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from: アヒル村長さん
2012年03月22日 02時17分13秒
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「みんな平等」は本当に平等?
起きていたから、久しぶりに見られた番組にて…
久しぶりに聞いた「みんな平等」な教育の話。
学校祭の劇ではみんなが主役、運動会では順位をつけずにみんなでゴール、というような。
「みんな違ってみんないい」「一人一人の個性を認める教育」が求められる一方で、
なぜだか違いや個性を真っ向からぶっつぶしかねない「みんな平等」な教育を求める声も少なからずあるそうで。
何がなんやら。
まぁ…自分の子どもが活躍する姿が見たいって親の気持ちも分かるけれど。
それだって、裏を返せば
「主役級の第一線で活躍することだけを良しとする」
…目立たない地道な場面で頑張ったって、表で目立っていなければ評価してもらえない。
とりあえず表の目立つ部分だけ繕っておけば、目につかない部分なんてどーでもいい。
下手をすれば、そういう偏った価値観に支配されていることが丸見えになってしまう発想でもあると思う。
「名脇役」なる地位があるように、主役じゃなくたって存在感たっぷりな方々はいくらでもいるし、
むしろそういう人がいるから主役の存在が引き立つわけで…
もっといえば、まったく表舞台に出てこない、スポットライトにあたらない部分で頑張っている方々もたくさんいる。
順位が絡んでくるものだって、少なくとも学校にいる間は「結果がすべて」という評価にはならないはず。
だから、自分らが中学に入った10年ほど前からは、成績の付け方は「相対評価」から「絶対評価」になった。
…順位だけですべてを決めるのではなくて、その子一人一人の姿勢をしっかり評価できるようにしよう、と。
支援級に入っている子が、得意な音楽や体育の時には籍のある通常学級に戻って授業を受けられるようにするとか。
普段の学校生活にしても行事の時にしても、何かがある時は一人に一つずつは必ず仕事や役割が持てるようにするとか。
機会とか場面とか、そういう面での平等は必要だと思う。
でも、それぞれの子が本来持っている力を潰してしまったり、発揮できなくしてしまうような…
それぞれの個性を無視して「みんなが主役」、ぶっちぎりのダントツ1位を取れる能力がある子もいるのに「順位は付けずにみんな1番」
そんなもののどこが平等なのか…むしろ不平等でしかない。
大切なのは順位をつけないことではなくて、たとえ最下位になってしまった子でも前を向いて進める意欲が持てるようにすることであるはず。
自分は高校3年生の1年間はずーっと定期テストでワースト10から抜けられなかったけれど、
それでもひがまずに頑張った結果こうなった!
・・・・・ん?(笑
大切なのはみんなが主役を経験することではなくて、自分の仕事に誇りを持てるようにすること。
なおかつ、他の仕事を持つ人たちの存在の大切さにも気づけるようになる。
そういうことであるはず。
誇りが持てたなら、それが主役だろうが脇役だろうが裏方だろうが、そんなことは関係ないはず。
うわべだけではなくて、見た目の華やかさだけでもなくて。
強風が吹いたら簡単に倒れてしまう突貫工事の高層ビルよりも、
土台も基礎もがっちりとした、地味であっても質実剛健な建物。
そういうものを心に備えることこそが、「生きる力」を伸ばしていくための基礎であるはず。
ボランティアとかで見ている限り、そういう根っこの部分がすごくグラグラな子が何人もいるから…
書くのは簡単で、実行するのはなかなか難しいことだけど。
見せかけだけのとっつきやすい理念に乗っかるだけでは、余計にひどい方向へ向かうだけ。
教員に限らず、子どもに関わる人はみんな「教育者」であり、子どもたちにとっての「先輩」。
どちらかというまでもなく確実に「できない子」の部類出身の教員の端くれとして…
なんとか、考えを実現できるようにしなければ。
がんばろ。
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