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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2020/12/19 08:32:03

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    気持ちよく生活するために

    さてさて、今年も後二週間で終わるそうだ。
    どんな一年間であったか、私の火漢字一字は何だろうと考える。
    まぁ、いろいろと考えてから、ピッタリの一字に行きつきたい。

    コロナで始まり、コロナで終える。
    本当にカミュの「ペスト」が現実なった。
    感染症で世界中が恐怖におそわれるとは、
    昨年の今頃、いったい誰が考えられたというのか。
    本当に善そうもつかないことが次々と行われている。
    医療崩壊との声も聴く。
    医療従事者の疲弊であり、抜けられないトンネルだった。
    緊急事態宣言が出されるのも近いのではないだろうか。

    そんな激動の中で、私は、こうして静かに生活できる。
    そのことを、今は、ただただ感謝している。

    こうした事態になることで、改めて気付くことが多かった。
    そのことを、私が気付くためのこの感染であったかも知れない。

    まず、健康第一と言うことだった。
    これは、「ペスト」のテーマでもあった。
    感染症が重症になる人は、持病を持ち、疾患があり、体力の劣っている人だった。
    コロナは、自らが生き続けるために、その人たちを媒体として生きる。
    だから、日々の自分の健康に対する配慮が必要だった。

    そのためには、体力維持のためのトレーニングだ。
    毎日少しずつでも続けられるものとする。
    負荷が大きく、体力的にきついものは、続かない。
    例えば、ヨガだ。
    これなら、高齢になっても続けられる。
    これは、静的な動きではあるが、体幹の筋肉がしっかりと鍛えられる。
    そして、身体のバランス・柔軟性を高められ、
    内臓の活性化も促される。

    次に、食事を心がけことだ。
    食物として口に入れる栄養が、私の身体を造っている。
    つまり、その栄養が不足すれば、身体の細胞が元気にはならないとのことだ。
    だから、栄養のバランスを考えて、三食でその一日に必要な栄養を摂取する。
    その努力を続ける。
    それは、生命体としての私の責任と使命でもある。

    それから、心の安定・落ち着きである。
    このためには、余計なことは考えない。心配しない。諦める。手放す。
    独りでいる時間を大切にして、その時間に自分の心をリセットする。
    そのためには、腹式呼吸とゆったりと胡坐で座り、瞑想の時間をもつ。
    心が穏やかだと、気持ちよく一日を過ごすことができる。
    そのための配慮を、生活の中で取り入れる。
    私は、よく縁側で庭を見ている。
    そうすると、いつの間にか、心が穏やかに落ち着くものだった。

    もし、心が乱れたら、外に出ることだ。
    歩く。とにかく、歩く。それは、小さな旅である。
    すると、いつの間にか無心になっている。
    それは、観察が外に向かい。絶えず変化する風景に向かうからだ。
    すると、自分を忘れる。さっきまで悩んでいたことすら忘れる。
    だから、もし、外に出られるのなら、歩くことにする。
    買い物にも歩いて出かける。
    バスに乗ったら、帰りはその道を歩いて帰る。

    後は、人と話す機会を意図して作る。
    私は、小千谷のSさんと電話で話す。
    また、FBにコメントを入れる。返信があるときがある。
    「いいね」が返されることがある。
    それでけで、何だか誰かと繋がったようで安心する。
    ああ、彼も生きている。
    ああ、彼女も元気だ。
    FBで書かなかった頃は、こうした彼や彼女との繋がりは乏しかった。
    わざわざ電話や、メールではないしなぁと、そう感じたからだ。
    しかし、今は、ご迷惑をかけずに、繋がることができる。

    音楽を聴く。歌を歌う。演技をする。本を読む。映画を観る。
    これって、みんな身体が歓びを感ずるもののような気がしている。
    私は、よく泣く。いや、涙を溢れさせる。
    それは、はは、この頭がすることではないように感じる。
    それは、きっと、ここ、この胸でダイレクトに感じ、
    共振して、何だか深い深い歓びを感じ、その現れとして涙が溢れる。
    私は、頭をあんまり、信用していない。
    音楽も、歌も、言葉も、思考も、感動も、
    全て身体がするものだと思うからだ。

    だから、その身体が気持ちよいことをする。
    それが、私の一日の生活の基本だった。

    全てのことに「気持ちよく」を入れてみる。
    気持ちよく眠る。
    気持ちよく起きる。
    気持ちよく食べる。
    気持ちよく歩く。
    気持ちよく歌う。
    気持ちよく本を読む。
    気持ちよく人と話す。
    気持ちよく眠る。

    こんな一日こそ、私にとっての幸せな一日。
    人は、幸せになるために、この世に生まれて来た。
    しかし、もし、この気持ちよさが自分の生活になかったとしたら。
    極端なことを言えば、「死にたいと思う」生活をしていたとしたら、
    同じこの一日が、どんなにか辛く惨めで哀しい一日となるだろう。

    それでは、病気だから、気持ちよくは生活できないのか。
    身体が不自由で寝たきりだから、気持ちよく生活できないのか。
    老いてしまい、衰えを感じ、身の回りのこともできなくなれば、
    気持ちよく生活できないのか。
    それは、無いと、私は、思う。

    気持ちという言葉にその答えがあると思う。
    つまり、「気の持ちよう」なんだな。
    人は、どんな身体の状態でも、気持ちよく生活することはできる。
    それは、その人がどれだけその状況を受け入れられるか。
    または、そうであるけれど、そのことを感謝しつつ生きられるか。
    そうした、気の持ち方ができれば、
    きっと死を迎える瞬間でも、安心して、感謝して、歓びすら感じて、
    向こうの世界に旅立てるのではないだろうか。

    しかし、なかなか人は、自我が強く、我が侭で、自分中心な生活をする。
    だから、いつまでたっても、気持ちよくはならない。
    いつもいつも自分のことばかり考えているからだ。
    あれも足らない。あれも欲しい。どうして思い通りにはならぬのか。
    何を言っているのかだった。
    コロナだってまだまだ居座る。どうにもならぬ。
    突然の大雪で、高速道路に三日間も閉じ込められる。
    「まさか」なんだ、人生は。

    しかし、日々、気持ちよく生きようと、そのトレーニングを重ねていると、
    その気持ちよい生き方が身につき、
    きっとその人は、どんな状況に置かれても、
    気持ちよく生きることのできる人となる。

    その気持ちよさを体得するために、私たちにはこの人生が与えられた。
    そして、数多の試練や障害は、そうした私に成長するための道場なんだな。
    そのことを思い。こつこつと気持ちよさを学び、身に着けることで、
    やっと人は、今、ここ、自分を、気持ちよく生きられるようになる。
    私のポツンと一軒家暮らしは、そのためなんだと、思っている。

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