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from: クマドンさん
2020/12/18 10:42:21
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無音の生活
朝は、FMのラジオと共に生活している。
朝風呂に浸かりながら、朝食を造りながら、食べながら、
縁側で新聞を読みながら、コーヒーを飲みながら。
いつも私はクラシックをかけている。
音楽と共にリラックスして流れる時間だ。
しかし、妻は、それをよしとはしない。
自分が仕事に行くのに、そんな優雅な生活を見たくないと言う。
だから、妻が出勤するまでは、音楽は御法度だった。
しかし、今朝は、とうとうそのラジオがなくなった。
置かれていると思われる箇所は四か所だ。
私が移動する度に、その小さなラジオも持ち運ばれるからだった。
その四か所をくまなく探した。
しかし、ラジオはとうとう出て来なかった。
私は、音の無い生活もいいかと、今朝は音を一切消した。
もちろん、テレビはお昼のワイドショーまでつけないからだ。
風呂にしーんと浸かっていると、
風の音がよく聴こえた。いつも、こんな音を聴かせているのかの驚きだった。
雨の音もした。遠くで雀が鳴く音もした。
すると、私は独りで思考していることに気付いた。
ラジオとのことから始まって、
最近起きている一つ一つの出来事を思い出し、語りかけていた。
まさに、これは自分との対話だった。
というか、先に、自分からの語りかけだったと、感じた。
音が無いから、言葉が聴こえる。
闇であるから光を感ずると同じように、
音が在ると、この微かな音は
、いつもきっとかき消されていた音なんだと思った。
試しに、その沈黙の中で朝食を食べることにした。
すると、噛む音が聴こえた。何だか箸でキャベツを撮む音も聴こえそうだった。
あれっ、こんなにも微かな音に充ちていたんだ。
エアコンの静かな風を吹きだす音だ。
その無音の音の中で、身体の変化も感じた。
ぬくぬくと食事の途中から、内から温まり、動き出す感じがした。
あの餌に群がる雀たちのように、
ご飯をもらって、身体の細胞たちが喜んで騒がしくついばんでいる感覚。
まさか、とは思ったが、今、こでも、そうだった。
明るい光が在るから、微かな瞬きの星たちが見えない。
音が在るから、微かな無音に近い音は消える。
しかし、無いのでは、有るのだ。
ただ、それが光りや音に邪魔されて、
私には感じられないだけなんだ。
ふと、考えた。
思索する人が少なくなったのは、
沈黙が、無音がこの世界から無くなったからではないだろうか。
中世の頃、人が創った音は、きっと生活の音だったと思う。
CDプレーヤーも、ラジオも、テレビの無い時代は。
どの部屋に行っても、無音だったはずだ。
それは、生活で働くときの音や、風の音、鳥の声は、聴こえただろう。
年寄の話声や、父と母との声。兄弟姉妹の声。それは聴こえた。
歌を歌う人もいたと思う。
しかし、その音は、素朴で、自然で、心を穏やかにしてくれる音だった。
偶然の音の無い生活だった。
話しかける人も、居ない。
庭のビオラたちを見つめているだけ。
その無音のままだと、ビオラたちの囁きまで聴こえそうだった。
音を生活から無くする。
すると、自分自身の語りかける言葉が分かる。
「ああ、本当はいつもこうして語りかけてくれていたんだなあ」
「その自分との対話こそ、気付く何だな」
この無音であった1時間位の間、
実は、私は、ずっとずっと感じたままを言葉に表し、
その気付きを改めて確認していた。
つまり、無音であることで、気付きは一層に深まったということだ。
それはそうだろう。
クラシックが成り続け、ベートーベンやモーツァルトがここに居たら、
きっと私は、私の言葉が聴こえないと、そう思った。
言葉を聴きたかったら、その音を妨げる音を消し去ることだ。
すると、聴こえなかった音が、聴こえる。
それが、本来の自己との対話だった。
そうすることで、本当に気付きや思考は深まるものだった。
「音の無い時間」を意識的に生活の中で造る。
そして、その中に浸っていることを歓びと感ずる。
「ああ、気持ちいいなぁ」「いかったなぁ」と思う。
そう想いながら、その時間の流れに任せて呼吸する。
そうなんだな、何かを無くすことで、
やっと本来の光と音とは、姿を表すことが出来る。
それは、きっと私自身にも言えることだ。
本当の私が現われるためには、この私を消してしまわねばならない。
まさに、無私の私になることだ。
「傍から見ていて辛い修業のように見えるが、
あの千日間行脚し続けた彼には、深い深い歓びだったのではないか」
これは、Sさんの言葉だ。
だから、本当に一日一日を生活することを味わえるためには、
「私を捨てた生き方」をすることなんだな。
本当の私は、私が消えると姿を表そうと待っている。
つまり、待っているのは向こうの私。
その私が「出て来られない」のは、私の我執のせい。
しかし、本物の私は、ここに居る。
それを、今は、ただ見えないだけで、聴こえないだけなんだな。
「捨ててこそ」が、「無音の生活」でよく分かった。
追伸 そのラジオは、妻にメールで問い合わせたら、
「テレビの前にあった」とのことだった。
私は、さっそくそのダイニングのテレビの場所に行った。
「あった、あった」だった。
テレビの前にうつ伏せになって置かれてあった。
「犯人は・・・やっぱり私だ」
移動途中に何かに気付き、ラジオをそこに置いたまま行ってしまったのだろう。
その時、手に持っていたラジオをそこに置いた。
次のことをしている間に、私はラジオをすっかり忘れた。
忘れたことまで、忘れた。
そのおかけで、無音が分かった。
いかった。いかった。めでたし。めでたし。-
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