを淹れる。水をポットに入れる。
そしたら、12時40分には車に乗って、家を出る。
それだけで、勤務先には到着する。
後は、無になる。何も考えない。あるがままで5時間働く。
つまり、身体をその流れに乗せる。
ぐちゃぐちゃと「嫌だ。嫌だ」は考えない。
よく考えたら、「嫌だ」と思った数だけ、無駄な心の浪費かな。
そんなつまらないことは、「そっちにおいて」、
ただ、目の前のやるべきことを、熟すだけ。
カンポスのマスターだな。
身体が先に動く、思いを入れない、繋げて、流れる。
すると気持ちよく、するすると前に進む。
そこで、己の欲は入れないことだ。
「嫌だ」「やりたくない」「休みたい」と、その気持ちは受け入れる。
しかし、現実はその責任と義務をしっかりと果たさねばならない。
そんなら、何も考えることはない。
ルーテーンの流れに乗っかる。
頭を空っぽにして、ただ従う。
さっちの方が、楽ちんな生き方だった。
今、朝日が昇った。日が輝いている。空を見た、爽やかな青空だ。
そうなんだ。
自然のあるがままの美しさを見つめていると、
そんなもやもやはいつの間にかどこかに消える。
つまり、二つ・三つのことを同時進行で想えないからだ。
嫌だなぁと思ったら、青空を見る。
辛いなぁと思ったら、海を見に行く。
寂しいなぁと思ったら、花を見る。
すると、その感情がすっかりと消えてしまっている自分だった。
「きれいだなぁ」「気持ちいいなぁ」「ほっとするなぁ」と、
そうした自然のあるがままの中に居て、
心をふっと解放させる。それが何よりもの気分転換だ。
どうせ今日、今、ここ、自分を生きなければならない。
ならば、楽しく生きたいものだ。おおらかに生きたいものだ。
この1日の時間の流れは、全ての人に平等である。
その時、その人が何を優先順位にしているのか、
そのことは、その人の日々の喜びや感動の実感となるはずだ。
まず、「独り」でいいと思うことだ。
私は、独りで居ることが多い。
妻と長男とは、仕事だから、日中の我が家では私、独りだ。
しかし、よくよく考えたら、みんな独りなんだ。
独りでない人とは、1人も居ないはず。
人数の1人は、2人にも、3人にもなれる。
でも、3人になっても、独りは変わらない。
「独りで、いい」「独りを、楽しむ」「人は人、私は私」だな。
すると、少し楽になる。
独りは寂しいことでなく、自分がそれを寂しいことだと誤認識だな。
そんな時は、家事をする。
私は、夕食の食器の片付けから、朝の家事を始める。
それから、冷蔵庫を開けて、食材を確かめる。
その中のいくつかをチョイスして、朝食のメニューとする。
そして、玉ねぎを包丁で切り、用途別に刻む。
そうしているうちに、私は、今、ここ、やっていることそのものになる。
「無心」とは、「無心」になることではなく、
きっと何かに「集中」して取り組むだった。
だから、朝食造りで、私は、「無心」になる。
すると、今思っている「嫌だなぁ」の感情は、消えてしまう。
身体を動かし、身体だけに成りきると、「無心」になる。
人は、同時に2つにはなれないからだ。
やっぱり、1つなんだ。
その1つに没頭する時、あの妄想は、いつの間にかどこかに行っていた。
それでも、心と感情が切り替わって居なかったら、
次の仕事にとりかかればいい。
こんな時、じっとして、くよくよと思い悩むことが、
一番の精神にとってはよくないことだ。
考えたことは、ここには全く存在しない、架空・仮定のことばかり。
思ったことだけに支配されたら、そのまま潰されてしまうのは目に見える。
歩けばいい。走ればいい。筋トレでもヨガでもいい。
そのもやもやが顕れたら、そこに絶対に留まらない。
じっとしていない。身体を動かす。掃除する。整理する。草取りをする。
そうすると、身体が気持ちよく変わる。
実は、人は、身体で思考しているものなのだ。
頭は、思い悩むときには意識されるが、
身体を使い切っている時は、身体だけの存在であると感ずるはずだ。
その時の思考は、胸や肚でしているものだ。
即時、即場の瞬時の決定は、身体の役割だ。
悩むと言うことは、無駄なことだと、私は気付いた。
私が、ここで悩んだからとしても、あの人の性格は絶対に変わらない。
私がどんなに思い悩んでも、その場にじっとしている間は、
私を悩ませている事態は全く変わらない。
つまり、私は、悩み・苦しんだとしても、全く何も変化しないものに対して、
独りで勝手にじたばたと呻吟しながら悩み苦しんでいる。
その悩みのどつぼにある私を、見る私を、いつもどこかに置いておく。
悩む私とその私を見つめる私だ。
そしたら、その見つめる私が、悩む私にアドバイスすればいい。
ただ慰めることも大切なことだが、よりよい具体的な方法を提案すればいい。
つまり、「悩むな。考えろ」だ。
絶対に相手は変わらない。どんなモンスターであろうとも、そのままを生きる。
絶対にその状況は変わらない。どうあがいたとしてもその現実はそのまま続く。
変われるのは、私なんだ。
私なら、善い方に自分を少しずつ変えることができる。
固まってしまった、物の見方や感じ方を、少し修正して見ることだ。
そして、「まぁ、いいか」「大丈夫」「何とかなる」の魔法の言葉。
私は、そうやって何度も何度も今は、切り抜けられるようになった。
しかし、私は、2度の鬱の経験者だ。
最近は、忘れることはいいことだと、実行している。
日曜日の朝、また妻に風呂の栓を目の前で抜かれた。
先週は土曜日だった。
その時は、栓を抜くときは私に確認することを、約束した。
しかし、7日後に同じ行動だった。
私は、イラッとして、怒りのモードに入りかけた。
しかし、その私を見ている私が、「まて、まて」と止めてくれた。
次は、30秒ルールだ。言いたいことはまずはっきりと言う。
その後は、30秒間沈黙を守る。気持ちの鎮まるのを待つ。待つ。
さして、後には引きずらないルールだ。
再びダイニングで怒らない。ただ、冷静に約束を確認するだけ。
つまり、わき起こる感情に支配され、翻弄されない、後に引かない、その場で終わる。
しかし、そう言ったって、力が出ない、やる気が起きない、疲れ果てている。
そんな日は、当たり前に誰にでもあることだ。
まず、考えてもらいたい。
「みんな、そうだ」と言うことを。
「自分だけでないんだ」ということを。
・独りであること・孤独を感ずること・不安定であること・生きることが辛いこと
・寂しいこと・泣きたくなること・怒鳴りたくなること・いらいらと落ち着かないこと
・夫婦喧嘩したこと・お互いに理解できないこと・子どもの将来の心配
・経済的な不安・病気になること・老いて行くこと・衰えること・死ぬこと
・生きる目標がないこと・死んでしまいたいと想うこと・憎しみが消えないこと
・裏切られること・捨てられること・生きる意欲が起きないこと
これって、みんな感じていることではないだろうかの「問い」だった。
「悩むな、考えろ」とは、こうしたネガテブナ感情や妄想を勝手に造らずに、
もし、そういう状況になったら、まず、
「みんな、同じなんだなぁ」「自分だけでないんだなぁ」と想うことだ。
そして、「相手は絶対に変わらない。この状況も絶対だ」と諦めること。
次に、では、どうやったら「気持ちよく」「楽しく」生きられる考えることだ。
しかし、私も鬱のどん底をやったから、分かるが、
人にはどうしてもそんな切り替える力も、
苦大的な方法をあることは考えることもできない時があることもよく分かる。
その時は、仕事を休もう。一時的にリタイアしよう。しがらみを捨てよう。
とにかく、布団の中にもぐりこみ、ただ眠る。ただ眠る。
どこにも行かなくてもいい。
何もしなくてもいい。
いつまでにやらねばならない仕事は一切なくする。
そのまま、起きて・食べて・眠って・起きて・食べて・眠るだけ。
「いいよ。いいよ。大変だったな。辛かったな」
「休もうよ。あれだけ頑張ったんだから、もう、いいよ」
「大丈夫。大丈夫。今は、休もう。お疲れ様」と、
もう1人の私が、疲れ果てて死にたいと思っている私に声をかける。
何だかね。
あの鬱での長い長いトンネルの中で蹲っていた頃の私を思い出ししてしまったな。
でも、今は、2度の鬱の後で、こうして退職してから3年間、まだ働いている私。
万事塞翁が馬。
これを信じて、生きるだけ。
答えはずっとずっと後なのに、その答を見ずに、途中で自死はやめることだ。
あなただけでない。
みんなそうなんだ。
そして、私は2度も鬱になり、どんだけ死にたいと思ったことか。
しかし、今、ここ、自分が生きていることに、感謝している。-
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