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親父たちよ

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  • from: クマドンさん

    2022/07/24 14:17:13

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    私が変われば、子どもも変わる

    今日から夏休みだ。と言うことは、私は仕事から離れることになる。子どもたちが居る間の支援員の仕事だ。だから、今日からまた元の仙人、フリーターだな。朝、時刻を気にして生活しなくてもいい。こうやってこれをゆっくりと書ける。子どもたちに話たが、1日の生活時間とやることを自分で決めて、それをやれる。時間には縛られないが、なかなか難しい生活でもある。またまた、あの5月までの生活が始まった。
    私は、47歳の講師の彼と、しばらく会えないので、話す時間を作って話した。それは、子どもは、変わると言う話だった。たった2ヶ月間で、子どもたちは見違える程に成長していた。それは、子どもが本来持っている力だった。しかし、それを見つけ、それを信じ、根気強く育てる力のある先生と出会っていない。だから、子どもたちは、伸びない、育たない。先生とは、子どもが持っているが、まだ表には現れていないその力を、引き出せる人のことだ。だから、その技量を磨く。その感性や感覚を豊かにする。それが、日々の教室なんだな。
    「この子は、きっとこれが出来るはずだ。」ます、それを見つける。それを信じる。するとこの子の行く道が明らかになる。その目当てに向かって、今、ここで、何を学ばせたらいいのか。具体的にスモールステップで課題を用意し、それを継続的に学ばせる。すると、今はまだ出来ないことが、ある日、ひょいと出来るようになる。
    名前をひらがなで書けなかった、2年生みよちゃんが、その名前を黒板に書いた。それが、昨日だった。その字に、私は体が震えた。ここまで2ヶ月だった。でも、私は言いたい。どうして彼女は、2年生になるまで、ひらがなを読めず、書けないまんまに置かれていたのか?それは、彼女に本気になってひらがなを読ませよう、書かせようとする先生に残念ながら出会っていなかったからだ。
    出来るは、出て来るだ。無いものは、出ては来ない。今、ここにちゃんとあるのに、それに気付いてやる大人がいなければ、それは、いつまでも現れては来ない。ひらがなを読み書き出来る力は彼女にはあるのに、周りの大人がそれに気付かず、諦めていたら、そるは彼女の出来るには、ならないことだ。だから、その力を引き出し、出来るようにするのが、先生の仕事。職人技だな。
    教室に入れなかった5年生の愛ちゃんも同じだ。彼女に大人たちは振り回され、困っていた。だから、彼女が逃げ出さないように彼女のご機嫌をとっていた。彼女がそうなったのは、彼女をそうさせた大人の責任だな。誤学習なんだ。わがままをすると、大人は気を使う。泣いて暴れると、大人は言うことを訊いてくれる。大人はいつもはらはらしながら彼女を見ている。しかし、だから、彼女はその大人が困っている行為を続ける。コントロールして来たのは、彼女だった。
    だから、私は約束を作った。直ぐに教室に入れたら、褒めてご褒美のシールを生活カードに貼った。それから、交流の教室に「行きたくない」に聴く耳を持たず、「行きましょう」「行きます」と、笑顔で繰り返した。そして、支援員の先生や私が、手を繋いで一緒に行った。そこで、不安にならないように、励ましと笑顔で共にいた。無理なことはさせず、まず、そこで出来ることを少しずつ増やした。その内に、出来ることに自信が出て、楽しくなって来る。ここまで、ちゃんと導いてやることだ。後は、出来る楽しさを味わった彼女は、交流の体育も、音楽も、家庭科にも行く。それは、私が「行かなくても、いいよ」を言わなかったからだ。
    子どもは変わる。大人は変わらない。これは、仕方ないことなんだな。固い頭の先生が、多過ぎる。いや、それを固いと気付かない先生が、多いんだ。それは、周りの先生方が、一生懸命に、真面目に、本気に、真っ向勝負で「教える」ことに真剣だからだ。実は、本当は、そこには無いんだが、なかなかそれが分かることは難しい。私は、楽しんでいる。遊んでいる。ダジャレを言っている。「おもっしぇ、おもっしぇ」と喜んでいる。こんないい加減な先生が、居ない、居ない。まぁ、きっと「あんな先生もいたんだ⁉️」と、好奇な目で見られていることもよく分かる。でも、本当に子どもたちに好かれ、信頼される先生って、こんな先生なんだとは、なかなか真面目に生きた先生には、分からないことでめあるな。先生としては、成ってはならない見本が私だ。しかし、子どもには人気がある。それは、どうしてだと思う?
    子どもから嫌われている先生の言うことは、子どもは聴かない。だから、何ヶ月経っても、子どもは伸びない、育たない、成長しない。それは、子どもにその気にさせていないからだ。子どもには自ら育つ力が豊かに、ふんだんに、無尽蔵に与えられている。しかし、教える先生は、その力を働かされない。それは、教えないと分からないと、勘違いしているからだ。知りたい。学びたい。出来るようになりたい。そのやる気を喚起して、ボウボウと燃やせばいい。それが、いい授業なんだ。そんな授業が出来るのが、職人であるプロの先生だ。本物の先生の授業は、大人が受けてもワキワクする歩道楽しいもねだ。だから、いい授業が出来る先生に成れ。
    2ヶ月間で、こんなに子どもたちは、生き生きと変わるものだ。その事実を、彼は目の当たりにしている。それは、わたしがしたことではない。本来子どもたちが自然に持っている力が、発揮されただけである。出来ないのではなく、出来なくさせられて来ただけだ。自分が自分として、出来るように育ててくれる先生に、出会っていなかっただけなんだ。だから、先生には真摯に自己を見つめてもらいたい。書くないのではなくて、書く力を育ててもらえなかっただけなんだ。
    「いいかね」と、私は退勤時刻を40分過ぎても、さらに話した。子どもたちが、こんなにいきいきとした笑顔になり、やる気を出して、勉強をするようになったのは、きっとそこには、私が苦心し工夫した手立てや方法が必ずある。この子には、これを。あの子には、あれを。そして、試してみてはその反応や結果を評価する。特別支援教育は、この子だけのオンリーワンの教育なんだ。通常学級のように「ここまで来たら百点」の一斉で、決まった基準で、競争させる教育ではないよ。この子は、そのまんまで百点なんだ。では、百十点にするにはどうするか、それをその子のためだけに考えて、学ばせ、それを出来るようにさせる教育が、これなんだ。
    変わるのは、私だ。私が変われば、その子は変わる。臨機応変。その子がいたら、その子に応じる。それまでの経験や体得した技量はある。しかし、この子には新たな、真っ新な気持ちで向かう。その時、私が変わる。私の中から何かが生まれる。「ああ、そうか‼️」が出来る。すると私もあの向日葵のようにズンと育つ。だから、子どもといると楽しいんだな。
    彼は、ずっとメモを取りながら、真剣に話を聴いてくれた。実は、彼は私が25歳で臨時の先生をしていた時、水泳部の顧問をした時の教え子だった。それを彼から言われた時は、驚いたものだ。いいやつなんだ。でも、生きるのが少し下手くそかな。だから、ほっておけない。彼にはズバズバと教える。やらせる。五十六の言葉そのものだ。
    彼には先生としての泳ぎ方を教えている。人間の出会いとは、不思議なものだ。まさか、30年後に水泳ではなく、先生の道を教える立場になろうとは。これだから、人生は面白い。😃
    昨日、シンコンサートだった。ボサコルの素晴らしいLiveだった。😃

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