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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020/12/15 07:30:29

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    最優先にすべきことは

    難病になってしまったら、どうするか。
    それは、私の妻であり、友であり、知り合いの女性だった。
    そして、いつ私が、そうなってしまうかも分からないリスクを負っている。
    誰も、その病気に罹るとは思ってもみないことだ。
    突然、発症する。
    しかし、それまでに長い長い身体からの声・予兆は知らされていた。

    妻は、手首に痛みを感ずるようになった。
    家事のせいか、子育てのせいか、腕を使い過ぎたんらだと整形外科に通った。
    湿布や炎症止めの薬をもらった。
    それでも痛みは治らず、足首にもその痛みが現われるようになった。
    関節が痛む。その痛みが日に日に激しさを増してくる。
    彼女は、整形の医師に勧められて、当時瀬波病院を受診した。
    今から30年前、この病院は県のリュウマチに対する基幹病院だった。
    そこには、リュウマチに対する専門医とスタッフが揃っていた。
    検査したら、すぐリユウマチであると分かった。
    その病名がついてからの長い長い闘病生活が始まった。

    この病は、「怠け者病」という偏見で呼ばれていたこともある。
    とにかく、朝は手足の強張りが在り動かせない。
    無理に指を動かすと痛みが走る。
    また、身体はいつもだるさを感じ、倦怠感に襲われる。
    直ぐに疲れるので、ぐったりと日中寝ていることが多い。
    家事も子育てもままならず、どりーれだけ本人はストレスを感じたことか。

    しかし、この病気について家族や周りの人たちが、理解していたらまだいい。
    もし、全く誤解していたとしたら、やっぱり家族の反応は冷たくなるだろう。
    医師から説明を受けた私も亡くなった父や母も、
    どれだけ妻の痛みと苦しみとを理解していたのか、
    それは恥ずかしいことだが、ある程度にとどまっていたと思う。
    私は、若かった。そして、その当事者ではなかった。
    妻は、0歳と4歳の幼い男の子を我が家に預けて、
    長期の入院、療養生活をした。
    その時の哀しさ、寂しさ、辛さは、どれほどであったろうか・・・・。

    指の腱が切れてしまい、再生のための手術だった。
    その痛みは並大抵のみのではなかったはずだ。
    それを彼女は、2回行った。
    手術をすれば、手は全く使えない。そのために、長期の入院は仕方なかった。
    そうした肉体的な痛みだけでなく、
    精神的なダメージは、難病である人たちには大きすぎる。

    これから、どうやって生きて行ったらよいのだろうか。
    つまり、健康な身体には、戻れない事実が突きつけられている。
    これから、だんだんその身体の機能が失われて行くだろう。
    動けない。歩けない。手を使えない。
    それは、パーキンソン病を発症した友人や、知人だった。
    自宅での生活が、車椅子での生活となり、
    食事やトイレ、就寝は自力で出来ずに、介護を必要となってしまう。
    リュウマチも悪性の場合は、寝たきりになる場合もある。
    自分の身体を自由に使えない。
    自分の意志や命令が、手や足に伝わらない。
    それどころか、全く違う動きをする。震えが止まらない。

    さてさて、私はパーキンソン病の人を、4人知っている。
    私のこの知り合う範囲の中で、4人は、多いのではないだろうか。
    しかし、この病は、それほど罹患して、発症し、治療している人が多いのだ。
    大好きな女将さんがそうだった。
    彼女は今は店には出ない。自宅でひっそりと引きこもったままだ。
    山の大先輩のKさんは、自宅では車椅子生活になったていた。
    百名山を登り、スイス・カナダ・ニュージーランドの山旅をした人だ。
    今では、奥さんの介護で生活をしている。
    Hさんは、70歳ぐらいだろうか。合唱の仲間だった。
    彼は、その病の人たちの患者と家族の会を中心になって運営している。
    彼は、まだ車を運転して、合唱の練習に参加できる。

    さてさて、我が友のことだ。
    彼の発症を気付いたのは、一緒に温泉に行った私だった。
    背中が曲がり、腰の位置が下がり、脚を引きずるように歩いていた。
    いつの間にか身体だけが、お年寄りのなったような感じだった。
    「最近、何か身体に変化はなかった?」と訊くと、
    「何だか疲れやすい」「足を引きずるようになった」「腰が曲がった」とのこと。
    その時は、「腹筋と背筋をつけて、スクワットが必要だな」と、私が教えた。
    「でも、病院には行って、診察してもらったほうが、いいよ」
    しかし、彼は、1年以上そのままに放置した。
    そして、いっこうに身体の状態が改善されず、
    どうも少しずつ悪化しているようなので、幾つかの病院で診察を受けた。
    最後に、この病の専門の医師のいる病院で、病名がついた。
    彼は、癌然とした。まさか、と思った。信じられなかった。どうして、私が。

    それから、2年近くたっている。
    彼は、現役で仕事を続けている。
    身体はもうとっくに、「これ以上は無理です」と、ギブアップしている。
    難儀なのは当人なのだが、彼は、身体の声を聴かぬことにしてきた。
    そして、日々の超多忙な業務に忙殺される日々だった。
    「休職したら」「早期退職の道もあるよ」と、アドバイスしても聴かない。
    全く、そんなアドバイスを訊く耳を持たなかった。
    「大学生の息子の学費はどうする」「家に居てもやることがない」
    「後少しで退職だから、その日まで現役で頑張る」とのことだ。

    しかし、ストレスが多ければ多いほど、
    そのストレスと無理身体の使い方は、彼の身体の機能を刻々と破壊して行く。
    残念ながら、養生をしている70代の人たちでも、
    その進行を遅らせることはできず、
    三カ月前には出来たことが、今、出来なくなっていることが多くなった。
    彼のように、日々ストレスに曝され、身体を酷使する環境に居れば、
    尚更、身体が弱り、壊れて行くのは当たり前のことだ。
    人は、現役で仕事することが、身体の健康と自由より大事なことなのか?

    私の上司が言ったことだ。
    私が、心の病で疲弊していた時のこと。
    「クマさん、この職場ではクマさんの替わりは、何人も居るよ」
    「でもね、クマさんの家庭では、お父さんは、クマさん独りなんだよ」
    「あなたがここで無理して倒れても、誰も、褒めないよ」
    「何であんなになるまで自分のことをほったらかしにしていたのか」
    「そんなことより、家族のことと、これからの人生のことを考えなさい」
    「だから、休め。休んで、いいんだ」
    この言葉は、深く深く私の心に沁みこんだ。

    だから、今、私は、現役の職場で苦しんでいる彼には、
    この上司からの言葉をそっくり贈りたい。

    「家族のことと、これからの自分の人生を最優先に考えて、決断してください」と。

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