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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020/11/13 08:09:06

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    異星人は、私だった

    昨日は、異星人学会で、コペルニクス的な気付きだった。
    「まてよ、異星人とは、あなたと私なのではないのか」
    それは、驚きの事実だったな。
    私たちは、異星人としてのかかわりのある人たちを分析して来たつもりだ。
    しかし、それぞれ個別の対象として研究して来たら、
    やはり、そこには共通する特徴があることに気付いた。

    「自分がいない」
    「自分の意見や考えを持たない」
    「他者からの評価を生きるための価値基準とする」
    「他者に対してあまり興味を持たない」
    「自分独りの世界で完結できる」

    そんな傾向を私たちは「自閉的」だと考えて来た。
    その自閉的な傾向をもちつつ、
    本人は困らないが、周りの人たちを困らせて生きている人。
    その人と、どのようにして平和的な関係を保てるのか、
    その法則・方法を、発見することを私たちは使命としてきた。

    そのためには、臨床実験は欠かせないものである。
    日常の生活において、いろいろな場を想定し、
    対処・対応の仕方を工夫し、実際にそれを試してみる。
    それは、まさに人間関係における貴重な実験であった。

    彼は、彼の置かれている立場で、実地を通して反応を学んでいる。
    私は、日々、いつも新たな気付きとして、その反応を学ぶ。
    挨拶しても、挨拶が返ってこなくても、いいではないか。
    話しかけても、何の返事も反応もなくて、いいではないか。
    それが、あるがままの事実なんだ。
    そのことに対して、私が感情を乱し、腹を立てることはない。
    「そういうものなんだ」と、理解することだ。

    自閉的な傾向の人に対しては、ソーシャルデスタンスが好ましい。
    私が、何を言おうと、聴いてはいない。
    私に何か言われる前に、自分の言いたいことは決まっている。
    そのことは、私の意見に寄って左右されるものではない。
    「私は、こう想う」それは、話し合いの前と後では、何も変わりはしないのだ。
    それなのに、そんなことを理解しているのに、
    それでも、まだ、無駄な抵抗を繰り返す。
    その内に、失意が重なり、無力感を感じつづけ、暗い気持ちになる。

    しかし、よくよく考えれば、そうなるのは、
    そうなりたいから、そうしている、私自身が原因なんだ。
    「それは、無理だ」
    「それは、不可能なんだ」
    と言う諦めと、了解があれば、そんな心の闇に陥ることも少なくなるとの話だった。

    では、コペルニクス的な気付きの転換とは、いったい何か。
    実は、彼の職場の主任と副主任が、
    全くこのタイプの人たちで、専門的な知識も持たず、学びもせずに、
    恣意的に自分勝手にその施設を運営し、
    責任は部下に押し付ける人たちだとのことだった。
    意見を上申しても、それを自分への批判ととらえて、上司に報告する。
    何を言っても、改善するどころか、変えないことを頑固に固執する。
    彼は、無理なシフトを押し付けられ、疲弊して、疲れ果てている。
    でも、そんな彼の身体や心のことについては、
    感ずるだけの感性は持ち合わせていない。

    これと同じことが、私の上司にも言えた。
    それ以上に実は、横暴で、頑固で、凝り固まって、自分だけが正しい人だ。
    私は、何度か上申したが、痛いしっぺ返しを受けて来た。
    今は、私の落ち度を指摘しての、いじめのようなことを行う。
    「ああ、仕方ないな」と、諦めている。
    だから、みんな口を閉ざす。何も言わない。

    そして、この人たちに共通なことは、何かと「問う」と。
    やっぱり「普通」「みんな」「世の中」「常識」なんだった。
    つまり、これだけ強引に頑固に貫けるのは、
    相手の立場や気持ち考え想い。
    そんなものは全く眼中になく、耳にも入らず、我が道を行けるのは、
    「みんながそうしている」と信じているからだった。
    「私は、常識的な行動だけをしている」と思い込んでいるからだ。
    「世の中の流れに沿っているだけ」と安心しているからだった。

    しかし、こうした人たちに対して、
    「それは、おかしいのでは」と、声を出す彼と私とは、
    実は、この世の中では全くのマイノリティー、少数派だったとの気付きだった。
    つまり、その世の中の大多数の何も疑問も無く生活している人たちの、
    その真っただ中で、孤独に生きている人が、彼であり、私であるんだ。
    そう考えると、彼と私の日々の生きづらさが腑に落ちる。

    「こんな話をできる人は、クマさんくらいです」
    それは、私も同じだった。
    ユングの無意識のカオスの話は、彼としかできない話だ。

    私は、ある一匹の猿の話をした。
    その猿は、船から落ちてしまい、陸を求めて海を泳ぎ続けた猿だ。
    何日か漂流しながら、猿はとうとう島を見つけた。
    そして、その島に上陸した猿は、驚いた。
    そこで出会った一匹の猿は、目が1つしかない猿だった。
    額の真ん中にたった一つだけ目があった。
    「こんな猿も生きているのか」の驚きだった。

    ところが、次々にその猿の仲間たちがやって来た。
    みんな目が一つだけの猿だった。
    そんな何十匹の一つ目の猿の集団に囲まれた二つ目の猿だった。

    「あい、あいつ、へんなやつだぞ。目が二つある」
    「こんな猿もいるんだな。気持ち悪いなぁ」
    「俺たちと違うあの猿は、危険な猿かもしれないぞ」
    「やっつむろ」「この島から追い出してしまえ」
    「殺せばいい。災いが来ない内に」と、暴動は突然起きた。
    二つ目の猿は、一つ目の猿たちに囲まれて、殺されるところだった。
    さて、この猿は、どうしただろうか。

    その猿は、この猿の群れで生きるために、
    自分の左目を枝で刺して、潰してしまった。
    「見ろ、俺も、一つ目だ。お前たちの仲間なんだ」

    私は、この二つ目の猿の話を思い出した。
    それでも、私は、左目を潰さずに生きて来た。

    つまり、「普通」「みんな」「世の中」「常識」の中で生きるために、
    見えていた左目を自ら潰すのではなく、
    その二つ目の猿としてマイノリティーとして生きることが、
    きっと私たちに与えられた役割なんだと、
    その時、彼と私は、腑に落ちた。

    彼も私も、死ぬまでこの左目は潰さないと、語り合った。
    だから、これからも辛く、切なく、生きる日々だ。
    実は、異星人とは、この地球に漂流して来た彼と私のことだっんだな。

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