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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2021/05/07 07:13:21

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    心の平安・心の問題

    心が問題なんだと気付いた。
    実は、心が空っぽだったら、楽に人は生きられる。
    つまり、ただ生きている。これに尽きる。

    あれや、これやで悩むのはどうしてだろう。
    それは、自分のことをよく思われたいから。
    自分の事を褒めて、認めてもらいたいからではないだろうか。
    だから、そう想わない相手を、敵対心で見ることがある。
    その人に対して、攻撃をすることもある。
    それも全部自分が可愛いからの仕業かな。

    だから、自分なんでいらない。
    自分の事を一番最後にする。
    みんなには先に行ってもらう。
    何かがあったら、それを相手に先に譲る。
    自分は、いいと、いらないと、言う。
    この生き方が出来れば、随分楽に生きられる気がする。

    私は、人間関係を、少しずつ断捨離している。
    心が乱れる。心に余計な感情が入り込む、その人とは会わないことにしている。
    これが仕事関係ならば、いたしかたないが、
    今の職場には、そんな人は1人もいない。
    ありがたいことだと、感謝している。
    とにかく、人間関係が、心の重荷となることは、経験からもよく分かる。

    その時なんだな。
    無理だ。この人は、変わらない。
    そう思った主任や同僚と働くはめになったなら、
    心の中でのリタイアをお勧めする。
    簡単なんだ。相手にしないことだ。
    しかし、この手の人たちは、プライドが高いので、
    そんな私の気持ちは、瞬時に察知する。
    すると、私に対する攻撃モードのスイッチがonになる。
    だから、そのことは悟られず、相手に気取られず、時には、褒めて、ご機嫌をとる。
    関係がないと思えば、そんなことは感情を入れずに出来ることだ。
    感情を乱す。コントロールできないことに、頭を悩ます。
    まず、これを辞めた。

    次に、そんなに義理でかかわらねばならない所には、参加しない。顔を出さない。
    これも心の平安を守るために、大切なことだった。
    「行かねばならない」と思っているのは、自分だけだ。
    相手は。「また来たか」「何で来たんだ」と思っているかも知れない。
    だから、自分が行きたいと思ったなら、行けばいいし、
    行かなくてもいいと思ったところには、行かなくていいと言う事だ。
    「頼むからやってくれ」と言われて引き受けた事で、
    私は、誤解を受けて、辞めさせられたことがある。
    しかし、そのことは、私にとっての幸いであった。
    そうした
    やらねばならない」義務から、誤解されている人間関係から、
    リタイアする。それも心の平安にとって、大事なことだった。

    それから、相手に対して、何も期待しないことだった。
    期待するから、その想い通りにならないと、腹を立てる。
    「そんなもんだ」「まぁ、いいっか」と思っていると、気持ちがぶれない。
    どうして、あんなに「こうして欲しい」と期待していたのかと、
    今では少し不思議である。
    「人は、人」なのだ。
    自分では、ない。だから、思い通りには成らない、行かない。
    それが、当たり前の事なんだと、歳をとってやっと分かった。

    それから、クリスチャンである私はには、信仰が与えられている。
    それは、全く一方的な神様からの恵みであった。
    私は、5年前にまた、教会に戻ることが出来た。
    25年間、信仰から離れた生活を行っていた。
    まさに、人間らしく、人間として、生きて来た人生だった。
    ところが、神様に呼ばれた。そして、激しい信仰の戦いがあった。
    その戦いを通して、私は、信仰の人と成って来た。
    まさか、私が、と、今は、思う。
    それだけ、神様の私への想いが強かったということだ。
    選ばれて、ここに生きている。私は、そのことを深く深く信じている。

    だから、安心なんだ。
    私は、どんなことでも、神様に委ねる。お任せする。
    そして、そのことが成らないのなら、忍耐強く待ち続けるだけだ。
    成る時は、成るものだ。
    成らぬのには、成らぬための理由がある。または、機が熟していないと言う事だ。
    そう考えると、生きる事が本当に楽になる。
    私に起った事は、全て神様から与えれた事である。
    つまり、それは、どんなことでも是であり、善しである。

    そうやって、この道からこの世の中を見直してみると、
    やっぱり離れて良かったと、つくづくと感ずる。
    みんなは、「俺」が優先だからだ。
    私は、「神様」を優先にする。
    その道は、全く違う道となっている。

    私は、これから死ぬまで、この道だけを歩く。
    そこに、心の平安があるからだ。
    しかし、俺がの人。欲の人。名誉の人。嫉妬の人。いじめの人。否定する人。
    その人たちと、わざわざ付き合わなくてもよい生活が出来るようになっている。
    これが、現役・職場・仕事では、なかなか大変なことも、よく分かる。
    つまり、リタイアするということは、
    自分で繋がる人間関係を取捨選択出来るということだ。
    そして、自分が嫌だなぁと感ずる人とは、お付き合いしなくていいと言う事だ。

    つまり、心の平安とは、心の問題のことなんだな。
    そして、少しでも心に騒がしさを感じさせる人とは、離れて生きると言う事だ。
    これも退職後に、とても大事な生き方の1つなんだと、改めて感じている。

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