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from: アヒル村長さん
2016年03月12日 17時20分37秒
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あれから5年
ここのところ、震災関連のあれこれがよくやっていた。
見ていてふと思うものがあって、当時の自分の書き込みを振り返ってみたけれど…
読んでいると「これっていったい誰だったっけ?」と思う名前を伏せた登場人物がたくさん登場する(笑
名前を聞けばすぐに思い出せるものの、やっぱり5年って長いんだなぁと思う。
5年経った今、自分は高等部で担任をもっていて。
昨日は全校で朝9時に黙とうをささげた。
時間的に、地震があった時間は下校直前でむりなので。
知的障害の特別支援学校とはいえ、やることはやる。
高等部にもなると、感覚的には健常な子も多いので。
そのあたり、全員がおしゃべりなうちのクラスは結構くいついてくれた。
地震が起きたら学校にも津波が来るの?
津波が来ても、この教室は2階だから大丈夫?
などなど、結構話題が広がった。
今年は諸問題あってきつい部分が多々ありつつ、生徒自体はすごく良くてやっていて楽しい。
…けど、出てきた話への回答は、残念ながら。
うちの学校の学区となっている地域、南の方は津波が来た場合跡形もなく水没するし。
現地に襲来した10メートル越えの津波がそのまま目の前に来た場合、自分たちが毎日使っている教室も余裕で飲み込まれる。
地域的に学校までは津波が来ないってだけで、津波の高さはそれくらいすさまじいものだったから、
今目の前で津波が起きたら、自分らは誰ひとり生き残らず流されてしまう。
ついでに、地域的には液状化危険地帯だから、津波が来なくっても地震の揺れに耐えられても、そっちが原因で家が崩れてしまうかもしれない。
そんなことを話していたら、さすがにみんな固まっていた。
でもね、5年前にはそれが本当に起きたんだよね…。
5年前の昨日今日、自分は大学4年生。
サークル活動最後の行事のために愛知の南端に向かって運転していた。
運転していたから揺れは分からなかったけれど、突然ニュースが流れ始めて。
ホテルについたら、ロビーではわけのわからないニュース映像が流れていて。
なにしろ目の前が海だから、自分らがいる辺りも津波注意の地域になっていて。
「俺らこんなのやってる場合なの?」
となっていた。
そんなことを話したら、自称二十歳の副担任の先生は
「そうかぁ、あのときアヒルはまだ大学生だったのか…ジェネレーションギャップだぁ~」
と話していた。
あれ、二十歳だったら先生はまだ中学生…何でもないです(笑
…さておき。
今になって気付いたけれど、あの頃ニュースで流れていた映像は、どれもどこか「この世のもの」として捉えられていなかった部分があったらしい。
当時津波の映像がたくさん流れていたけれど、なぜか感情が湧かなかったように思う。
少なくとも、同じ映像であっても、今見る方がよほど恐ろしく感じる。
ここ2週間くらい、そんなことに気づいてすごく気になっていた。
なぜなのか。べつに被災したわけでも何でもないのに。
色々思ったけれど、きっと頭が処理しきれなかったのだと思う。
なにしろ全く見たことも想像したこともない現象だったから。
知識として、あれが津波で自然がもつ力なのだとは分かっていても、言葉として分かっているだけで、実感としては何も理解できていない…というような状態。
3年前4年前はテレビを見ることがほとんどなかったから、震災関連のあれこれも新聞でしか読んでいなかった、というのもあって今になって気付いたのかもしれない。
ただ、いずれにしても。
もしも現実に、目の前であの津波というものを見ていたとしたら。
自分はいったいどうなっていたのだろう、と思う。
震災以降「つながり」とか「絆」とか、分かりやすくて飛びつきやすい言葉が大安売りされて。
当時はまだ少数派だった気がする、一昔前のデスクトップパソコンよりよっぽどお利口さんな携帯端末が多数派になって。
世間の望みどおり、いつでもどこでも誰とでも常につながりっぱなしな世の中がとっても近くなった。
けど、「マルモのおきて」を見てみんながほっこりしていた当時のような「絆」だの何だのとは全く異質。
望んでつながりをもつどころか、強迫観念的な存在になっちゃってる部分もある。
もしかしたら、世間の「震災復興度」は被災地の物理的な復興度よりもよほど低いのではないか?
どうなのだろう。
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