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from: クマドンさん
2020/10/21 07:41:13
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積極的な休養を
「胃腸炎の疑いのある人は、お休みください」
これは、昨日の9時半、学童の事務局からのお達しだった。
このご時世だからしかたないかとは思った。
しかし、「休む」ことは、迷惑をかけることだと私は思っていた。
だから、腹痛が回復した昨日は、仕事に行こうと思っていた。
まぁ、しょせん居ても居なくてもいい人だから、
そんなに無理をして感染症であったら大変だから、「来ないでくたさい」だった。
そのおかげで、平日に、公然とお休みの時間ができた。
歳をとってからの話が多くなった。
63歳、何を言っているんだと叱られそうだが、
確かに、身体しての私は、何かが変わったような気がしている。
「バカの壁」をちょっと手に取って読んだら、
改めて、「そうだなぁ」と腑に落ちる言葉と遭遇できた。
これも、以前読んだ時よりも、歳をとったおかけだと感じた。
まぁ、人間とは、頭で創りあげた都市文化で生きようとする生き物だ。
つまり、全ての価値観や思想、ものの考え方は、
人間が自分たちに都合のいいように創り出したものばかりだ。
そうした年限が自分勝手に捏造したものを信じ、
そこからはずれないように、そこをはずれたら生きられなくなるように、
何だか、教えられ、信じさせられ、「みんな」の中で生かされて来た。
それが、私なんだ。
ところが、そうした架空や仮想には、本当の実感はなく、
みんながそうするから、そうするだけだという自覚も存在していない。
ただ、惰性。ただ、無思考。ただ、そのまんま。
でも、よくよく考えたら、
本当にその生き方は、私のことを幸せに導いてくれていたのかの「問い」だった。
その「問い」が生まれる時は、
そうした流れから追い出された時。
例えば、生きる死ぬの病に侵され、緊急手術をした後や、
自分が大切だと気付かなかったそのものを失った後、はっと気付いたその瞬間。
こうして、体調不良に襲われ、動くこともままならず、じっとうずくまっている時。
ふと、こんな生き方のままで、「善かったのか」と、自問自答だ。
その時、私は、「身体」に帰って来た。
「頭」に対する信仰を捨てた。
というか、頭に騙され続けて生きていたその生き方を捨てた。
こんなに悩み、こんなに苦しみ、こんなに自己否定してきたのは、
この頭が、勝手に他者と比較したり、そうあらねばと思い込んだり、
世の中はそうだから、みんなそうしているからと、言ったりするから、
そのまやかしの言葉に、騙されていたことに気付いたからだ。
と、言うか。
身体は、ずっとあるがままの自然を、自然のままに生きていてくれていたんだ。
身体は、騙さない。
身体は、ちゃんと真実の道を行っていた。
そのことに気付いたら、この身体の声に聴き従って生きることにした。
だから、「無理して会社なんかに行かない」。
身体が弱っていたら、辛くなっていたら、痛みを感じていたら、
その回復を何よりも優先にする。
そして、身体が持っている蘇生する力を信じ、蹲る。静かに休む。
次に、「意識」についてだった。
「俺が」「俺が」は、とっくの昔に撃ち方止めだった。
とにかく、身を引いた。ソーシャルの嵐から避難した。
つまり、独りでの生活。静かな生活。自分と向き合う生活。
そのことを、日々の自分の生活の中で優先にした。
その時の相手は、「意識」でもあるが、
きっと目には見えない、音にも聴こえない「無意志」なんだと私は思う。
この自然の中で働いているその働きそのもの。
その働きは、私にも確かに働きとして存在している。
「それをここに出してみろ」「それを俺に説明してみろ」
それは、できない。
でも、そうした「無意識」の働きによって私は生かされているのではないのか。
「意識」は、私を迷いと妄想の中に陥れるが、
「無意識」は、あるがままに、ここにあるのではないか。
「恐れるな。私は共にいる。私を信じよ」だな。
次に、「共同体」だと養老さんが言っていた。
お互いに支え合い、助け合うところに、人は生きる喜びを感ずる。
「俺が」「俺が」で、自分だけがよければそれでいい、
そう思って70年、80年生きて来た人の、何と惨めで哀れなことか。
金・地位・名誉・財産・貴金属、そんなものは、迷いでしかすぎないものだ。
欲望にかられて、その欲望の虜になって生きる。
ギャンブル・セックス・アルコール・薬物依存。
それが結局、妄想に惑わされて生きて来た人の末路かな。
そこで、「共同体」なんだと、言う。
「みんなのために、何ができるか」
「自分のことは後にして、みんなの幸せを先に考える」
そこに、人が人としてこの人生を生きる大事な「意味」がある。
「俺が」を捨てる。
そのかわり、「あなたが」なんだな。
しかし、ソーシャルを離れ、しがらみを離れ、一匹狼のフリーランスだ。
私にできることは、何か。
それは、「家族」を大事にして生きること。
この「家庭」をしっかりと守ること。
もう、「私」のことは、どうでもいいではないかと、思うこと。
つまり、「今、ここ、家族、自分」なんだなぁ。
そんな真実に気付くまで、63年間だったな。
バカとは、嘘偽りを事実だと信じて、疑わない人たちのことだ。
その壁に取り囲まれ、そこから脱出することもせず、
そのみんながそうするバカなことから抜けられず、
最期に死を迎える。
それでいいのか。人生とは・・・・・。
今日も、私は休養日だ。
昨日は、久しぶりの休肝日だ。
今は、休むことを優先に生きねばと思っている。
「休む」ことは、怠けていることではない。恥ずかしいことでもない。
とにかく、「休む」ことを、生活の中で優先にすることだ。
すると、「身体」が分かる。
見えなかった「無意識」と対話できる。
そして、「家族」がかけがえのないものとなる。
おんしなことだが、現役時代、
この三つのものを求め続けていたような気がする。
確かに、今は、林住期だ。
静かに、自らに休養することを許すことだ。
私の10月は、自転車電柱激突事故で2週間。
こうして腹痛続きの1週間。
まともには仕事していないが、
今が、私の根っこを深くする時なのだと考えて、
積極的な休養をすることにした。-
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