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from: クマドンさん
2016/07/31 10:16:05
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一時帰宅の朝
これを、久しぶりに家で書いている。キーボードが使いづらい。3週間近くの不在は、こんなところにも影響が出ている。お腹からの血の混じった体液は、まだガーゼ
これを、久しぶりに家で書いている。
キーボードが使いづらい。
3週間近くの不在は、こんなところにも影響が出ている。
お腹からの血の混じった体液は、まだガーゼをたっぷり濡らしている。
この体液が止まらない限り、退院はないようだ。
これもまた身体任せのこととなった。
私が想って、願って、できることは少ないものだ。
身体は、自然のままに、自然らしく、私と関係なく着実に生きている。
庭の花たちは、私のほんの短い帰還を喜んで迎えてくれた。
Hさんが教えてくれたように、確かにこの庭の花たちの想いを、
私は久しぶりの再会で感ずることが出来た。
「待っていてもらってた」という、何だか不思議な安心感だった。
重い物をもったり、階段を上り下りしたり、激しい運動をしたりしてはいけなかった。
せっかく繋がろうとしている腹筋が、また離れてしまうからだ。
一度全く離れ離れになってしまった筋肉同士が、
いま私が眠っていたり、何も意識したりしない間でも、
もくもくともぞもぞと、くっつこうと働いている。
くっつくということは、一つになるということだ。
そんな謎のようなことが、私の身体では刻々と進められている。
自然とは、偉大な謎だと、私は想う。
だから、その自然のリアルに対して、敬意をもち、感動をもち、畏れをもつ。
そうやって自然に向かう時、自然はちゃんと本来のあるがままで応えてくれる。
身体は、身体そのものが生き抜くために、日々刻々と死滅し蘇生を繰り返している。
身体がここにあり続けるのだが、それはどれだけのものが死滅し、再生させられた、
その結果がこの身体と言う総体になっている。
変わっても、移り変わっても、ここに私は存在している。
それが、やっぱり、すごいことだと感心している。
鳥に倒されて折れていた向日葵を、また私は土に差した。
すると、今では他の向日葵と変わらず、逞しく育っている。
鳥たちについばまれ、虫食いのような向日葵の葉っぱも、元気に大きく茂っている。
位置を変えるために一度抜いて違う場所に植え替えたクヌギの幼木が、
植えたその週にすっかり枯れて葉を落とした。
幹までも水気を失い、すっかり乾燥してしまったので、
私は、「ごめんなさい」と、申し訳なく謝った。
すると、昨日見たら、小さな小さな緑の葉をつけ、
茎も緑色にうっすらと再生していた。
根っこがしっかりと生きていたのだろう。
自然が生きるとは、まったとこういうことなんだ。
自然である私にも、その自然の生きるの力は備わっている。
日々刻々とこの私の身体の再生を通して、リアルにその力を感じている。-
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from: せみさん
2016/08/04 18:29:15
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「Aさんの話の続き。彼に左手の指のことを聞いてみた。彼は仕事で電動丸ノコで製品をカットしているときに、誤ってスバッと全部の指をカットしてしまったそうだ
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from: クマドンさん
2016/07/12 06:47:12
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走った
ジョグをして来た。またこうして走れる日が来るのだろうか。人は、毎日が最期の一日だと想って生きるとちょうどよいかも。長男に庭の水やりのことを伝えた。次男
ジョグをして来た。
またこうして走れる日が来るのだろうか。
人は、毎日が最期の一日だと想って生きるとちょうどよいかも。
長男に庭の水やりのことを伝えた。
次男には、頼むとただそれだけだった。
我が家のことは、この二人が何とか守ってくれることだろう。
長男と次男とに小遣いをやった。
これも生きているからできること。
昨日、身辺整理に半日を過ごした。
机の中のがらくたを整理していたら、3万円が封筒から出て来た。
天からの贈り物。
それは、私から長男・次男へと送りものだ。
こうして腹を抱えて走ることも、これが最期となる。
手術すれば、このヘルニアは一時的には引っ込むはずだ。
よくまあ腹の皮一枚で生きている者だと呆れてしまう。
お地蔵様にお願いをした。
いつも人生の岐路には、このお地蔵さんが黙って眼を閉じて立っている。
「それでいい」としか、言わない。
私は、ご縁をいただいた。
そのお地蔵さんとの出会いで、あの母の死を乗り切ることができたものだ。
今は、私の手術である。
ただ祈る。ただ祈る。
人に出来ることはそれだけだった。
それにしても走れなくなっている。
また走れるのはいつなのか、
ふと自転車に乗っている叔父さんが、
ゴミ捨てのために歩いている叔母さんが、
羨ましく感じた。
何事もない平穏無事こそ、ありがたい一日なんだなぁ。-
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from: クマドンさん
2016/07/12 05:41:29
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入院前に
本当は、入院前の心境をここに記そうと考えていた。しかし、やっぱりどこかじたばたしているのか、ここに書くことはできなかった。最期だと想うと、何だかやって
本当は、入院前の心境をここに記そうと考えていた。
しかし、やっぱりどこかじたばたしているのか、
ここに書くことはできなかった。
最期だと想うと、何だかやっておきたいことがいろいろとあった。
「五目うま煮麺」を食べ、大威の「担々麺」を食べた。
妻と一緒に次男の大学で教授の面談を受け、
その帰りに「椿寿荘」に見学に行った。
その豪奢な物語にただただ感動だった。
帰りには「ごまどうゆったり館」で温泉に生ビールだ。
露天風呂で両足を伸ばして青空を見上げた。
お腹はふっくらと膨らみ、縦に一文字の傷跡が痛々しい。
「ここを再び切る」それはやっぱり怖かった。
もう再びここには戻れないかもしれないなぁと、ふと感じた。
するとあらゆることが愛おしく感じられる。
へぇっ、空ってやっぱり青かったんだなぁ。
私の山小屋の師匠Mさんが、死を前にして書いていた病床日記。
何気なくそれを手にして驚いた。
それは、今の私の心境と同じだった。
人の幸せとは、縁側で日向ぼっこをしているお婆さんと猫のようなもの。
ぽかぽかのお日様を浴びて、のんびりとうとうとと居眠りしている。
気持ちいいなぁ。静かだなぁ。何もなくてもそれでいいなぁ。
死を前にして行きついた心境がこれだった。
わたしもずいぶんちっぽけになってしまった。
本当にもう欲はあんまし感じていない。
土曜日に町内会長さんが我が家を訪ねて来た。
「M委員になってもらえないか」という打診だった。
地域のために働くのはやぶさかではないが、
明日は入院と言うこのタイミングですかと、少し返事を待ってもらった。
前任者のOさんの所に行き、仕事の内容や年間のスケジュールを教えてもらった。
もしも、再び手術から蘇ったら、私は一つの生き方を選択している。
そう生きようと、その後の人生はそこに捧げようと決意している。
そんな話が向こうからやって来たので驚いた。
さて、日曜日の礼拝では、「いのちの言葉をもって生きよ」との教えだった。
私がこうしてまた何十年ぶりに礼拝に参加し、祈ることができるようになったのも、
ある苦しみのおかげだった。
神様がまたそんな私をここに呼んでくださった。
ありがたいことだった。
もし、私に信仰がなかったら、ここをどう乗り越えたことだろう。
人は、弱くていい。だから、傍にイエス様が居てくださる。
礼拝で、私の入院と手術のために全員で祈ってもらえた。
私は、涙が止まらず、嗚咽する自分をどうしょうもならなかった。
その夜、32歳のSさんの葬儀が豊栄であった。
彼は心臓で倒れ、腎不全を起こし、突然帰らぬ人となった。
子どもさんは、四人。
みんな小学生と保育園だった。
子どもたちは彼の父と母とが育てるそうだ。
どれだけ無念だったことかと考えると、慰めの言葉もなかった。
人は、死ぬ。
それも予期せぬときに、その死は訪れる。
だから、今日を、今を、ここでどう生きるかを全ての人は問われている。
やっぱり、問うているのは、いのちの方だった。
私は、怖かった。
できたら逃げ出したいとも想っている。
ただし、そこでしっかりといのちは臆病な私に問うている。
「どうこれを受け入れるか」を。
Sさんと、電話で語り合った。
本当にお互いに合点のいく話ばかりだった。
頭で考えていた時代とは違い、身体でお互いに感じ、心地よさをもとめているからだ。
言葉は、本来の言葉として、語り合う私たちの心を明らかにして、蘇らせる。
自分が語りながらも、それは言葉自らが語っているような気持ちになって行く。
この私の試練は、私にとってはとてもとても大きなターニングポイントだった。
そして、お互いに人生を振り返ってみたら、
やっぱり全ては繋がっていたことと、この日のためにあれがあったことを、
78歳と58歳の二人の男は、改めて確認し合った。
小千谷のSさんと、新潟の私とが出会ってから16年ぐらいたっている。
話す度にお互いの気付きを語り合い、新鮮な感動を感ずる。
「途上の人」
「途中の会」の二人は、いつもいつもそこを歩いての御同行だった。
ありがたいもりだった。
こうして人生の師に出会えたことは。
そて、月曜日のこと。
土日をかけてすっかり庭と花壇とをきれいに整えた。
新たに花たちを植えた花壇は、今は生き生きと花たちの色で華やいでいる。
手術前に花を植えた。
もしものことがあっても、この花たちは私の意志といのちとを受け継いで生きる。
花を観たら、私がそこにいるはずだ。
「できた」と、日曜日の午後にはある段階で仕事を終わりとした。
キャプ用の椅子に座ってただ花たちを眺めていた。
そして、昨日は、体調が絶不調だった。
喉と鼻の痛みだった。
身体はだるくて走る気も、歩く気も起きなかった。
せっかく入院前の最後の一日なのに、私は何もできなかった。
ただ、お世話になった叔母や叔父には挨拶に行った。
施設の叔母にも会いに行った。
みな心から私の手術のことを心配してくれた。
風邪ならば、手術は延期だろうと喜んでいたら、
どうやらエアコンによるハウスダストだったようだ。
昨夜は、酒を飲みながら長男には言わんでいいことを言ってしまった。
悪い癖だと、自戒している。
何も入院の支度もせずに。今朝を迎えてしまった。
ああ、今日が最期の我が家なんだなぁ。
そこで、やっぱりここに自分の今の心境を書き留めたくて、書いている。
夏の朝日がもうすぐに大山台の展望台に昇るところだ。
これから、ゆっくりとジョグをしよう。
さて、明日からの親父たちよは、Tさん経由での掲載となる。
病院のベットからのリポートだ。
また、あの昨年の12月の日々のように。
私は、今日の9時には病院で入院の手続きをする。
それからは、手術までのカウントダウンだ。
その心境は、こんな経験は二度としたくないので、やっぱり書き留めようと想う。
実は、こんな親父たちよを読んでくれる人がいるとは想っていない。
ただ、息子たちのために、遺言のつもりで書いている。
だから、どんなになろうとも、書き続ける決意をしている。
長くなったので、右の肘が痛くなった。
さてさて、最期のランに出かけよう。-
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from: クマドンさん
2016/07/09 07:28:01
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爆睡の連夜
連日連夜、庭での爆睡が続いている。バッハを聴きながら、菊水を飲みながら、ガスライトの灯りで、ただぼーっとして庭の花たちを観ている。そんな単純な生活それ
連日連夜、庭での爆睡が続いている。
バッハを聴きながら、菊水を飲みながら、ガスライトの灯りで、
ただぼーっとして庭の花たちを観ている。
そんな単純な生活それだけで、何だかとっても満足している。
ここまで来るのには、とてもとても長くて遠い回り道。
本当によくここまで来れたものだと感心する。
やっぱり「人生は、生きてみなくては分からない」もののようだ。
ヨブ記をまた富田氏の著書で読みなおしている。
私にとって人生の岐路には、いつもヨブ記だった。
あれだけ悲惨なる人生を与えられながらも、
彼は、「神は与え、神は奪う。神をほむべかな」と、賛美した。
その信仰の深さゆえに、この物語を読むのではない。
私は、それでも神がヨブを愛している、そのことでこの物語を読んでいる。
あなた方が人生に何かを求めて、問うのではなく、
人生があなた方に求めている問いにどう応えて生きるのですか。
これはフランクルの言葉だ。
「夜と霧」の中にあるこの言葉に、私は何度も救われた。
「人生に問われている」
「その問いにどう応えるかが生きるということだ」
その逆転の視点に、ある日から目が覚めるような想いがした。
ヨブはたった一度、自分がこの世に生まれたことを呪ったことがある。
その時、悲しんだのはヨブを深く深く愛する神自身だった。
しかし、彼は再び本当の自分に戻り、
十人の子どもを失い、全財産を失い、自分は全身を腫瘍に犯されもだえ苦しんでも、
それでもやっぱり神を賛美し、礼拝を捧げた。
人生に何故はない。
ただ生きるを与えられているだけ。
そして、神を愛する人、つまり、神のご計画によって召された人に、
神はすべてのことに働いて益としてくださる。
ヨブはそんな悲惨なる人生の最中にその光を見つめた。
フランクルはアウシュビッツの収容所でその生き方を悟った。
今、自分に与えられた意味は誰にも分からないが、
その意味は必ず存在している。
それは、その人が望み、期待しているものではないかもしれないが、
ただし、それはその人だけに与えられた、その人の意味である。
その自分だけに与えられた意味を悟ることが、
生きるということなのかもしれなかった。
「それでよかったんだ。」
だから、これからあなたはどう生きますかと、人生は私に問うている。
ヨブも生き、フランクルも生還し人生を生き抜いた。
庭の花たちも、その短いいのちを生き切って散って行く。
それなのに、また新芽が現れ、すくすくと逞しく育っている。
そのいのちには終わりはなかった。
例え違う花であろうとも、この根っこは同じ花たちだった。
同じいのちを源として生きているのだから、
この花が終わっても、あの花が生きて行く。
散ることを潔く受け入れるから、あの花の輝きがあるのだろう。
例え人生の意味を言葉では語れなくとも、
そんな与えられた人生をいのちを静かに潔く受け入れる時、
人は、やっと何かを悟れるような気がしている。
ただ酔っぱらいが庭で音楽を聴きながら爆睡している。
そんな日々に、心が不思議と安らいでいる。-
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from: クマドンさん
2016/07/06 05:41:26
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覚悟を決める
昨日、施設のS叔母の所へ行った。久しぶりの施設だったので、叔母は初め私のことが分からなかった。ちょうど夕食の時間だった。私はテーブルの向かいに座って叔
昨日、施設のS叔母の所へ行った。
久しぶりの施設だったので、叔母は初め私のことが分からなかった。
ちょうど夕食の時間だった。
私はテーブルの向かいに座って叔母と話した。
入院と手術の報告だった。
いよいよ来週の火曜日に入院します。
木曜日にはまた腹を切るよ。
またしばらく会えなくなります。
叔母は、自分のことのようにいたくいたく心配してくれた。
身内とは、こういうものだった。
まるで自分が入院して、手術を受けるような気持ちで哀しんでくれる。
「Hちゃんが生きていたら、どんげに哀しかったろね。」
姉である母の気持ちになって哀しそうに言ってくれた。
その言葉が、何よりもの慰めだった。
哀しむ人の傍に佇み、共に哀しむ人となる。
ただその人が傍らに居てくれるだけで、哀しみは少しずつ癒される。
それはよく分かっている。
そして、こうした立場に立つと、
「大変だね」「切ないね」「何とも言ってやれないよ」と、
こんな私の気持ちになってくれる人の言葉や想いがとてもとてもありがたく感ずる。
ふと想った。
しかし、私はどうなのだろうか。
私は、その哀しみに寄り添い、黙ってそこに居るだけの人となっているのだろうかと。
私は、その哀しみを本当に深く深く理解して、慈しみの想いをもっている人なのかと。
長男のことで、今は心配する毎日だった。
彼には、彼を生きて欲しい。
彼には、彼自身を信じて、まず一歩踏み出して欲しい。
しかし、それは親としての私の願いだけではないのだろうかと。
一方的に「こうあるべき」を押し付けて、突き放しているのではないかと。
絶対にそんなつもりも、そんな気持ちもなく、
ただただいつもいつも心から離れない私なのだが、
彼がどう感じ、どうとらえているかは、彼自身の気持ちだった。
隣人でいればいい。
その想いに留まれるためには、まだまだ私の修業が必要なようだ。
手術までの1日1日が過ぎて行く。
それは、手術の日に1日1に近づくということだ。
そして、その朝を迎え、手術室のあの冷たいベッドに仰向けになり、
酸素マスクから酸素が流れ、私はいつか意識を失っていく。
目覚めるかどうかは、神様の知ること。
そうはなりたくはないが、2度も手術に失敗している私には、
その可能性も十分あるようだ。
従容として受け入れる。
その現実にあるべき意味を見つけ、理解する。
それを嘆かず、哀しまず、ただそのままを淡々と、粛々と。
今、私が行わねばならない修業とは、
その境地をつかむことと、その境地で今を生きることだと、そう想っている。
怖い。本当にじたばたと逃げ出したい。
できれば、手術は受けたくはなかった。
でも、そんなじたばたする自分も嫌だったから、
とにかく覚悟だけは決めようと想っている。
再び痛みと苦しみの中で目覚めた時、
何かをきっと分かっていることだと、私は信じているから、手術を受ける。
そんな姿を長男には観てもらいたい。
父親としてできること。
それを今はやらねばならないと想っている。-
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from: クマドンさん
2016/07/05 05:35:40
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後、一週間
さてさて、しばらくは書かないで、このまま入院しようかなぁと想っていた。本当に後一週間。来週の火曜日には、私は9時に大学病院の入院窓口に居る。そしたら、
さてさて、しばらくは書かないで、このまま入院しようかなぁと想っていた。
本当に後一週間。
来週の火曜日には、私は9時に大学病院の入院窓口に居る。
そしたら、もう逃げられない。
そのまま病室に入り、ベッドが決まり、病衣に着替える。
そして、検査が続き、木曜日には腹を切る。
何だか、それは自分のことなのかと、ふと想うことがある。
私がやめたことは、「どうしてこんなことが」と想い嘆くことだ。
手術が失敗して、こうしてヘルニアになったことを、
嘆いたり、誰かを責めたり、己の不運に落胆したりしても仕方ない。
全てのことは、起きるべきして起きること。
そして、その艱難・試練からしか、私のような人は学べないこと。
神様は決して耐えられない試練を与えられないことと、
その試練から逃れる道も備えてくださっていること。
何よりも、この弱さの中でこそ、私は強く鍛えられることを、
私は、今、確かに信じている。
だから、こんな私であったので、9カ月に3回もの手術を与えられる。
その与えられたことには、私に対する深い深い意味がある。
その意味を理解するためには、どうしてもこの苦しみを通らねばならない。
ある本にこんなことが書かれてあった。
「あなたの人生とは、真っ白な紙の一番下に署名をするようなことです。
そのには、あなたの人生に起こるすべてのことは、神様が書いてくださいます。
ただ、そのことを、その召命を受け入れ、従うだけなんですよ。」
58年間、こうして生きて来てやっと分かったことは、そのことだった。
私が勝手に書いたものは、私の願いとは反対の試練や罪となった。
私は、たったこんなちっぽけな人生しか歩めなかったが、
その歩みは、振り返ってみたら、全てが「よし」と想えるものだった。
本当に人並みには生きられず、いろいろとありかぎた人生だったが、
今は、生きてきてよかったなぁと、感謝しかない。
神様は、愛する者には時には厳しく鋏を入れるもののようだ。
与えられた試練の大きさは、神様の愛の深さでもあった。
「愛されている」から、「見守られている」から、「ともに居てくださる」から、
私は、ヨブのような人生を与えられた。
ただし、そのことで、そこで私が見つけて言葉で、
心に新たな気付きが生まれた人も少なくはなかった。
今、私が愛することで、慰めと平安を感ずる人もきっといてくれると信じている。
師匠のSさんと日曜日に電話で語り合った。
いつもいつも「問い」の大切さを感じさせられる対話だった。
「いかに生きるか」そのことだけが、人生問いだった。
その問いを忘れずに問い続けて日々を生きている。
そのことで、私たちは、身体で感じて、魂の深みで吾知らずに気付くことがある。
そのことをお互いで素直に語り合う。
Sさんが78年間生きたればこその、その言葉だった。
私が、今回の手術という過酷な試練を受けたればこその言葉でもあった。
その言葉は、普遍となる。
人の思惑や個人的な願いを超えて、
「そうだよね」「そうでした」という気付きとなってここに在る。
私の人生も、私の手術も、その言葉が表れるためにあるのだと、
今は、そう想っている。
しかし、怖い。じたばたして逃げ出したくもある。
ただ、逃げたら、きっとせっかく生まれ変われる機会を失してしまうことだろう。
分かりたければ、この道を行かねばならない。
それは、愛によって与えられた試練なんだ。
後、一週間となってしまった。
だから、尚更、入院と手術の決まった今の心境は、書くべきなのだと、
また、ここに書き始めている。
これも、長男と次男への遺言のつもりだ。-
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from: クマドンさん
2016/07/02 07:34:51
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笑いたい。
昨日は、お笑いを観てきた。会場はあらゆる世代の人たちで満員御礼の状態だった。お笑いと言えば、大阪が主流だが、新潟のお客さんの優しさ昨日はつくづく感じて
昨日は、お笑いを観てきた。
会場はあらゆる世代の人たちで満員御礼の状態だった。
お笑いと言えば、大阪が主流だが、
新潟のお客さんの優しさ昨日はつくづく感じてしまった。
みんな笑いたいから来ている人たちだ。
笑わせてください。
それが観客の一途な願いであり、祈りでもあった。
だから、これでと想うようなリアクションや言葉で笑いが起こった。
一生懸命にギャグやネタを披露するご当地芸人の若者たち。
それを温かく見守り、応援するお客さん。
それはそれでいいのだが、私は何だか物足りなさを感じてしまった。
どっしりとして落ち着いた職人芸とでも言うのだろうか、
そうした堂々としたお笑いを、私は欲しかったのかもしれないと、
少々疲れた私は、独り勝手に想ったりする。
何故人は、笑いを求めるのか。
何故人は、笑うためにチケットを買って集まるのか。
そんなことを考えているから、ちゃんと笑えないのだと、自分を笑った。
しかし、笑っているだろうか。
常日頃、自分の家庭の中で、あははっとばかりに。
子どもが成人して大人になっている今、
子どもネタで笑うことがなくなった。
それよりも、これからどうするんだ。どう生きるんだの心配ばかりだ。
そんことを想うと、心がずんと重くなる。
「なんとかなるさ。ケセラセラだよ」とは、笑えないのがこの現実だ。
でも、でもだから、みんなはここぞとばかりに、ここに集まったのかもである。
私は心配は、みんなの心配だ。
私の悩みは、きっと大なり小なりみんなも抱えている悩みではないだろうか。
私ではない人は、独りも居なかった。
悩みと失敗ばかりの私のことを振り返ると、
そう想えるようになった。
そんな私がやって来たのだから、
やっぱり腹を抱えて笑わせてくださいだった。
でも、笑えなかったら、どんどん疲れて行ったら、どういうことなんだろうか。
ハイキングさんは、やっぱり漫才の王道を目指している人たちだった。
センターマイクにその誇りが輝いていた。
マイクが入らなくても、あれだけ受けていた横沢さんは、本物だった。
妻と長男とは、手を叩いて大きな声で笑っていた。
お笑い、新潟でも定着することを願っている。
笑いたい。腹を抱えて、何もかも忘れて。
そんなお笑いを私は待っている。-
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from: クマドンさん
2016/07/01 05:51:21
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人生は、やっぱり出会いだね
その人の生き方と出会う。その人の語りを聴く。その人が語ってくれた言葉を心に記録する。そして、自分もその言葉に添って生きようと願う。そうやって、自分の計
その人の生き方と出会う。
その人の語りを聴く。
その人が語ってくれた言葉を心に記録する。
そして、自分もその言葉に添って生きようと願う。
そうやって、自分の計らいではなく、必然の出会いによって、
今の私はある。
途中の会のWさんの高柳町での10年以上の出会いの記録を読んだ。
さすがだなぁと、感心させられた。
彼は、その出会いを決してその場だけで終わらせず、
必ず何かの実践に繋げていたからだ。
彼は、土地の人と知り合うと、本当に追究の姿勢を止めず、
とことんまでかかわり、納得の行くまでその人から話を聴く人だ。
その語りの中に、彼が次にやるべきことへのヒントが存在してるからだ。
彼のアンテナは敏感にその価値をキャッチして、
ならばと、次の行動に向かって走り出す。
彼によって、ウズベキスタンの歌姫は、みなとぴあでコンサートを行い。
シンセサイザーの名手の演奏を森の中で響かせた。
観光カリスマの人から、小さな茅葺集落の魅力と持続可能な再生の試みを聴き、
紙漉き名人から、生き方と百姓としての極意を聴いた。
彼は、ただ無心に語る人の言葉に心を傾ける。
和紙に水が浸透するようにして、
彼の身体の中に言葉の水は浸透して行く。
そして、彼はその言葉の意味を問い直し、
彼を通して新たな言葉・生き方・想い・願いにして、
今度はその文章を読む私たちに語りかけてくれる。
いかに生きるとは、どれだけ自分に語り掛けられた言葉を心で受け止め、
自分の生き方としてとらえ、
そして、その視点から自分の今を見直し、問い直し、
何か新たなものの見方・考え方で、
毎日をこの場所で生き直すということではないだろうか。
いかに生きるかという「問い」を私の中で蘇らせてくれる人。
その人が実感を持ちながら、語られる真摯な言葉。
私にとってそれはとても大事な大事な出会いであった。
彼とこうして長い間お付き合いさせてもらうことで、
私は、彼が出会った人たちとも出会うことが出来た。
その人たちの歌や音楽を聴き、
その人たちの語る言葉でどれだけ気付かせられ、感動したか分からない。
人生とは、やっぱり出会いなんだなぁと、
彼の書いた文章を読んで、つくづくそう感じた。
「願わくば、よき出会いを。よき言葉を」だった。-
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from: せみさん
2016/08/05 06:59:59
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「とうとうこの朝の景色とも今日でお別れとなった。退院だ。7月12日入院、14日手術。それから三週間で今日を迎えた。しゃばとは違う病院での生活は、私に多