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from: ナオさん
2014年05月14日 21時42分07秒
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こんばんわ
アヒル村長さん お久しぶりです
>祖父の逝去からもちょうど3ヶ月ほどが経過。
新年あけましてから4ヶ月ほどの間で、なんだか知らないけれどいろんな節目が過ぎた。
お祖父さまの ご冥福を心より お祈り申し上げます
村長さんは なんかかや 色々とあったんですね おひとりで頑張ってたようで お疲れさまでした
高校生の 初々しい アヒルさんが 今は、立派は大人になって ネットの母としては とっても嬉しいです
これからも 成長を続ける アヒルさん 応援してます( ^-^)σ-
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まっつん、
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from: アヒル村長さん
2014年05月07日 01時43分48秒
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これまでのあれこれまとめ
連休が終わるのは早いなぁ…(笑
気づけば5月。
正規採用2年目に突入して、初担任となって早くも1ヶ月が経過。
そして、祖父の逝去からもちょうど3ヶ月ほどが経過。
新年あけましてから4ヶ月ほどの間で、なんだか知らないけれどいろんな節目が過ぎた。
2月3日に亡くなって、命日となる2月4日。
それがよりにもよって1年間の研修を締めくくる、最後の研究授業の日。
通夜で夜からだったからまだ良かったけれど、それにしてもよりによってな日だった。
その授業も授業で、キーパーソンが保健室帰りで授業が始まる前から不穏な空気になっていたし、ふたを開けてみたら読み違えでボロボロだったしと。
もう笑うしかなかった(笑
それもこれも、ある種のメッセージのように思えてならない。
はっきり言って、家を出るに出られなかった最大の理由だった人物というのがじいちゃんで。
最後の2ヶ月ほどは肺気腫の影響で酸素を持ち歩いていたけれど、それ以前に認知症と取られてもおかしくない症状が出ていた…けれど。
残念ながら、この家に介護をするようなキャパはなく。
なんだかんだいってみんな「俺が俺が」の人だから、たとえ家族であっても他の人のことなんてほとんど考えられない。
「思いやり」というのができない。
うちの学校に来ている子たちの方がよっぽど思いやりがあったりする。
そんな中にあっては、自分が調整弁にならないととても回らない。
いくら言っても介護の「か」の字も理解できないほどダメ。
おまけに、この職業についてしまうと気質的にボーダーだとしか思えなくて、なおかつ精神方面にも問題も抱えている祖母は神聖不可侵状態。
それもあって、何をどうやってもうまくいかない部分もあるし、はっきり言って父親は「健常なアスペ」だからこちらも問題外だし。
母親は母親で、そんなおかしな家の中にいるから更年期も重なって最近より一層微妙な調子で、弟もやっぱり問題外(苦笑
八方塞がり…という中での、祖父逝去。
常々思っていた「そういう状況になったらどんな感情を抱えるのだろう」という疑問。
ネット的には完全消滅した「足跡」の自分を経ての、今。
「となりのやまだくん」ではないけれど「はじめからあきらめているのが、家族」状態でほとんど感情を捨てて…そこから現在。
とりあえず、お互い気分が悪くなるからそれなりにやっていけば良いじゃないかという気持ちで、たぶん世間的に見ればそれなりに孝行しながら、今も惰性で家に残っちゃっているけれど。
やっぱり、今度こそ転勤と同時に家を出たいし、2月4日以降明らかに「楽になった」部分というのはある。
「さみしい」
「かなしい」
そういう感情は一切ない。
にもかかわらず、棺に入っている姿を見ると、どういうわけか涙が出てくる。
自分でも理由は分からない。
祖父については…
完全に「手に職」タイプの人間で、最終的にも仕事場で亡くなったということになる。
色んなコンプレックスやら、気質的に問題有りの祖母の影響もあり、こちらも性格に歪みが生じていたから、同情できる部分はあったけれど。
10年以上も前にはすでに「成長することを忘れた」自己矛盾型人間となっていたので、自分としては、いくら職人としては腕があっても認め難い存在だった。
だって、自分で自分を職人だといっているのだから。
そうである以上、客商売に臨む以上、成長を忘れたら客商売なんてできない。
祖母が老後の楽しみ状態で仕事は受け継いでいるけれど、公僕の自分から見ても、今なお「は?」というスタイルで客商売をやっているのだから…
そのあたりもやっぱり、腕前だけしか見えていなかったということは否定できない。
ただ、やはり職人としては胸を張るべき人間だったし、そこには敬意を表するしかない。
そしてなにより、仮にも福祉をかじった人間としては、どうにもならない八方塞がりファミリーで居心地が悪いまま死んでいった彼に無念さを感じずにはいられない。
おおよそ人が死ぬときに抱きそうな感情というのは、どうも自分には見当たらないけれど、その代わりにあるのは無念さやら申し訳なさやら。
そういうものが湧き上がって来たのだろうか、とも思う。
教員というのは、扱いによっては専門職になるらしく。
そうであれば、自分も職人の端くれのようなもの。
そんな自分にとっては、研究授業の見事すぎる大失敗は「初心忘れるべからず」というあっちの世界からのメッセージのように感じるし。
この家の状況は「悔しかったら考えて解決してみろや」とでもいう事なのか。
いずれにしても、連休はこれで終わり。
また明日から、いつもの仕事がスタート。
初めて受け持ったクラス…それぞれに課題やら、伸ばしてほしいなと思うポイントがある中で。
キーパーソンは一人。
もっているポテンシャルはかなり高いようだけど、自信がもてないためにいろんなことができなくなっているし、本当はできることも本人が「できない」と思い込んでいる。
そして、何が原因なのか相当な「歪み」を抱えている。
入学当初からの課題らしく、記録を見るとずーっと同じことが書いてあるけれど…これをどうにかしないと、将来的にかなり、まずい。
小学部のおば…お姉さま系ベテラン先生方から、若手の自分へと回って来たバトン。
そういう人間だからこそのアプローチで攻めたら…何か新しいものが見えてくるのだろうか。
そんなこんな思いつつ、4月の一ヶ月。
留まってはいないけれど、3歩進んで2歩下がるの状態。
何か一つすとんと落ちればうまくいくような気はしつつ…なかなか。
一体、彼にとってこの世界はどういうふうに映っているのだろう。
なんでまた、あんな生きにくい厄介な生き方をしちゃっているのだろうか。
楽しい生き方だって知っているはずだし、そもそも一日の半分以上はそうやってすごせているのに。
その「半分以上」以外のところで、ズドンと質を下げてしまう事をやっている。
どうすることが最善の策なのか…?
決定打は見つからないけれど、手を変え品を変え、向き合っていくほかに無いのだろうなぁと思う。
彼以外のメンバーについても、これを伸ばしたら一気に幅を広げられるのではないか、と。
そんなポイントがいくつもある。
やりたいことはたくさんあるし、時間はどんどんなくなっていくし。
どうにもならない1年間の研修を終えて、ようやく教員らしい仕事ができるようになったのだから。
やるしかない。
うまくいきそうな見通しが全然つかないけれど、とにかく考えて、最善と思える何かを実行に移す。
あっちの世界でしめしめと思って眺めていそうだけど。
まぁ見てろや。これでも専門職。
忙しい。