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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020/10/23 07:31:40

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    期待しつつ、忍耐をもって、日々を生きよう

    今朝、目覚めたら、身体が違うことが感じられた。
    あの異常な疲労感から、少しだけでも抜け出していたからだ。
    どこの地点を着地地点としたらよいのかは、まだ不明だが、
    先週の月曜日くらいの段階の身体とすることが、目標のようだった。
    つまり、違和感の無い身体。
    それだけが、大事なことなんだと、改めて感じた。

    身体が異変になっていると、何か気持ちもすっきりとしない。
    しっかりと考えられない。やる気が出ない。集中できない。
    何よりも身体を動かすことが難儀であるから、
    いつものようないつもの日常活動への移行がスムーズにはいかない。
    「今日は、やめよう」「まぁ、そのことはこれだけにしよう」と。

    朝、ゴミ捨て後には、庭にて小さなお仕事をささっとやったものだが、
    何だか、今日は、水をやるだけにしようと思う。
    朝食をつくることも、カンポスのマスターのようにはいかない。
    身体がぎくしゃくと重いから、踊るようにはいかない、いかない。
    ぎくしゃくとして、げつばたとして、少しだけイライラとする。

    歩くことも、立ち仕事も少なくなったので、ヨガだけはやっていた。
    無理ない程度にだ。
    身体とは、使わないと、本当に数日での退化だった。
    鍛えると言うのではなく、満遍なく使うということだ。
    日常の家事は、そういう意味では身体にとっては合理的な作業だ。
    こうして身体が動かせず、ずぼらになると、よく分かる。
    ただ、布団の中で腹這いになり、仰向けになり本を読むだけだからだ。

    腰が強烈に痛くなった。
    「今度は、腰ですか・・・」の溜息だ。
    立ち上がる時。曲げる時。しゃがむとき。筋肉がギクッと痛む。
    寝たまま。座ったまま。同じ姿勢を長時間保ったせいだった。
    つまり、休養にも時々の適度な運動なのだった。

    内科を受診した。
    「この数日間続いた腹痛と、絶対の疲労感」これは、病的ではないかの心配だ。
    しかし、彼は、その心配を聴いて、笑うだけだった。
    「急に寒くなりましたからね。今、腹痛をうったえる人多いですよ」
    「何か無理なことをしませんでしたか」それだけで。
    つまり、寒さへの変化の身体の対応と、
    身体の持てる力を過信して、オーバーワークしたこと。
    ただ、それが、原因だった。

    歳をいつの間にか、とっていたんだなぁ。
    本当に50代なら、一晩寝たら何とかなった。
    しかし、一週間、こうして身体への無理のつけが、まだまだ残されている。
    身体と共に生きるということは、
    身体の身の丈で生きるということだ。
    身体の能力・個性・現状。それを、しっかりと理解すること。
    衰えたのではなく、そうであるということだ。
    そしたら、その現状から、注意すべきことと、出来ることを考える。
    ここで大事なことは、「無理」だった。
    身体の自然のあるがまま、その「理」に適った生活をする。
    それが、健康に生きるための「知恵」である。

    こうやって一度は、どん底を味わわす。
    すると、そこから「とうしてこうなったのか」と、原因と理由を考える。
    そして、今、ここ、自分の身体の現状・現実を理解する。
    そうしたら、その身の丈に合った生活に変えて行けばそれでいい。
    それを、まだまだやれると、50代と同じと考えない。
    それは、愚かなことだ。
    健康に日々を生きるためには、失敗から学ぶ知恵が必要だ。

    昨夕、長男から、こんこんと諭された。
    「あんなに毎晩酒を呑んでいたら、身体に悪いに決まっている」と。
    ああ、情けないが、本当だなぁと合点した。
    50代までの内臓ではナイゾウだ。
    筋肉や骨格の衰えは、内臓も同じことだ。
    耐性については、やはり、衰えて来ていると感ずる。
    「私が、腹痛?」
    それは、それで、仕方ない事実なんだな。

    ああ、63歳には、63歳としての賢い生き方があるはすだ。
    今は、過労からの疲労回復を待っている。
    これも、自然なる治癒力のおかげさまだ。
    しかし、疲労が回復されるとは、どういう身体のメカニズムなのだろうか。
    そもそも、疲労とは、どうして私は感ずるのだろうかの「問い」だった。

    しかし、痛みが無ければ、その見えない傷や病が分からないように、
    もし、この疲労感がなかったら、
    きっと私は心臓が止まる瞬間まで身体を動かしていることだろう。
    「まった。これ以上やると、心臓が止まるよ。能が停止するよ」だな。
    つまり、身体にとっての疲労感は、
    この身体の生命維持のための大切な安全弁であると言うことだ。
    それを、無視してはいけない。

    痛みもそうだ。そして、疲労感もそうなんだな。
    「疲れたから、休むね」
    「疲れているから、横になるね」
    「今日は、疲れているから、何もしないね」
    この言葉が、歳をとったら大事な言葉なんだと、改めて思った。
    「家族に迷惑をかけられない」
    「寝ていることは、怠けていることだ」
    「しっゃきっとしなくては。家族に弱いところは見せられない」

    今朝のラジオで、新潟いのちの電話の創設者である真柄五郎さんの話だった。
    「どうして新潟県は、70歳以上の高齢者の自殺が多いのか」
    彼の゜いのちの電話」創設までの働きの原動力はこれだった。
    ある年に、ドイツの知り合いが一冊の絵本の翻訳を頼んで来た。
    「私は、よろこんで歳をとりたい」という絵本だった。
    大人の絵本。作者はチィンクさん?だった。
    彼が、その絵本を訳して驚いたことは、老いを受容して、許していることだった。
    「歳をとれば、もうがんばらなくて、いいんだよ」と、
    その言葉が、彼にはとてもとても身につまされる言葉となった。

    「正直に言いましょう。もう私は弱りました。助けてください」
    「ちょうどあの川の流れのほとりに立つ樹のように」
    「もう、若い頃のように勇者であることはできません」
    「だから、絶望することはありません」
    「誰かがきっとあなたを愛しています」と。
    聴き採りだから間違いが多いと思う。内容はこんな内容だった。

    嬉しいよね。
    私だけでないんだよ。
    みんなあの樹のように老いて行く、朽ちて行く。
    だから、「助けてください」と言えばいい。
    しかし、若い頃から懸命に真面目に働き続けた人たちは、
    働けなくなり、身体が不自由になると、生き甲斐を見失う。
    それが、老人の自殺につながる。

    だから、誰かが、見捨てられたと感じている人の傍らに寄り添って生きる。
    何も言わなくてもいい。ただ、話を聴くだけ、それでいい。
    真柄さんは、そのことを昔小学校で教師をして亡くなった父から教えてもらった。
    父は、リュウマチにになり、7年間寝たきりだった。
    この年月が無に過ぎることを哀しく感じたので、
    一週間に一度、父の病床を訪れ、父の思いで話をテープで録音することにした。
    父は、そのことを楽しみにして、幼い日々ことや、教師としての生活の日々等、
    いつの間にか、その話をテープに録音することを楽しみにしてくれたいた。

    その内に、最期が近づいた頃の話だ。
    「自分は、何もしてこられなかった人生だったと思ってたむ
    「しかし、こんなにみんなから助けられて生きて来たことが分かった」
    そう言って、父は、はらはらと涙を流した。
    真柄さんも、この時、老いて最期を迎える人たちにとって何か大事か、
    分かったような気がして、涙がとまらなかったそうだった。

    臨終に母は、父の手を握り、
    「また、会いましょうね」と言った。
    「また、一緒になりましよう」と語ったる
    父は、大きな目を開けて、母を見つめていた。
    彼は、その父と母の最期の別れに衝撃を受けた。

    つまり、深いインサイト、内省、洞察だった。
    自分の申請のストーリーをなぞる旅のお手伝いを、自分はやりたい。
    その気付きから、彼は、カゥンセリング講座を始めた。
    ここから、1971年10月「東京いのちの電話」を始めた、
    ドイツ人の宣教師ベッカムさんの、感動的な話が続いた。
    彼は、そのベッカムさんと出会い、「いのちの電話」なんだと考え、
    「新潟いのちの電話」を創設したと語っていた。

    真壁さんは、自宅で「野の花文庫」を始めた。
    1961年だった。
    自宅の一室を土曜日の午後から解放した。
    地域の子どもたちが集まった。
    そこで、真壁さんと奥さんが一冊ずつの絵本の読み聞かせをした。
    「昔話はとても骨太です。人生の骨組みをきちんと語ってくれます」
    これも、物語深さだった。

    「not memy but mach」
    「多くではなく、もっと深くである」彼のモットーだった。

    「人は、自分なりの物語を生きている」
    「人は、その自分なりの物語を大事に生きている」
    「百人いれば、百通りの世界であり、見え方である」
    だから、人に対しては「寛容」であり、「忍耐」である。
    「老年になったら、忍耐して待つことだ」
    「そうすれば、自然にいろいろなことが見えて来る。
    「だから、答えを性急には求めない」

    「思い出の中に、本来の姿がある」
    「現実の世界は、老年をはじき出している」
    「意識がぼやけていくのは、当たり前のこと」
    「だから、老年になったら自分に愛を注いでくれた人を思い出そう」

    さてさて、そういうお話だった。
    「私は、よろこんで歳をとりたい」を読んでみたい。
    そして、今、ここ、自分は、そういう気持ちで生きようと思っている。

    老いること、衰えることは当たり前だ。
    しかし、自分にはこれまで生きて来た物語がある。
    そこでは、私のような人を心から愛してくれた人たちがたくさかいてくれる。
    ありがたいことだ。だから、そのことが、私の生きる力となっている。

    とにかく、自分の人生を受容しよう。
    「よく生きた」「これでよかった」「幸せだった」と。
    そして、「これからもっとどんな楽しいことと出会えるのかと」期待していよう。

    この身体が、忍耐して待てば、こうして回復したように、
    この私という人生の物語も、
    これからも楽しみつつ、期待しつつ日々生きていたら、
    「生きてきて、よかった」と感動できることに出会えるのだと信じている。

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