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from: Tenor1966さん
2009年07月20日 15時16分19秒
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愛について(今日この頃)
Tenor1966です。
>愛の反対は憎しみではない。憎しみは、愛の一つの形なのだ。
>愛の反対とは、二人の人間の間に何の力も働かないこと。すなわち無関心なのだ。
多感な高校時代に、これらのことと同じ様なことを考えたことが
あります。(失恋した時です(苦笑))
「好かれることの反対は嫌われることではなく、関心を持たれない
ことだ。好きも嫌いもその人に関心があるという意味での絶対値は
あるが、関心を持たれないということはゼロなのだから」
数学で「絶対値」というのを習ったのは中学校だったでしょうか。
原点であるゼロから離れていると言う意味での絶対値は、
正数でも負数でも同じ値である、ということだったと思います。
>このような無私の愛はアガペーと呼ばれ、人間を究極的な幸福感を導くのだ。(中略)人に与えて感じる幸福感は、自分さえ与え続けていれば常に変わらないからである。
>アガペーにどのくらい目覚めているかについては、個人の先天的な素質にもよるが、僕は家庭での教育の力も決して無視出来ないと思っている。
過日、イギリス人宣教師のマケリゴットという方のセミナーをTV
番組で見たとき、次のような話をされたのを思い出しました。
マケリゴット氏は、妻の方に感謝の気持ちを表すしるしとして、
年に2回くらい、特別な日ではないときに赤いバラを1本贈り、
妻の方はそれを大切に飾っておられたそうです。
それを見ていた同氏の子供が、ある日母親に自分で赤いバラを1本
贈るようになったのだそうで、子供は贈る時には満面の笑みを顔に
浮かべたそうです。
氏が言われるには、その笑みが「与える愛の喜び」であり、夫が妻に
感謝することによって、子供に家庭でそれを伝えることができるとの
ことでした。
>人間にはすでに愛のサンプルが提示されている。
神様が人間に与えた完璧な愛のサンプルとして、他に私が思います
のは「音楽(演奏)」です。
演奏者にとって気持ちの良いことが、そのまま聴衆を歓ばすことに
なります。その際に、双方とも同じなのではなくて、片方が演奏して
気持ちが良いならば、もう片方は演奏されて(鑑賞して)気持ちが
良い。
これもまた、人間の究極の幸福感であるように思います。違っている
者同士が違っているままで互いを歓ばせ合うことができますので。
(作曲者や編曲者の方々はどうなのでしょう?)
…アブナイ方向に進む前に筆を止めます。(笑)-
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