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from: クマドンさん
2021/03/24 08:09:08
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やっぱり「気」なんだな
本当にこれを書かなくなった。
というか、書ける時間の設定が難しくなったことが、現状だった。
実は、FBに1時間半をかけて書き込み。毎朝、更新している。
今日は、弱い者虐めについて、書いた。
そうやって書き切っているために、この時間、頭の中はエンプティ―だ。
以前は、ここに全ての想いをぶち込んで書いた。
だから、長文になることが多く、内容も重いものとなっていた。
しかし、今は、気楽に、気軽に、エンプティ―だ。
だから、「親父たちよ」には、「親父たちよ」バージョンで短く書こうと思っている。
最近の変化だ。
それは、「気」に気付いたことだった。
実は、私は、気の働きで生かされている私なんだと、思う様になった。
頭・脳は、コントロールセンター・指令室だ。
このおかげで私は生命体としてのみの体を日々維持をしている。
今朝、目が覚めたのは、この指令室のおかげである。
私の意識にかかわらず、心臓や肺、内臓は機能し、活動し続けている。
休んだり、止まったりしたら、そこでアウトだ。
しかし、こうして目覚めることが出来たのは、脳の自律神経によって生かされたから。
つまり、この体は、生かされている体だ。
それから、本当に私を生かしているはたらき。
つまり、その指令室すら動かしているはたらきの源は、「気」である事だ。
「気持ち」いいと言う。「気分が」いいと言う。その「気」の事だ。
私は、その気に気付いて庭の自然のいのちを見ると、
みんなこの「気」で生かされていることが、理解できた。
つまり、生きているもので、気のはたらきのないものは一つも無いと言う事だ。
では、その気は、どこにあるのか。
それが「丹田」だと、太極拳三段の彼が教えてくれた。
丹田から、発せられるのが気なんだ。
だから、気を信ずると、全ての事が明らかになる気がする。
まず、「元気」になれるからだ。
気は、まっすぐに自然のあるがままにはたらいている。
ところが、そこに頭が介入し、ああでもない、こうでもないと悩み始める。
あれが欲しい、これが欲しいと、ただを捏ねだす。
何とかしてくれ、助けてくれと、人を頼る。依存する。
途端に、気のまっすぐな道から外れる。反れる。逸脱する。
それが、煩悩・迷いの世界。妄想で、気が狂わんばかりになる。
「気が狂う」とは、この事だ。
そうした頭で勝手に自分が造りあげた実体の無い妄想で、
どれだけ人は苦しむことか。眠れない。頭が痛い。食欲が無い。
それは、気で生きていないという証拠である。
その時、「病気」になる。
よくよくこの漢字を見直してもらいたい。
病になるのは、体ではないんだ。気なんだな。
つまり、気を健康に真っ直ぐに保つ。すくすくと生かして生きる。
気のままに任せる。「気まま」に生きる。「気楽」に生活する。
すると、気持ちよく日々を生きられるから、気は病にはならないはずだ。
確かに、体の衰え、衰弱、老い、病は仕方ない事だ。
生き物であるから、そのことは当然の自然事。
しかし、「気」まで病んではいけない。
気は狂ってはいけないのである。
その事は、意識して、自覚して、勤めて努力する必要がある。
ここで仏教の言う、六波羅の道なんだな。
「布施」「自戒」「忍辱」「精進」「禅定」「知恵」
この道さえ行けば、気はしっかりとしてまま生きられる。
私は、日々気持ちいい生き方をしようと心掛けている。
もし、気持ちが良くない。心地よくないならば、どこかで気を病んでいる事だ。
心配事。怒り。痛み。苦しみ。悩み。そんなことにこだわっているとこの気は病む。
そして、体が元気でなくなる。気持ちが暗く、沈んでしまう。
だから、何よりも優先すべきは、この「気」の事だ。
では、もし何かに行き詰ったらどうするか。閉塞感に襲われたらどうするか。
その時は、体を動かすこだった。
歩く。ヨガや体操をする。家事をする。何かの趣味に打ち込む。
そうすると、この気が活性化され、また目覚め、元気に変わる。
だから、気に元気が感じられなかったら、体をまず動かすことなんだ。
そこで、ぼーっとしてじっと座ったまま、妄想を繰り返すだけだと、
そのドツボから抜けられなくなってしまう。
「ああ、もう駄目だ」「やる気が出ない」「寝てしまおう」だな。
その悪循環を断ち切るためには、まず、体を動かし、集中する事だった。
不思議何だが、「無心」になろうとして「無心」には絶対になれないものだ。
しかし、花を植える。草を抜く。味噌汁を造る。キャベツを刻む。
つまり、今、ここ、自分に集中する時、時間を忘れて没頭する時、
その時、私は「無心」になっている。はっと気がつく。時間がたっている。
その集中する力は、気のはたらきであった。
空っぽになったから、どんどん私に気が湧き上がるようにして入り込む。
気が、私を動かす。
私は、無心に、ただその気の命ずるままに従えば、それで充分だ。
自由であるとは、この気のままに生かされている事の歓びである。
そして、無心になる時、この気がフルではたらく時となる。
だから、今は、余計な事を考えないことにしている。
「ああ、疲れた」「ああ、退屈だ」となったら、外に出て歩くことにした。
今週の平均歩数は、一日7500歩を超えている。
これが、今の私の元気の源だ。
だから、昨日までのことはすっかりと忘れる。
明日のことは、明日考えることにする。
今、ここ、自分の「気」だ。
その気が気持ちいいように、気ままに、気楽に何事も行う。
生活すると言う事は、この気を活かして生きることだ。
つまり、気を活性化させて、今、ここを、自分らしく生きると言う事なんだな。
そのことに気付いてから、随分と気楽になれた。軽くなった。-
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