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  • from: 一久さん

    2008年09月30日 21時45分07秒

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    習熟度別とゆとり教育は、同根のもの

    根っこは同じ、習熟度別と「ゆとり教育」

    【哲学の問題】

    「ゆとり」も習熟度別も、その根源となる教育哲学は同じもので
    しかない。それはつまり、教える内容を削ってでも、理解程度を
    高めようという考え方である。

    「ゆとり」においては、公教育のすべてが「内容低減」を迫られた
    が、習熟度別においては、理解の遅い者だけが、教わる内容を
    削減されることになるだけの違いでしかない。

    そして、「ゆとり」の下でも、私塾や予備校によって、理解の遅く
    ない生徒達はより多くの内容を学んでいたのであるから、実質的
    には習熟度別と変わらない。ただ、金が要るだけの違いだ。

    ひとことでいえば、どちらの方式も、「点取り虫を育てる教育」に
    他ならない。理解度を上げるために、より広く高度な知識世界を
    子供達に示すという使命を放棄している考え方である。

    【もうひとつの哲学】

    「では、理解できない状態でいいのか」と橋下知事は言う。

    しかり、ある意味、それでいい。否、そうでなくてはならない。

    理解を深め、テストで点数が取れるようになることを目的とする
    のではなく、広く深い知識世界を示し、そういうものがあるのだ
    という認識を生徒達に与えることこそが、第一に重要だという考
    え方がこれである。

    理解し習得し、点数が取れるようになるかどうか、そんなことは
    二の次で良い。知っている、習ったことがある、ということこそが、
    生徒達の将来にとって重要な意味を持つからだ。

    四則計算のような、極めて基礎的なものは別にして、少なくとも
    中高生以上の知識は、テストで点数が取れなくても問題はない。

    赤点ギリギリで卒業したとしても、社会に出て必要となれば、自
    学自習できるからだ、習ったという経験さえあれば、やり直すこ
    とは難しくない。

    だが、習ったことの無い物を大人になってから学習することは、
    至難の業である。元・大阪市助役の女性弁護士の著書にもあ
    るが、グレて授業に出なくなった時期の英文法を学びなおすこ
    とは非常に苦痛であった、とのこと。

    電気関係の試験を受ける為に勉強しているオジサン達の多く
    は、微積分が出てきたら恐慌に陥る。彼等は普通化を出てお
    らず、微積は百日咳よりも怖いと思っているのだ。

    【点数の為の教育】

    ようするに、習熟度別もゆとりも、点数を取る為の教育である。

    そんなので良いのだろうか。真にすべきことは、社会に出てから
    必要になったとき、学びなおす為の引き出しを作ることではない
    だろうか。

    基礎が出来ていたら、応用も出来る、というが、それはウソだ。

    そんなことができるのは、ガロアやインドの数学者のような天才
    だけである。

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