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from: 一久さん
2007年09月30日 21時16分14秒
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「移動郵便局というのもいいかも」
図書館の本をバスに積んで、地方を巡回する移動図書館
というものがあるが、過疎地域などでは、あれの郵便版
をするというのも良いかもしれない。
バイクで集金や現金書留や為替を処理するのは危険だし
難しいが、バスを使って郵便局ごと移動するのであれば
簡単にできるはずだ。
停止場所も気にせず、民家の近くに行って、マイクで呼び
かけすればよい。
「郵便〜〜〜、郵便の御用はありませんか〜」と。icon
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from: 一久さん
2007年09月30日 21時11分17秒
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「政党とは」
政党について
【鼓腹撃攘】
政治のひとつの理想は、鼓腹撃攘である。
人民がなにも考える必要もなく、世の中が平和に繁栄している状態である。実際に、多くの国においては、国民は直接政治に関与することはない。民主主義の国においてさえ、その機会は多くはないし、また、国民自身、それを望むことも多くはない。
多くの国民が直接政治に関与したいと思うとき、それは政治が末期的状態に至ったときであろう。その正反対の状態こそが鼓腹撃攘である。
【政党による支配】
残念ながら、鼓腹撃攘させてくれるような聖天子は、めったに登場しない。ゆえに我々は、為政者を監視し、少しくまともな政治をするように教導しなければならない。
しかしながら、これもまた骨の折れる行為である。多くの国民は、その労を嫌うであろう。そこで、国民全体に代わって、為政者を監督する組織が必要となる。それが議会であるが、議会自体もまた、為政者として横暴を振るう存在に変身しやすい。
ゆえに、議会と国民の間に立って、議会議員を監督する存在が必要となる。これが政党である。このような政党こそが民主主義の根幹なのである。
これまで政党というものは、政党幹部の決定を下位の党員に押しつけ、党員は一般国民を自分達の側につけさせるように運動する。その為のものだと思われてきたようだ。
だが、それは決定的に間違っていた。そのやり方では、決して国民の声が政治に届くことはなく、政党それ自体が政策を打ち出す能力を持つこともない。国民の信頼は、絶対に政党には集らないのである。
政党は国民のなかの、政治に関心を持った人々が政治家を監視したり、政治家に助言したりするための装置でなければならない。そういう人々が政党を構成し、つねに全国民に代わって政治家を監視し、国政に関与していると思えばこそ、国民は選挙以外の政治行為に関わることもなく、安心することができる。
【全体主義の逆説】
ひとことでいえば、このような政党論は、「全体主義の政党」の逆である。
全体主義では、国民>シンパ>党員>親衛隊>突撃隊>髑髏隊>幹部>総統
というふうに、より中枢に近い者が下流の者を支配する。
民主主義の政党のあるべき姿はまさにこの逆であって、
総理<大臣<議員<党員<シンパ<国民 となる。
議員が大臣や総理を突き上げることは、権力闘争の過程で普通に行なわれることであるから、放っておいても実現する。問題は国民やシンパが党員を突き上げ、党員が議員うを突き上げる過程である。この部分が未成熟である。
これを補強するにはどうすればいいか。その方法は、全体主義に学べばよい。全体主義においては、より上位のグループに属する者は特権を持っていた。それをもって下位の者を支配した。
一般党員に、民主的に大きな特権を与えればよい。選挙区ごとに「千人会」を作ってもよいだろう。ネット掲示板で討論させてもいいだろう。あるいは、重要法案の多数決を党員全員にさせてもよい。数が多過ぎるというのであれば、ナチスに倣って、精鋭党員グループを作れば、自在に人数を制御できる。
【政治政党への脱皮】
政党というものが、利権や教条主義的なイデオロギーの為のものではなく、国家・国民を繁栄させるための真摯に協議する人々の集まりに変わることによって、国民一般は安心して政治のことなど忘れることができる。
もし、政党の人々に問題があれば、別の政党に票を入れるか、あるいは自分自身が政党員となって政治に関与するかすればよい。
このような政党が存在しているという前提のもとでしか、選挙によってより良い政党を選ぶことはできないのである。icon
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from: 一久さん
2007年09月29日 20時05分21秒
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郵政民営化について
【民営化ということ】
そもそも、民営化というものは「見えざる神の手」を働かせるということ
であり、それはつまり、いま不満や不都合があるならば、それをネタに稼ぐ
商売が現れ、儲けることができるということである。
郵政民営化でいえば、過疎地域への配達が赤字であり、民営化後は郵便や
郵便貯金業務などに差し障りがあることが懸念されるとかいうことをマスコミ
は言っているようだが、それを逆手にとって商売を拡大し、もって顧客の
生活をも利便たらしむることこそが、民営化ということである。
過疎の地域といえども、その住民はカスミを喰って生きている訳ではない。
そこには必ず暮らしがあり、消費生活が存在する。ならば郵便配達のためだけ
にその地域を訪問することは、なんともったいないことであろうか。
住民がいままで過疎地域ゆえに享受することのできなかったサービスや文物
を配達し、生活の向上を計ることができるはずである。
金融関係のサービスもまた、配達員が現地に出向くことの利を生かして提供
できるはずである。
また、顧客の重要度によって料金を弾力的に運営することも、民間企業において
は常識であろう。身近な例では「マイルが溜まる」「ポイントカード」などが
その例である。
先日、郵便小包を使って特産品を通信販売していたオバさんが、民営化に伴う
値上げのため、他の宅配業者に切り替えざるを得なかった、とかいう話をTV
でやっていたが、これなど、民間業者では考えられぬことだ。散発的に利用する
個人客の利用料金と、常習的に利用するオバさんとの料金が同じでよい訳がない。
より多く儲けさせてくれるオバさんには、当然、サービス料金を適用すべきだろう。
そのためには、顧客がどういう人か、一見の客か、セミプロなのか、儲けさせて
くれる客なのか、単なるクレーマーなのか、をよく見極めねばならない。顧客管理
こそが、商売にとって最も肝要なことであるのだから。
官営の業務と、民間の業務の最大の違いは、顧客管理という発想にこそある。
官営の業務にとって、客はすべて無機質な「利用者」でしかない。そのように扱う
ことが、公正な業務であるとされるからである。
民間の業務にとって、客の個別管理は生命線である。相手のことをよく知り、その
希望を叶えることのできた企業こそが、勝者となるのであるから。-
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from: 一久さん
2007年09月28日 20時41分54秒
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「現実にはどうか」
【現実にはどうか】
現実の場においては、有能ではあるが小人(人格的に問題のある人)の上司や先輩
に尋ねることを怠って事故がおきた場合、聞かなかった後輩や部下のほうが悪い
とされるのが常であろう。
しかし、この言い分は、論理破綻していることが荀子の言葉から判る。
このような要請は、つまるところ、有能な人間の人格的問題を不問にしておきながら、
有能でない人間に人格的に優れた者であれ、と言っているのと同じだからである。
嫌悪すべき相手にも丁寧に応対し、罵声に耐えて任務を全うしようとする者は、
君子である。部下や後輩に君子たれと強要していることになるのである。
逆に、「有能な小人」である上司や先輩に対しては、その小人ぶりを批判していない。
上司・先輩に小人で良いと言い、部下・後輩には君子たれと言う。倒錯の極みという
しかなかろう。
アメリカ軍では、「悪い兵隊というのはいない。悪いのはすべて指揮官である」と
言っているらしい。指揮官に君子たることを求め、もって兵隊をも感化することを
求めているのである。
アメリカ軍のほうが日本の社会よりも、よほど荀子の心に近いといえよう。icon
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from: 一久さん
2007年09月27日 06時25分52秒
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荀子曰く
荀子曰く
君子は能あるも良く、能無きもまた良し。
小人は能あるも悪く、能無きもまた悪し。
「あの人は仕事はできるけれども、人格的にどうもねぇ」とか、
「あの人は人格は申し分ないけど、ミスが多くてねぇ」 とか、
現実の社会では良く聞く言葉である。
どっちもどっち、というか、どっちが良いのか迷うところであるが、
現実には、「人格の劣る実力者」のほうが重宝されていることが多い
ようではある。
しかし荀子は逆を言っている。しかもハッキリと断定している。
人格に欠陥のある者は、有能であってもダメ、無能であれば当然ダメ。
人格の優れた者は、無能であってもアリ、有能であれば申し分なし、と。
有能であっても小人であれば、部下はこの人から学ぼうとはしない。自然、
連絡が悪くなり、組織はもろくなる。
無能であっても君子であれば、部下にでも礼を尽くして聞く態度を取る。
自然、連絡は良くなり、組織は強靱となる。
君子であろうとすること、それは有能であろうとすることよりも、はるかに
重要なことなのである。-
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2007年09月26日 22時05分22秒
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荀子の時代
【 性悪説の時代 】
荀子の時代は、孟子の生きた時代よりも、君主達のモラルが改善されつつある
時代であった。斉と燕(および楚以外の全連合軍)との闘いによって、斉王の横暴
は無くなり、各国の君主達は、荒廃した人心をいかに建て直すか、というテーマ
を得た。
もはや、性善説によって君主達を説得する必要はなくなり、君主達の善政を実行
するためにはどうすれば良いかという問いに答える実践論こそが必要とされた。
一言で言えば、性悪説とは、君主が民を治めるための道具であり、性善説とは学
者が君主を教導するための道具であった。
荀子の時代のほうが、孟子の時代よりは、いくらかはマシな時代であったのだ。
では孔子の時代はどうであったか ?
孔子の時代は、いまだ君主達が「我こそは名君たらん」としていた時代であり、
民もまた習慣によって付き従うことが可能であると思われていた時代だった。
ゆえに、孔子自身は性善説も性悪説も、口にする必要がなかった。-
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from: 一久さん
2007年09月25日 21時05分39秒
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性善説と性悪説
【荀子と孟子】
司馬遼太郎の「坂の上の雲」のなかだったと思うが、正岡子規が東京で初めて
「荀子」の講義に出て、その内容に驚いたとかいうのがあったと思う。江戸時代
においては、荀子は異端的少数派だったようだ。
荀子といえば「性悪説」で有名であり、性善説か性悪説か、というような論争
が、しばしば行なわれることが、現代でもあるが、孟子や荀子の時代には、その
ような言葉遊びは無かったのではないか、と私は思っている。
というのは、荀子は孟子を知っているが、孟子は荀子を知らない。荀子が登場
したとき、孟子はすでに死んでいるからである。
また、性善説にせよ性悪説にせよ、結局、言いたいことは儒教を採用せよ、という
ことであって、両者ともそのための導入法にすぎないと言える。
両者が極端に違った導入法を採った理由は、ひとつには後進の荀子が自己アピール
のためにわざと高名な先人に反駁してみせたということであり、もうひとつは両者
の生きた時代の、権力者達の嗜好に違いがあったからである。
孟子の時代、戦国の世のモラルハザードは最低のところまできていて、君主達は
もはや、古代の聖王を見習おうとしないばかりか、好き勝手にやることを自慢して
さえいたのである。「ゴーマニズム宣言」を君主達はしていたのだ。
こんな君主を導くには、まず第一に貴方も「良き君主」になり得るのだ、という
説得から始めねばならなかった。そのための便法が性善説である。
ある日、祭場へ生贄として引き出される羊を見た斉王は、不憫じゃ、牛にせよ。
と言った。このことを聞いた孟子は、それこそ、王に名君の資質ある証拠です、
善心のある証拠です、と言う。
なるほど、これがそうか。という王に対して、しかし、羊ではなく牛なら不憫
では無いというのは奇怪しいのではないですか、と孟子はいう。
「確かにそうじゃ、ワシはいったいどうしてそんな馬鹿を言ったのだろう」
「それで良いのです。王は引かれていく羊を直に見た。それゆえ羊に憐憫の情を
持たれた。もしも引かれていく牛をも直に見られれば、牛でも羊でもなくなにか
適当な穀物か酒でも供えよとおっしゃったはずです」
「おお、さすがじゃ、先生はワシ自身が気ずかなんだワシの心まで見通された
なるほど、そのとおりじゃ」
「これが領民であればどうでしょうか。領地をよく視察し、領民の暮らしぶりを
よく知ればしるほど、自然と、愛情が湧いてくるものではありますまいか」
。。。。と、このようにして、教化を図ったのが孟子だった。
性善説は、モラルハザードが底を打った時代に、必要とされた弁論だったのである。-
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2007年09月24日 07時12分28秒
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政党とはなにか
【 政党とは 】
広辞苑風の、一定の共通した原理・原則を持った政治団体、というような定義では、もはや物の役にたたないことは明白である。
自由民主主義があたりまえになり、その意味ではすべての政党の原理・原則は同じものになってしまったからである。共産党や社民党でさえ、自分達こそが真の民主主義政党だと主張している。
ゆえに、現代社会に生きる我々は、政党というものに、新しい定義を与えてやる必要がある。それができないと、政党はその集団の利益の為だけに動くようになってしまう。現にどの政党も多かれ少なかれそういう傾向を持っている。
ハンナ・アーレントは、実に明快にこの問題を処断してくれた。すなわち、アメリカ・イギリス型の政党と、ドイツ・フランス型の政党とは、まったく別物であり、英米が二大政党制になるのも、仏独が多党制になるのも、政党というものの性格の違いによるものだ、というのだ。
【二大政党制をもたらす、英米の政党】
英米の二大政党に共通していることは、政党は全国民を代表するものであり、ゆえに政党は多様な意見を党内に抱え、かつ、そこからそのときどきに必要な政治的決断を行なうという認識である。
政党は、原則としてどんな意見にも耳を傾け、そこから政策を立案していく。国民は、自分の意見をより良く聞いてくれる政党を通じて国政に参加しているという実感を持つ。
政党は、いわば国家の中の国家として存在し、その時点でより優れた"国家"のほうが実際の国政を司るのである。
【多党制をもたらす、仏独の政党】
これに対して、仏独の政党は、全国民を代表するものではない。どの政党も、一部の国民をしか代表しない政党でしかない。この点、自民党以外の日本の政党も同じである。広辞苑風の政党解釈もまた、この種の「一部の国民を代表する政党」のことを意味している。
一部の国民をしか代表することができない政党であるので、その国政運営は非常に危ういものとなる。そこにあるのは、他の政党を抑圧して権力を貪るか、逆に他の政党に遠慮しながら内外に弱腰ぶりを披露するかしかできない。55年体制は、それに近いものだったといえよう。あの体制のままでは、北朝鮮による拉致問題も決して表に現れることはなかったであろう。
「一部を代表する政党」では、決して二大政党制は生まれてこない。独仏型の、広辞苑流の政党感からは、決して国政を担当できる政党は現れない。
比例代表制を溺愛し、死票が出ないことを美徳だとする考え方は、まさに部分の代表を贔屓するものである。ゆえに、ナチスに議席を与え、2005年の選挙では、掲示被告人の鈴木某氏とその相方の女性に議席を与えた。
【政党の新たな定義】
政党とは、様々の意見を表明し、それを討議し、政策を決定する為の装置である。
そのために、国家が保証する以上の言論の自由を党内に持ち、討論の場を確保し、さらに、時を逃さずに決定する機構をもっていなければならない。これを政党内民主主義という。
政党外の言論は、ときに社会的に圧殺されることがある。政党は、そのような「空気」からも発言者を守らねばならない。また、決定ができなければ、それは政党とは言えないし、そもそも国家を運営することができない。学者や評論家と政治家の違いは、まさに決定するかせぬか、にある。決定をできない政治は、まさに衆愚政治というしかないのだ。
【政党内民主主義の確立を】
民主党は、先の選挙のマニフェストのなかで、国民の望む政治を目指すとか言っていたようだが、国民の望みをどうやって知るというのだろうか。国民の名を借りた、独善主義ではないのだろうか。
真に国民の意志をしろうと思うのであれば、そのための装置を持たねばならない。民主党が非難する「自民党の陳情政治」だとて、一種の「国民の声を聞く装置」である。
国民の声を聞く装置、それは実は政党そのものなのである。民主党が主催して国民の声を聞く掲示板を作ればいいのだ。それも、民主党に対する批判を寄せてくれるようにお願いをする。そうすれば、おのずと国民の声が聞こえてくるだろう。
斉の威王は自分を批判するものに褒美を与えた。早坂秘書は角栄が怒りだすような情報だけを選んで報告した。良薬は口に苦く、諫言は耳に痛し。だからこそ必要なのだ。-
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2007年09月23日 21時00分52秒
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市会議員の定員を十倍に、給料は十分の一に
【市会議員、十倍論】
大阪は、道頓堀の例のように、市民が作った街である。ところが、現在の大阪市に対する市民の期待感は極めて薄い。これは、市民が市役所や市議会を市民の側にあるものとしてとらえていない、むしろ、江戸時代の「お上」の変形にすぎないと考えているからであろう。
日本一の市長、関一も、道頓の後継ではなく、大塩平八郎の変形ぐらいに思われているのではないだろうか。名市長といえども、しょせんは「お上」だったのだ。
大阪市に限らず、市民と市との一体感が生まれない理由は、市議会が市民の代表という評価を勝ち得ておらず、金持ち連中と役人が支配しているお飾り的存在だと思われていることにある。
ゆえに、市議会が市民の代表である、というあたりまえの評価を得る為に、改革をする必要がある。
他は知らないが、私の住んでいる東大阪市の場合、普通の人間は市会議員なんぞとは付き合いを持たない。彼らに接触する人間は、なんかよほどの案件を抱えている場合であろう。そんな議員に対して、市民が代表として親近感を抱くことは有り得まい。
ではどうすればいいのか。ひとつの方法として、議員の人数を十倍にしたらどうであろうか。いまは約50人の市会議員を、500人にするのである。その代わり、報酬は十分の一に減らす。十分の一といっても、市会議員の年収は1300万円ぐらいだったはずだから、130万円もある。一カ月に十万円の計算だが、国会議員と違って、本宅を離れて政治活動をするのではなく、月に何回か会議に出るだけの市会議員に、専業者としての給与を支払う現行体制こそおかしいと言わねばならない。
議席数を十倍にするのに合わせて、選挙制度も小選挙区制にするとよい。
東大阪市の人口は約50万人である。500人の議員がいるということは、千人にひとりが議員になることになる。一世帯あたり三人の家族がいるとすると、333軒にひとりの議員がいる。ところで、私のマンションは400世帯以上あるから、このマンションだけで一議席確保できることになる。
333軒しか「選挙区」がないのだ。市会議員の立候補者の顔を、誰もが知ることになる。悪い噂だって、すぐに広がる。どんなに金持ちでも、大会社の社長でも、犬を蹴飛ばした人に票は集まるまい。まさに、「顔の見える市民の代表」が選ばれるのである。
石原慎太郎だったか誰かが、小さな選挙区からは大人物はでない、とかいったそうだが、市会議員に大人物なんか要らない。必要なのは常識的な一般人である。鈴木宗男氏のような「大人物」が市会議員では、一般市民の心は市政から離れることを防ぎえない。-
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2007年09月22日 21時07分08秒
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すべては核融合にかかっている
【 融合こそが肝要 】
結局のところ、核融合炉の実用化こそが、日本の安全を保証する唯一の手段であると
思う。
別に核融合でなくても、無限・無制限に手に入るエネルギーならばなんでもよいの
だが、太陽電池だの風力発電だのは、無限ではあるが無制限ではないのでこの役に
はたたない。
核武装をするにしても、それによって発生する各国との亀裂に対処する策を持たね
ばならない。もっとも、左翼系の人々が言うほどには大きな問題にはならないであ
ろうと私は思っているけれども。
なぜならば、日本に対して制裁を課せば、その報復(というか当然の結果として)
中国に対しては投資がストップするし、アメリカに対しても国債購入他の資金の流
入と、日本からの資材(日本でしか作ることのできない部品を多く含む)がストップ
することになる。さらには、日本という巨大な市場をも失うことになる。ハリウッド
映画が受ける被害だけでも、相当のものになるだろう。
故に、中国もアメリカも、日本に対して本気で制裁などできようはずもない。
世界から孤立する、などというのは妄言としかいいようがない。
とは言うものの、やはり(幻想ではあるが)”孤立”したらどうするかを考えて
おかねば空想的平和主義左翼の人々は承知いたしますまい。
孤立して困ることといえば、第一に、輸入エネルギーが無くなることだろう。
これは核融合炉が実用化すれば、解消される問題だということは誰でも分かるで
あろう。むしろ、化石燃料による社会を変革する契機となる。
次に問題なのは、食料自給率の低さであろう。けれどもこれも無制限の電力があれ
ばなんとでもなる問題である。早い話が、ビルの中で畑を作り、牛を飼っても構わ
ないのである。現在、そんな馬鹿なことをする人間がいないのは、ビルの中で農業
をするためのコストが高いからである。無制限の電力が使い放題であれば、その問
題は解決する。
最後に、資源の問題であるが、これもまた、コストの問題にすぎず、加工に要する
エネルギーが無尽蔵に提供されることで解決される問題である。リサイクルも代替
物資の開発も、最大のネックはコスト、すなわちそのために使用するエネルギーだ
からである。-
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