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from: 一久さん
2006年01月19日 20時37分09秒
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読書会 : 「全体主義の起原」 感想
では、ここに読書会のスレッドを作ります。しゃちほこばらずに、ざっくばらんに、しかし、テロル無用で。
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from: 一久さん
2006年01月19日 21時05分26秒
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「第3巻、「全体主義」読了。」
第三巻の、「全体主義」を読了しました。
正直言って、なにを言っているのか、よく分かんない、です。
しかし、刺激されるところは、ままあって、これをネタに文章を書けると思えるものが少なくなかった。「なにを言っているのか」というような大上段に構えた論文は期間後半に譲って、前半は、チョボチョボした感想というか思いつきを述べていこうと思う。
【日本陸軍は強制収容所だった?】
徴兵制と、軍内部での全体主義的統制、つまり、軍を強くすることへの提案などをしようものなら、古参兵や下士官からこっぴどい目にあわされる、という、現実無視・服従絶対の世界は、まさに強制収容所と同じものではないだろうか。
その入所基準(年齢、体格)の「客観性」、支配する側に変わりえるという相互支配の構図等、まさに全体主義の要件を満たしている。
軍は、本来、統制を求められるが、機能を追求するという一点において全体主義と区別される。だが、昭和初期の日本陸軍はそのような機能性重視という軍隊の本質を保っていただろうか?
日本軍を強制収容所と同類のものだと考えると、司馬遼太郎の示した命題に、説明がつくのである。
それは、多くの日本軍人を、あの戦争で「太平洋に砂を撒くがごとく」「棄民した」のはなぜか、という氏の怒りに対する回答でもある。
当時の日本軍は、強制収容所であった。そして同時に、ハンナのいう「運動」の為に犠牲となるべき者でもあった。
ゆえに、彼らは、「植民地の開放」という「歴史の運動」のための先兵として、太平洋の砂となる必要があったのだ、と。
ナチスの「運動」は、世界制覇という馬鹿げた夢想であったが、日本の「運動」は、植民地の開放という建前であった。
ゆえに、ナチスの運動はドイツの敗北によって頓挫するが、日本の建前は、日本軍が敗れ去った後に、却って真実の進展をみせる。現地人の独立意識が高まるとともに、旧支配国の力が弱まるからである。東条秀樹による「運動」は、戰後、すべての植民地が開放されたという事実を持って結実したことになる。
しかし、このことは、ある意味恐ろしいことだ。全体主義という手法が、建設的な未来を築くこともありえるという結論になってしまうのだから。おそるべき多くの犠牲を覚悟しさえすれば。
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