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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020/10/20 08:38:48

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    腹痛が続く。何かが壊れたのか?

    昨日の午前10時半頃、避難訓練で子どもたちとグラウンドだった。
    やはり気温が下がり、冷えていたのだろうか。
    突然の腹痛にみまわれた。
    あの胆石の時の鈍痛から激痛へ変わる痛みではない。
    よく「お腹を冷やしたからだ」という痛みのようだった。

    この痛み、金曜日の朝からもそうだった。
    この痛みの中で我慢して人間ドックを受けていた。
    それから、自宅に帰って、布団の中でその痛みに耐えた。
    当然、午後からのお仕事は、お休みとなった。

    土曜日の朝方までそんな感じだった。
    歳をとって分かったことは、こうした身体の変化は日常茶飯事だということだ。
    ちょっとした無理や、気候の変化に、身体はすぐには順応しないということだ。
    変化に弱いと言うよりか、その変化に順応するまでの時間がかかるということだろう。
    だから、「またか」と、ただそう思う。

    友人のKさんが、そんな私にアドバイスをくれた。
    猫が身体に大きなダメージを受けると、
    それを回復するために何日も絶食して、じっとうずくまったまま動かないそうだった。
    ああ、猫だなぁと、直感した。
    生物としての生き方そのものを、私は、学ばねばならない歳となってしまったのだ。

    つまり、頭を優先するのではなく、身体そのものを優先することだ。
    実は、こうなってしまったことには、いろいろと心当たりはある。
    50代の時には、何のことなくスルーできたはずのことの身体の酷使が、
    こうした形で現われる。
    それは、生物的には善いことなのだと、私は悟った。

    酷使された身体は、もうこれ以上耐えられないという状況に追い込まれている。
    しかし、「やめてください」「ギブアップです」「これ以上は、無理です」とは、
    言葉では私にはその警告を伝えられない。
    だから、どうするか。
    一番弱いところに症状を現せ、サインを発する。
    その身体の知恵が、私には理解できるようになった。

    無理とは、今の私の身体の現状・能力を超えた負荷をかけることだ。
    50代までは、その負荷に寄って、鍛えられた。
    確かに、ダメージは受けるが、それを跳ね返すように徐々に強さを増して来た。
    ランがそうだった。
    最初あれだけきつかった距離が、気持ちよくなり、
    いつの間にかタイムが驚くほどに縮められた。
    しかし、そんなことは、すでに昔の話なのだ。

    この衰えゆく、病を持ちつつ、弱りつつあるこの身体との、
    共存のためのライフスタイルが、今、これからの私には必要なんだとの痛感だった。

    原因不明のその腹の痛みは、今も、静かに、ここにある。
    この痛みを全く感ぜずに、平穏無事に生活できていた頃のことは、忘れている。
    今は、何をしても、この痛みがつきまとう。
    そして、その痛みが昨日のように大きくならないことばかりを願うのみだ。
    そうやっている内に、私は身体を労わる生活をするようになった。

    この身体との御同行だ。

    今朝のラジオ深夜便は、赤塚不二夫さんの1人娘の人の話だった。
    彼女は、お父さんのことが大好きで、大好きで、いつも一種にいたい女の子だった。
    ところが、小学3年生の時、両親は離婚した。
    彼女は、大好きなお父さんと一緒に暮らせなくなった。
    「どうして、お父さんは、出て行ってしまったのか」その喪失感と哀しみだった。
    中3の時、突然、父が真っ白な背広を着て向こうからやって来た。
    嬉しくて、嬉しくて、涙がとまらなかったそうだった。

    人間とは、生きていることだけでも、ままならないものだと、いつも思う。
    彼女は、29歳でイギリスに留学し、そこで結婚し、アーチストとして生きていた。
    そしたら、お父さんの二番目の妻が、突然、癌で倒れてしまった。
    赤塚プロダクションの社長だった。
    彼女とは女性どうしてして、お父さんを助ける者同志として、仲良くしていた。
    そして、闘病の甲斐なく、彼女が亡くなった。
    すると、このプロダクションを任せられるのは、彼女しかいなくなった。

    そんな時、お父さんが、突然の脳内出血で倒れ、昏睡状態になってしまった。
    意識はあるが、何を話しても反応のない状況だった。
    ICUに三カ月だったそうだ。
    どれだけ酷い状況であったか、そのことだけで理解できる。
    彼女は、慣れない社長業に追いまくられ、死にそうになっていた。
    毎日、病床を見舞い、何も反応しないお父さんに、愚痴や悪態をついていた。

    そんな時だ。
    今度は、彼女のお母さんが、突然のくも膜下で、突然、この世を去って行った。
    「お母さん、お母さん、行かないで」と、泣き叫んでも、
    血圧が下がり、臨終となった。
    そのお母さんが亡くなって、通夜の準備をしているところに、
    突然、会社の人から電話が入った。
    「先生が危篤です。すぐに来てください」
    彼女がICUに駆けつけると、三日前のお母さんと同じ状況だった。
    「ああ、父も、だめだな」と、その時、思ったそうだった。

    葬儀の時、お父さんと、お母さんのお骨が、祭壇に並んでいたそうだ。
    これが、まだ40代半ばの1人の女性をみまった運命だった。
    こんなことも、あるんだ・・・・。

    お父さんの夢は、「自分が死ぬ時は、笑われて死にたい」ということだった。
    「笑われて死にたい・・・」その言葉を聴いた時、彼女は「馬鹿な」と思ったそうだ。
    しかし、赤塚家では「馬鹿らしい」ということが、最高の褒め言葉だった。
    「つまらない」と言われることは、お前は駄目だと言うことだった。
    彼女は、その祭壇の前で、
    上梓された間もないお父さんのギャグマンガを読んだそうだ。
    そのストーリーのくだらなさに、その時、思わず大笑いだった。
    その時、「ああ、お父さんは、笑われて死んだなぁ」と感じたそうだ。

    何ともすごいお話だと、聴きながら、私は彼女に深く深くで共感だった。
    同情と言うことではなく、何ともよくそこを耐えたな。
    そして、よくその両親と独りの親友のような女性の死を受け止めたな。
    そして、祭壇で、大きな声で笑えたなあ。

    何だか、そんな彼女のことを想うと
    、私に起きたことなんか、へでもないと思えていた。

    私もいつかは、死ぬだろう。今は、毎日、その日のための練習をしている。
    その時、私の遺影を飾ってある祭壇を見て、
    妻や長男、次男は、何を想うことだろうなぁ。

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