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from: yeshangさん
2013/11/30 20:51:39
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時代は変わった
30年前、パソコンPC8001を買ってきて、私も使い、ちょっとしたプログラムを書き、アプリを動かして子供たちにも使わせていました
それが今では、パソコン・ネットを女房子供たちが自由気ままに使いこなしていて、知らぬ間にIphoneやipadを買ってきて、室内の無線ランや何やらのネットにつなげて通信しています。
本当に、隔世の感があります。
昔、ISDNのことで社内で議論していた時、私はキーボードは一般的なものになると発言しましたが、年寄りからは大反発を受けたことを思い出します。今は、私以外、女房・子供も皆ブラインドタッチでロ-マ字かな変換です。
女房は同じ年代ですが、知らぬ間にIphoneやIpadを取り寄せて、今ではICTで一番遅れをとっているのは私になりました。
本当に、家族から時代遅れと言われるのが癪になっています。
しかし、人生で大切なことを何かとか、言い聞かせることだけがと思っているのですが、たいした経歴もなく、極楽蜻蛉の親の言葉はいい加減にして、それよりも、親の言葉に見向きもせず生きていくのもいいのではと思う次第です。 -
from: かもみどり - 2さん
2013/11/27 20:01:11
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from: yeshangさん
2013/11/23 20:21:53
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from: かもみどり - 2さん
2013/11/23 08:06:51
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from: yeshangさん
2013/11/22 23:54:24
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ICTの時代
女房がI-Phoneをいち早く買って、遊んでいたと思っていると、今日は何やら通販でI-Padのようなものを取り寄せて、パンフレットとにらめっこしている。
私は相変わらずの携帯で、何不自由なく思っているのですが。
ITを仕事にしていたのに、いつの間にか女房・子供たちに追い越されて、皆はブラインドタッチなのに、私はひらがな入力。
世の中も変わったものです。
30数年前、ISDN社会について社内で議論した時、キーボードは一般的なものになるといったところ、年配者からは「とんでもない、あんなものが日本人に普及するはずはない」と強く反発されたものですが、それ以上の社会になっています。 -
from: yeshangさん
2013/11/21 20:02:45
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ビットレートの社会について
かつてのわが社の副社長が通信の世界ではこれからはビット課金の世界になると何度も言っていました。
半分は解っていましたが、半信半疑でもありました。
しかし、いまは本当にビットレートの通信の世界になっています。
真空管の時代に1ビットを処理しようとすれば1つの真空管が必要で、その容積100ml程度は必要だったでしょう。それが1cm四方にメガビット、100万の素子が組み込まれる時代になりました。
こうなると、ビット単価は劇的に安くなり、通信技術の発展とともに音声・画像のデジタル化によるコストも安くなりました。カラー画像1枚送るのに数万円していたのがインターネットでタダみたいになりました。大変な技術革新です。
アナログの世界はもう時代遅れか?
五 輪の開催地の選挙での「おもてなし」は正にアナログの世界です。
デジタルとアナログが調和して進む世界、技術的にはデジタルでしょうが、人間世界ではアナログが大切にされる社会が必要と思います。 -
from: yeshangさん
2013/11/21 20:02:44
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ビットレートの社会について
かつてのわが社の副社長が通信の世界ではこれからはビット課金の世界になると何度も言っていました。
半分は解っていましたが、半信半疑でもありました。
しかし、いまは本当にビットレートの通信の世界になっています。
真空管の時代に1ビットを処理しようとすれば1つの真空管が必要で、その容積100ml程度は必要だったでしょう。それが1cm四方にメガビット、100万の素子が組み込まれる時代になりました。
こうなると、ビット単価は劇的に安くなり、通信技術の発展とともに音声・画像のデジタル化によるコストも安くなりました。カラー画像1枚送るのに数万円していたのがインターネットでタダみたいになりました。大変な技術革新です。
アナログの世界はもう時代遅れか?
五 輪の開催地の選挙での「おもてなし」は正にアナログの世界です。
デジタルとアナログが調和して進む世界、技術的にはデジタルでしょうが、人間世界ではアナログが大切にされる社会が必要と思います。 -
from: yeshangさん
2013/11/18 21:12:00
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最近思うこと
戦後の子供のころは皆貧しくて、私の家は父が大酒飲みで貧しいとばかり思っていましたが、思い起こすと、けっこうな生活をしていたと思っています。
当時は母子家庭の子供も多く、日雇いみたいな生活の家も多くありました。
家が商家で新聞店をやっていたので、小学4年生から新聞配達をしていました。
しかし、それは、日頃見ている新聞配達の少年たちにやっとその年ごろになれたことが嬉しかったものです。苦労したつもりでたいしたが、思えばなんら苦労がなかったのではと思う次第です。
新聞配達では雨・台風の日や雪の日は大変でしたが、今では懐かしい思いでです。
毎朝、新聞配達でついてきた近くの犬も思いだされます。近所の家から配達が終わるまでお供してくれました。
私は、やはり死んでも人間世界に戻ってきたい思っています。
しかし、人間に生まれれるのは大変まれなことだと言われています。
地獄・餓鬼・畜生・修羅に落ちても大丈夫なように、空手道にいそしんでいる次第です。
そこでは、刀も鉄砲もなくて自力で戦わなければならないのですから。
それよりも天上界や極楽に行く行動や考えを持つべきだとも思っています。 -
from: yeshangさん
2013/11/14 22:03:41
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老人力について
やりたいことが出来るのが老人力だと思っています。
先例は大久保彦左衛門。勇猛の戦士だったのが太平の時代になって、不満やるかたない生活。
それで、奇妙な振る舞いに及ぶのですが、それが時代の人々には拍手喝采。
しかし、本人はやりすぎたとか年寄りのくせに浅はかなことをしてしまったと反省しきりなのですが。
私も、よくあることでですが、そこは年寄りのことと許してもらって、本人はのほほんとしてしているのが老人力かと思っています。やったところで、くよくよする年ではないのですから。
やりたいことをやって、失敗しても反省しても、のほほんとしてやり過ごす、老人力を大いに発揮したいと考えています。
最近、思うのですが、「法華経」は行動の教えであって、二宮金次郎も一度聞いて、あのような大きな事業を成しています。
自分の思ったことは行動に移して、失敗しても誰知らぬ顔をしているのがいいでしょう。
もちろん、自分自身反省しても、さらなる前を向いて生きていけるのが今日此の頃の我々の特典です。 -
from: yeshangさん
2013/11/13 19:20:46
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道徳教育が安倍政権で言われています
道徳教育が安倍政権で言われています。
家庭でいまはどうなっているのでしょうか?
学校でもやるべきでしょう。
ただ、難しく考えるのではなく、小学生では、5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)や食育(ちゃんと朝ご飯は食べる・しっかり噛んで食べる・いろいろな食物を好き嫌いなく食べるなど)、あいさつ、ありがとう・ごめんなさいなどちゃんと言えるようにとか。
日常の生活から思いやり、おもてなしなど日本の美学としているようなこともよいと思います。
子供のころからの習慣、態度は大切だと思います。
いじめなども無くなるのではないかともいます。
中学になれば、いろいろ高度なものが考えられます。文化・社会・哲学的なことにまで及んでいいでしょう。
しかし、大人も手本を示さねばと若干反省することがあるのですが。