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from: クマドンさん
2021/02/20 07:13:31
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長生きしないと、分かりませんね
さてさて、昨日の検査結果の診断で、石は発見できなかった。
あの血尿の原因が、そのために尚更分からなくなってしまった。
本当に診察室に入る前は、どきどきしている。
もし、癌が見つかったら、どうしようかと思うからだ。
だから、医師に「異常はありませんよ」と言われると、ほっとする。
そうなんだな、健康に対する不安感は、この歳になるといつも付きまとうことだった。
よく、Sさんと、「長生きいないと、分かりませんね」と語る。
本当にそうなんだ。
今、ここ、自分のようにして、生きることを見つめられたことは、
やはり、50代までには、無かったような気がする。
余裕が無く、ゆとりが無く、日々の仕事と生活に追われて生きていたかな。
例えば、今は、仕事もしていない。
だから、一日、自由な時間を過ごすことが出来る。
数年前だったら、そんな時間がもったいないから、
あちらこちらと行って見聞を広め、行動したのだと思う。
今は、その欲が無くなった。
それは、それで、コロナが収束したら、
もっともっと他県への旅行をしたいとは思っているが、
そうではない、この日々の平凡な生活にも、まんざらではない気持ちだ。
時間に流れの中で生活する。
この時間が大河の流れだとすると、その流れに逆らって泳がなくなった。
この時間はがゆったりと流れるのなら、
その流れに浮いたままで、移動する空や周りの景色を見ている。
それもいいと、思われるようになった。
何かをしないと満足できないのではなく、
何もしなくても、それもいいと思われるようになった。
それから、あまり「これが欲しい」というものも無くなった。
先日、プリンターが故障したので、新しいものに買い替えた。
最近した買い物は、それぐらいだ。
後は、演技に使う革ジャンをセカンドハウスで購入しただけか。
衣類は、今あるもので間に合っている。
身に着けているものには、お金を使うことはあまりなかった。
それは、それで、いいと、何も想わない。
ヒヨドリの寒太郎のように生きよう。
枝にポツンと一羽でとまり、空を見上げている彼は、孤高の鳥だ。
恰好がいい。とにかく、あの独りでどうどうとしている姿に惚れる。
私も、ああならなくては、いけない。
いつも寒太郎には、そうやって励まされている。
「独りでいい」と、尚更、そう思えるようになったから、楽なんだな。
独りで生きる。独りで充たされる。独りがいい。かな。
その「独り」を受け入れられるようになったのも、
歳をとったおかげさまだ。
誰もがみんな「独り」だった。
私だけでない。みんな「独り」なんだ。
その気付きは、大きかったと思っている。
そして、身体のことだ。
頭で考えることは、後にしている。
まず、身体で感ずることだ。身体を気持ちよく動かすことだ。
その活動の中で、思考が生まれる。言葉と出会う。気付きが生まれる。
ある意味、50代とは、思考回路の逆転現象が起こっている。
「頭ではない」「身体なんだ」そう思って生きていると、
何だか自然のあるがままだ。
だから、「悩まない」ことにしている。
今、お日様が出て来た。光を空に輝かせだした。
いつのまにか、こうやって、全ての事は移り行く。
だから、今、ここで、悩まない。
どうせ、もうしばらくすれば、違った今、ここになるからだ。
勝手に妄想をして、勝手に悩むことをしなくなった。
「何とかなる」「大丈夫」
他者に対する諦めが出て来た。
人は、人。私は、私。
その違いをちゃんと認識して、余計なことはやらない、言わない。
彼女は、彼女を生きている。
彼は、彼を生きている。
それは、私が、私を生きているのと同じことだ。
だから、干渉はしない。変われとは言わない。今、ここを、認める。それだけ。
他者の事で、イライラとすることは止めにした。
とにかく、何を申しても変わらぬものに、申すだけ無駄だからだ。
ただし、私の生き方で、語ることはできると思う。
後は、その私をどう理解するかだな。
確かに、私を嫌いな人がいる。批判的に見る人もいる。
時には、私を仲間はずれにする人もいる。それは、それで、それなんだ。
そのことに対して、私が怒ったり、抗議したり、ブチ切れたりすることは無い。
そうやっても、その人たちの私の認識は、変わらないからだ。
人の心は、変えられないものだ。
だから、どんなに陰口・悪口を言われても、仕方ないと、諦める。
そのことも、いつの間にか、忘れられることの1つだ。
そう考えると、そのままほうっておくことにする。
それは、どんな人とのかかわりでもそうだった。
まず、相手のことをリスペクトする。認める。違ってもいいと思う。
その違いに対して、とやかくは、言わない。
それは、その人に対して決して冷たいのではない。
その人の個性や生き方を尊重するから、私がかかわらないだけだ。
後は、ゆっくりと食事をするようになったことか。
朝食のメニューを考え、簡単だが、名何種類の食べ物を用意する。
それを、ゆっくりと時間をかけて食べている。
朝食に時間をかける。ゆっくりと味わって食べる。
それは、仕事の無い私にとっての贅沢な一つである。
何時までに食べ終わって、出勤しなければならない、それが無い。
そのことは、幸せなことだと、ふと感じた。
今、介護の仕事を求めている。
しかし、ことごとく不採用だった。
それは、仕方ないことと、半ば諦めてもいる。
しかし、そのおかげで、この日々の自由な時間が私には与えられている。
そのことには、感謝しよう。
「食べるために、生きるのか」
「生きるために、食べるのか」
そのどちらを生きているかで、その人の幸福感は変わるのだと思う。
しかし、「食べられない、生きられない」については、
もっともっと社会全体での支援は必要だと、私も思う。-
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