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from: ピョン吉さん
2006年10月25日 01時12分17秒
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Kyrieってどんなキャラクター?
お久しぶりです。
今日、もう昨日ですね。東響のデュリュフレ聴いてきました。
TBSの合宿後で私はヘトヘトなのに、TBSメンバが何名か参加されていました。えらい!
想いのこもった、熱く、静と動の対比も鮮やかな、素晴らしい演奏でした。皆さんお疲れ様でした。合宿と本番の疲れをゆっくり癒して、今日のTBSの練習もがんばりましょう(水曜日はTBSの練習日)
マエストロが今日この頃で、合宿では、
「各曲のキャラクターをはっきりさせることと、
それにふさわしい発声を決めていくこと。」と書かれていました。
私にとっては、かなり集中力がいる練習でした。
でも、パートのメンバは、「こんなにロ短調が歌えて幸せ!」や「明日も歌える!」口々に言っていましたし、私もまったく同感なので、キッツイ反面、幸せな2日間でもありました。
「曲のキャラクター」と「ふさわしい発声」はマエストロの懇切丁寧、シビアで和やかなご指導の結果、自分のイメージと結びついてきてうれしくなっています。
でも、正直に言います。Kyrieは、なんだかまだすっきりしないです。
Kyrie eleison. 主よ, 憐れみたまえ。
Christe eleison. キリストよ, 憐れみたまえ。
Kyrie eleison. 主よ, 憐れみたまえ。
「主よ あわれみたまえ」 合唱はこれだけの歌詞。
どんなキャラクターなのかなあ、って思うわけです。
ネットなどで調べると、
「Kyrie は、ギリシャ語であり「主へのよびかけ」を表していて、
ミサの前半の前で歌われる「あわれみの賛歌」のことで、
「あわれみの賛歌」と訳されるように、あわれみ豊かな神に対する賛美の歌、といった説明が多々ありました。
私としては、歌っているとどうしても、
「罪深い我々」が「悔い改め」などを強く祈る、あるいは、
「罪深い我々をあわれみたまえ」 というイメージが強いです。
もし、これが、神様を賛美する イメージなのだとしたら、ずいぶん重厚・荘厳に賛美するようで、違和感があります。
本当のところはどうなんでしょう?不勉強で申し訳ないです。
やっと音と歌詞とリズムが身体に入ってきて、
気持ちが向くゆとりがでてきたところなので、ご容赦ください。
東響コーラス組の皆さんが、素晴らしい演奏をしてくれたので、
私もがんばって勉強しよう、もっと練習しよう!と思ったりしました。
本当に皆さん、お疲れ様です。でも、練習にはちゃんと来てね。-
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コメント: 全2件
from: Stellaさん
2006年10月26日 21時55分07秒
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「Re:Kyrieってどんなキャラクター?」
こんばんは Stellaです。
Kyrieのキャラクターですか…。
私は信仰を持っていないので、正しい意味、位置づけなど、実際のところ
判らないのですが、縁あって宗教曲を数多くうたってきて、自分なりに
いろいろ考えています。
> 「罪深い我々」が「悔い改め」などを強く祈る、あるいは、
> 「罪深い我々をあわれみたまえ」 というイメージが強いです。
確かにこんなイメージを持った時期もありました。
今では、ミサの典例文であるということから、幼少のころからきっと意味も
判らないまま唱え続けた文言が、そのまま信者の方の血肉になったというか、
だからオーバーに感情移入をするものではないのでは、と考えています。
「罪深い」の定義は、いわゆる犯罪などではなくて、例えば今日ちょっと
忙しくてイライラして人に八つ当たりをしてしまった、だとか、そういう
ある種人間らしい弱さのことで、それでも神様はきっと見捨てないでいて
下さるだろうと願う、そこに信仰があるのではないかと。
神様は「お父さん」なので、信者にも若干の甘え(悪い意味じゃないです)が
あったりして(旧約部分では厳格なイメージですが、新約部分は優しい
イメージですし)、厳しくも優しいお父さん向けた「大好き、いつもありがとう」
というメッセージ…なのかなぁ、と。
(少なくともカトリックでは…宗派によっても解釈の相違はありそうですが…)
それが「賛歌」ってことではないかと思っています。
ましてや、Kyrieはミサの冒頭部分ですしね。
私も、まだまだ勉強不足で見識不足です。
もし、信者の方がこの書き込みを見て不快に感じられたとしたら申し訳
ないです。
反対意見も含め、いろんな方の見解がこの場で拝見できれば…と思います。
是非是非、皆さん、続いてカキコしてください。
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from: franzさん
2006年11月05日 20時26分20秒
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「贖罪の日とロ短調ミサ曲」
ドイツでは11月第三週の水曜日を贖罪の日Busstagと定めて、ザクセン州では休日となります。
この日にはドイツ全土で「ロ短調ミサ曲」が演奏されることがきわめて多いです。
僕もベルリンに留学していた時は、何故なんだろうと思っていましたが、
きっとロ短調ミサ曲の短調という曲調が、贖罪、あるいは懺悔という意味のBussという言葉にマッチするのではと思って納得していました。
それで毎年Busstagにはロ短調ミサ曲を聴くというのが習わしになっていました。
今回、11月12日にロ短調ミサ曲を演奏するのも、ややBusstagにあやかっています。
このミサ曲は、なんだか独特の哀愁がありますね。
キリエ・エレイソン「主よ憐れみ給え」は、
私達一人一人がどんな具体的な悪い事したとかいうことではなく、
そもそも私達の人生において、
一歩先も見えない、人間の無明の哀しさを表しているように思えます。
だからこの祈りは、
これこれこんな悪いことしました御免なさいではなくて、
絶対的かつ全能な神に対し、自分の弱さも含め、
全てを信頼してありのままに投げ出す信仰宣言に他なりません。
自分が無知であり不完全であることを認め、
謙虚な気持ちでキリエ・エレイソンと唱えることで、
最後の「我らに平和を与え給え」まで至るミサの最終目標が明らかになるのではないでしょうか。
僕は少なくともそう思ってキリエを振っています。
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