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from: クマドンさん
2021/02/18 14:50:42
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門は、ずっと開かれていた
人は、心が不安でどうにもならない時に、神を求める。
その不安であることから、心からの救いを求めるからだ。
自分の力ではどうにもならない状況に落ちてしまい、
にっちもさっちもいかない時に、
人は、「助けてください」と、天を仰ぐ。祈る。助けを求める。
それは、その人が大きな嵐の中で舟を漕ぎ出し、
転覆する寸前、その海に投げ出され、沈みかかっている瞬間。
自分では、どうにもならないから。
全く自分や他の人たちが当てにはならないから、
その時に、人は神を求める。
それまでは、神の存在すら認めず、神はいないと言っていた人が、
神を求める。救いを求める。
神のことを理解はしている。聖書は読んでいる。
みんなこの事が分かったら、信仰に入ろうとは思っている。
しかし、ためらっている・躊躇している。決断を先延ばしにしている。
こんな話があった。
天国に来たある男は、自分の前に開かれている門を見た。
しかし、呼ばれたら中に入ろう。誰かが来たら、一緒に入ろうと、
その門の前に佇み、何年間もそこで待っていた。
その門には1人の守衛が立っていた。
ある日、その守衛がその門を閉じようとしていた。
男は、慌ててその守衛に訊いた。
「この門に入る人が1人も居なかったのは、どうしてなんだ」と。
守衛は、答えた。
「この門は、あなただけの門だから、他の人が来るはずはありません」
男は驚き、中に入ろうとしたら、守衛に追い出され、
「もう、門を閉じる時刻です。間に合いませんでしたね」と、
守衛は、がちゃんと、その門を男の前で閉じてしまった。
男は、自分のためにずっと開いていた門に、入れなかった。
私は、幸いにも、その門の中には入られた。
それは、S先生に。どんと背中を押されたからだ。
きっと、私自身は、進んでこの信仰と言う門には、入らなかったと思う。
きっと、この男のように、開かれた門の前に佇み、時間を過ぎ去らせたと思う。
私には、S先生がいてくれた。
本当に、先生には心からの感謝だった。
さて、主は嵐が来ることを知りながら、弟子たちだけを舟に乗せて、
湖にその舟を進ませた。
イエスは、独り山の中で祈っていた。
ところがいつのまにやら嵐は激しくなり、大きな波が次々に襲い掛かって来る。
弟子たちは、恐れた。
この時だ、主に助けを求めて、必死に祈ったのは。
すると、主は波の上を歩いて、こちらにやって来てくれた。
「わたしがここにいる。恐れるな」だった。
本当にそんなんだな。信仰があれば、恐れることは無くなってしまう。
ただし、その信仰を持つ者が、私のように弱い者なら、ペテロのようなことになる。
彼は、現実の困難や試練に心を奪われ、一瞬、神の助けを忘れてしまった。
信ずる事は、自分から出来ることではない。
それは、信じられる時に、向こうからやって来るものだ。
この弟子たちは、イエスが舟に乗った途端に、嵐がやみ、波が静まったことを見て、
「まことに、あなたは神のみ子です」との、信仰告白をした。
人は、自分の力で信仰を持てるほど、謙虚で無心で、愚かではない。
人は、まだまだ自分で何とか出来る。自分が分かったら信ずる。
そうした、自力への自信。傲慢な態度。まだ大丈夫だという間違った自己理解。
だから、開いた門の中には、自分から入ろうとはしないのだった。
つまり、自分ではどうにもならない嵐にあい、もう駄目だと思い、
とにかく助けを求める時、イエスは向こうからやって来てくれる。
つまり、神は、その助けを求める恐れを待っているのだ。
患難・試練・絶望・苦悩。
そこに、イエスは、いてくれる。
信仰への門は、その時、誰にでも開かれている。
後は、その呼びかけに応えて、中に入るだけなんだ。
しかし、その門が閉ざされても気付かない人が大部分の人だった。
そんなことを、聖書でこの箇所を読みながら、考えることが出来た。-
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