新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

親父たちよ

親父たちよ>掲示板

公開 メンバー数:62人

チャットに入る

サークル内の発言を検索する

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: クマドンさん

    2020/10/29 07:11:20

    icon

    大人は、子ども。子どもは、大人。

    「理解することは、愛することでないか」

    私は、今、相手のことを理解することの大切さを感じている。
    「どうして、そうなんだ」
    「なんでできないんだ」
    「言われたようにしろよ」
    これは、まさに言葉の暴力だ。
    しかし、人はそうやって相手が自分の思う様に動かないからイライラとする。
    自分のことだけを考え、自分の考えや想いだけを優先させる。
    「俺の言うことをきけ」だな。

    かって学校現場で、そんな場面に出くわすことがあった。

    「ちょっとまってくれ。それっておかしいよ」だった。
    それは、相手がやってはいけないことをやっていた時、
    確かに、注意するし、時には厳しく叱ることもある。
    だが、そのことが全く反対の結果をもたらすことを知らずに、
    そうした一方的な指導をやり続けている人を見ると、
    「ああ、分かっていないんだなぁ」と、辛くなる。

    その子は、走る。動く。テーブルをまたぐ。ロッカーに乗る。
    その動きがルーテーンで、その動きをしながら大人の気をひいている。
    そのことを大人が黙って見過ごしてくれると、
    自分の気持ちを理解してくれたと感じて、おとなしくなる。
    心が穏やかに、鎮まり、集中して学習や遊びに向かう。

    ところが、その途中で過干渉や、暴力的な叱責が入る。
    すると、むらっと来る。イラッとなる。カッとする。
    それから、その行動は異常に強化され、激しくなっていく。
    それを見て、また、叱る。それも、つけ放したようにガンとやる。
    もう、彼は、元には戻らないだろうなぁと、私は思った。
    彼のその暴力的な行動を強化しているのは、彼とかかわっているその大人なんだ。

    彼が相手の嫌なことを知っている。
    だから、わざと相手を怒らすようなことを言う。
    「ばか」「いゃだよ」「やらないよ」だな。
    または、パンチやキックの真似をして威嚇する。
    それに、一つ一つ丁寧にその大人は過敏に反応をしてくれる。
    「何言ってんだ」「そんな言葉使っていいのか」「やめなさい」と怒鳴る。
    それは、その大人のプライドが彼に傷つけられたからだった。
    そんな言葉をみんなの前で言われた自分。
    その時の怒りは、彼のための怒りではない。
    自分のプライドを守るための怒りである。

    彼はそうやって何年も大人たちから扱われて来た。
    「困った子だ」「どうにもならない」「疲れてしまう」と、
    彼に対して否定的な心情をその大人たちは持つこととなる。
    それは、彼が、いっこうに言うことをきかず、好き勝手をしているからだ。

    しかし、よく考えてもらいたい、そうした厳しい対応で、
    彼の行動が少しでもよい方向に変容しているのかという「問い」だ。
    自分のいうことをちゃんときく子は、善い子で、
    自分がいくら注意してもいうことをきかない子は、悪い子だ。
    だから、教育的な配慮で彼に対しては厳しく指導する。
    しかし、その中に、大人の感情が入っていませんかだった。
    大人は、子どもから馬鹿にされたと感ずると、突然怒り出す。
    感情が入ることで、本当にその子に伝えたいことが伝わらなくなる。
    何故なら、怒鳴られた子どもには、恐怖か、反発、怒り、憎しみだ。
    きく耳をもたせなくしているのは、その大人の態度なんだ。

    日報に不登校の中学生女子生徒から投書があった。
    担任の先生が、いつもいつも怒鳴って、不安で、怖ろしいとの話だった。
    それは、確かにクラスをよくしようというその先生の本気さの現われ、
    そう彼女は先生のことを理解しているが、
    その怒鳴り声が響く教室には、居たたまれないものを日々感じていた。
    そこで彼女は、不登校になった。
    次の担任は、怒鳴らない先生だ。
    だから、少しずつ彼女も気持ちを切り替えて保健室登校をした。
    確かにその先生は彼女には笑顔で優しそうに声をかける。
    しかし、彼女が不登校であり、自分が余計な仕事でふりまわされることを、
    先生はとても嫌だと感じていると、彼女は理解している。

    「大人は、子ども。子どもは、大人」何だな。

    私は、やっぱり「理解することは、愛すること」だと思う。
    その理解には、必ず、相手の考えや思い、行動や人格に対する、
    リスペクトがあるからだ。
    だから、理解するためには、じっとじっと観察する。探究する。研究する。
    すぐには判断しない。
    その本人すら気付いていない深味まで、探る。考える。想い続ける。

    そうすることで、分かることは、とても簡単なことだ。
    「この人と、私は違う人だ」ということ。
    そして、
    「この人はこの人の生き方をするし、私は私の生き方をしている」ということ。
    だから、
    「俺の言うことをきけ」「お前は駄目だ」「お前のことを何とかしろ」ではなく。

    「そうか、そう思っているんだな」「ああ、このことをやりたかったんだな」
    「すごいなぁ。こんなこともできるのか」「へぇ、優しい子なんだ」と、

    その子すら、大人たちに荒らされてぐちゃぐちゃになってい自分だから、
    気付けなくなっていことを、ちゃんと気付き、発見して、
    「ほら、こんなにすごいんだよ、君は」と、言ってあげられることが、
    「理解」するということではないだろうか。

    子どもは、親の持ちものではない。
    子どもは、大人の言いなりにならなくてはならないものでない。
    子どもは、1人ひとりちゃんと考え、思いをもって行動している。
    その子どもを、認めてやりたい。
    まず、子ども自身に判断させ、決断させ、自由に生きられる喜びを味わわせたい。
    大人は、子どもの味方になればいい。
    子どももの思いや気持ち感情の代弁者であり、理解者であればいい。

    その子どもの存在そのものを、あるがままに尊重する。
    それが、「理解することは、愛することだ」。
    そうやって尊重された子どもは、どう生きようとするか。
    それは、尊重された時の自分自身を考えればよく分かる。

    怒鳴る。叱責する。攻撃する。否定する。「いらない」と言う。
    無視する。相手にしない。馬鹿にする。暴力を振るう。

    「大人は、子ども。子どもは、大人」

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件