新規登録がまだの方

下の[新規登録]ボタンを押してコミュニティに登録してください。

登録がお済みの方はこちら

コミュ二ティポイントのご案内

詳しく見る

SIG 市民の討論広場

SIG 市民の討論広場>掲示板

公開 メンバー数:8人

チャットに入る

サークル内の発言を検索する

サークルで活動するには参加が必要です。
「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
※参加を制限しているサークルもあります。

閉じる

  • from: ブルースさん

    2006年01月03日 19時35分32秒

    icon

    全体主義とは

    つまみ食いではありますが、ハンナ・アレントの定義する「全体主義」を私なりにごくごく単純化してみるとこんな感じだと思います。

    彼女は、全体主義体制を「制度」ではなく、テロを固有の本質とする「運動」と捉えていました。
    全体主義体制が真に姿を現すのは国内の政治的反対勢力と戦い殲滅しようとしている時ではなく、もはや反対勢力が存在しなくなった後です。

    彼女によると、ソ連は1930年、ドイツは1935年からこの段階に移行しました。
    この段階では、
    「テロは秩序維持のためではなく、運動の継続ないし展開のために存在する。そのため、テロは対象を必要とするものの、その対象は普通の独裁国家の警察が狙う反政府活動家ではもはやなく、体制によって絶滅の対象として定められたなんらかのグループ、『客観的な敵』でなければならない」
    と述べています。
    そして、彼女によると『客観的な敵』は、必ずしも何らかのイデオロギーによって固定的に決定されるものではありません。ソ連もナチスも、時代とともに対象を拡大し移動させています。


    こうして見ると、彼女の定義した全体主義体制は、戦前の日本には当てはまらないものである事が分かると思います。
    確かに、当時の日本は軍部による独裁国家であったと言えるかもしれません。自由も制限され、反体制運動に対する弾圧も厳しかった。
    しかしながら、「客観的な敵」を定めてそれを絶滅しようなんて考えは全くありませんでした。

    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0
    • サークルで活動するには参加が必要です。
      「サークルに参加する」ボタンをクリックしてください。
      ※参加を制限しているサークルもあります。

      閉じる

    • 0

    icon拍手者リスト

コメント: 全0件