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  • from: 一久さん

    2006年02月11日 01時25分45秒

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    ムハンマド風刺画問題

    ムハンマド風刺問題について

    風刺画がイスラム社会からの抗議にも関わらず、掲載され続ける理由を考えてみた。経済的な利益狙いというようなものは除いて。

    理由:1

    テロルに屈することになるから。

    イスラム側の抗議行動がすでに暴力をともなったものになっている以上、これに応じる形で掲載を止めたり謝罪することは、言論の自由がテロルによって処断され、以降監視されるようになることを意味するからである。すなわちこれ全体主義である。宗教上の対立といえども、抗議はあくまでも法律の範囲内でなされなければならない。言論の自由は、行為の自由ではない。無法行為が許される訳ではない。テロルに走る者には、言論の自由はない。彼らは自由の敵とみなされるのである。

    理由:2

    イスラム社会に対する不信感

    このような問題が起きると、必ずイスラム教徒側からは、テロルをするのは一部の者だけだという声明が出される。それは真実ではあろう。だが、ムスリム以外の者は、ではその「善良な多数のイスラム教徒」が、テロリストの逮捕や摘発に熱心に協力しているのか、という疑問をもっている。表向きはテロルを批判しているが、内心では喝采を送っているのではないのか、消極的協力者としてテロリストの炙り出しに無関心であるのではないのかという疑いが持たれている。

    テロリストではないイスラム教徒自身が、他の誰よりも積極的にテロルを取り締まるのでない限り、この疑いは払拭されることはない。

    だが、そんなことができるのだろうか。テロリストといえども、ムスリムにとっては彼らもまたイスラム教に殉じようとする熱心な信者である。テロはいけないが、気持ちは分かる。そんな「犯人」を警察に自分の手で突き出せるのであろうか。

    欧米や日本では、それができる。「法の支配」のほうが、宗教よりも重要視されるからだ。大石蔵之助と赤穂浪士は、仇討ち後に自ら出頭した。法の支配を一時的に破った責任をとる為である。けっして、江戸市中に紛れて逃げようとはしなかった。それこそが近代国家というものである。イスラム社会にそれができるだろうか。

    欧米の新聞に風刺画が載ることを容認する、欧米社会の精神的背景は、まさにここにあるのではないか。なんだかんだ言って、テロリストをかばっているんじゃないか、と。それでは、ムハンマドがテロに関与しているかのようなマンガを書かれてもしかたがないじゃないかと。

    ここで問題になるのは、「法」が上か、宗教が上か、ということである。近代国家に生きる我々は、当然に「法」の優位を信じることができるけれど、イスラム教徒にそれができるのかどうか。彼らにアラーの言葉よりも「法」のほうが大事だと承認させることができるのだろうか。

    これを認めること、それこそが「宗教と政治の分離」の根本であり、そこからしか近代国家は生まれないのである。産業革命以前、欧米を凌駕していたイスラム経済圏で、近代化がなし遂げられることがなかった原因もここにある。







      

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